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第二話 三番目の部屋

 ハートリペア村にある温度屋の斜向かいにあるのが叩き屋(たたきや) さんです。叩き屋を営んでいるのは(れん) さんというお兄さんです。おじさんって言うと怒られちゃいますよ? 蓮さんに怒られてみたい人は是非お試しあれ。

 蓮さんは藍色縦縞の着物を着流しにして、背高のっぽで、長い黒髪をポニーテールにしています。でもポニーテールなんて言うと怒られちゃうんですよ? 総髪(そうはつ) って言うんだそうです。

 蓮さんの眼つきはとても鋭くて、『俺の背後に立つな』 というセリフで有名な殺し屋さんに少し似ています。実際、蓮さんはそう言ったらしいですよ? 美鳥さんはそう言われたことがあるんですって。もっとも、蓮さんがそう言うかどうか試す為に、三分間ずっと後ろに立ってみた時の事らしいですけどね。蓮さん、困ったように、

「あの、俺の後ろに立たないでもらえます?」

 って言ったんだそうです。

 蓮さんのお仕事は叩くことです。ハートを叩いて真っ直ぐにしたり、曲げたり、丸みを付けたりするのが上手なんです。とても腕がいいんですよ?


「蓮さん、おはようございます。今日も良い霧ですね」

 庭先の小菊を摘みながら美鳥さんが挨拶をします。

「おはよう。美鳥さん」

 蓮さんは、鋭い目つきで門の外の霧を睨みつけると、うむ、と深く頷きました。霧の向こうに、ヨロヨロと歩いてくる少し太めな人影が見えます。

「今日の客は、叩きがいがありそうだ」

「すでに叩く気満々なんですね?」

 美鳥さんは、顔をひきつらせて笑います。

 温度屋にやってくるお客様の中には、温度を調節するだけではハートを修理できない方もいらっしゃいます。そういう場合には、必要な修繕をしてから温度屋に来てもらうよう、他のお店を紹介するシステムになっているのですが、今回のお客様は、いきなり叩き屋さんに連れて行かれることが決まったようです。蓮さんの目に止まったら逃げられませんからね。


■□■


 ――なんなんだよ。あの蓮とかいうおっさん。

 霧の中で散々迷った挙句、ようやく辿り着いた村で道を訊いた途端、眼つきの悪いおっさんの店に連れ込まれた。連れ込まれるなり、硬いベッドに寝かされて、手足を拘束された。その後のことは、恐ろしくて思い出したくもない。

 ――なんだよ、なんなんだよ。おっさんって言った途端に豹変しやがってさ。おっさんに、おっさんって言って何が悪い。ちくしょー。

 ヨロヨロになって、次に行けと命令された温度屋へと足を運びかけて、突然クルリと回れ右をした。

 ――もうこのまま帰ろう。 温度屋なんて変な店に行ったら、今度は根性焼きとかされるに決まってる。もう、帰り道が分からなくたっていいや。どうせ僕なんて、家に居たって邪魔ものなんだし。

 その時、背後から涼やかな声がした。

「叩き屋さん終わりました? 温度屋はこちらですよ?」

 振り向くと、女の子がにっこりほほ笑んでいた。

 ――何? この子、めっちゃ可愛い。

 ツインテールに結んだ黒い髪は、すごい癖っ毛で、右側は時計回りに渦巻いているし、左側は反時計回りに渦巻いている。濃紺のフワリとした裾のエプロンドレス、黒いタイツに黒い靴。頭にはお決まりのホワイトブリム。豊かに張りつめた胸元の揺れを思わずガン見する。

「あら? この格好変でしたか? オタクさんは、このようなファッションがお好きだと聞いたので、着てみたんですけど、こんな恰好初めてだから……何か間違ってました?」

 いえいえいえいえ。何一つ間違っていませんとも。僕は、大きくぶんぶんと首を振った。へらりと顔が自然にほころぶ。

「良かった。では、こちらへどうぞ。私は温度屋の美鳥と申します」

 にっこりほほ笑んだ美鳥さんは、天使のようで、僕は彼女が指し示す方にフラフラと歩き出し、そのまま温度屋ののれんをくぐったのだった。


「いらっしゃいませ。ようこそ温度屋へ」

 藍染めののれんをくぐると、銭湯の番台のような場所から、美鳥さんがにこやかに声をかけてきた。彼女のツインテールが、びょーんびょょょんとバネのように揺れる。僕は思わず手を伸ばして、右側のテールを掌で弾ませてみた。それはバネみたいに面白いようにはねた。

「お客様、髪に触れるのはおやめ下さい。爆発致しますので……」

 美鳥さんは、営業用スマイルを貼りつけたまま顔を引き攣らせる。

「は? 何が?」

 ――爆発? なにそれ。逆に気になるじゃん?

 僕は、思わず左側のテールにも手を伸ばす。途端に小さな破裂音がした。

 ――え? 本当に何かが爆発した? しかも僕の身近で?

 僕はハッとして、ポケットの中に入れていたネンドロイドを取り出した。魔法妖女カホちゃんのネンドロイドが、爆発して変形している。

「ああああああ~ 僕のカホちゃんがぁぁぁ」

「だから爆発するって言ったのに……」

 美鳥さんが小さくため息をついた。

「どうしてくれるんですか? これレアものなんですよ? すっげ苦労して手に入れたんですよ?」

「え? それレアだったんですか? 中が生焼け状態の?」

 美鳥さんは、怯えたように顔を強ばらせた。

「違いますよっ。お肉の焼き加減のことじゃないですっ。ナニ言っちゃってるんですかあなたっ」

「びっくりしました。単なる人形かと思ったので……」

「単なる人形ですよっ。でも僕にとっては、とっても大事な人形だったんです」

 注意されたのに髪に触れたのは、僕だ。確かに、僕が悪い。だけど……まさかカホちゃんが爆発するなんて思わなかった。

「あら、お気の毒だわ。私にも、そういうのあるからお気持ちはよく分かります」

 美鳥さんは、本当に気の毒そうにそう言った。

「美鳥さんも何か大事にしているものがあるんですか?」

 僕は目を輝かせる。美鳥さんのことだから、きっと何かカワイイものに違いない。

「ええ。この前ね、耳かきをしていたら、ハート型の耳垢がとれたんです。蓮さんは不衛生だから捨てなさいって怒るんですけど、ほら、ハート型の耳垢なんて、もう二度と見られないかもしれないでしょ? だから、ガラスの小瓶に入れて……」

 嬉しそうにハート型の耳垢の話をする美鳥さんを、僕は遠い目で見つめる。ここは、不衛生だから捨てなさいというおっさんの意見に一票。しかも、カホちゃんと耳垢を一緒にするなんて、むむむむむむ。おっさんの意見にもう一票!

「……あの、完璧に元通りとはいきませんが、修理しましょうか?」

 美鳥さんが気の毒そうに僕を見つめた。

「え? 直るんですか?」

「直りますよ。でも完璧では無いですよ?」

 僕は大喜びで、会津名物赤べこのように首を何度も振った。この際、多少の変形は仕方ないだろう。

 ――大丈夫、僕のカホちゃんへの愛は、こんなことでは損なわれないっ。

 僕は、握りこぶしを突き上げて宣言した。心の中で……。


 美鳥さんは、爆発した人形のカホちゃんを受け取ると、がらりと引き戸を開けて奥のお風呂場に入って行った。僕もそれに続く。

 大きな池のようなお風呂の脇にある小さな泉に、美鳥さんはカホちゃんを沈めた。カホちゃんは、一旦泉の底まで沈んで、湧きあがる透明な泉の底でクルクル回転していたけれど、やがてプカリと浮かんで泳ぎだし、しばらくすると自力で泉から這い上がってきた。

「カホちゃんが動いてるっ」

 僕は驚いて尻もちをついてしまった。しかも、よく見ると、顔が変わってる。服も変わってる。

 ニコニコしながら僕達に近づいてきたカホちゃんに、僕は叫んだ。

「こんなのカホちゃんじゃないっ……っていうか、これあなたのミニチュアじゃないですかっ」

 僕は美鳥さんを振り返った。

「私、完璧には直らないって言いましたよね?」

「でもこれって、完璧に直らないとかのレベルじゃないですよね? 別物になったっていうんですよ。返して下さいよ。元のカホちゃんを返して下さいよぉぉ」

「そんなこと言われたって無理ですよ。無茶ばかり言う人ですね。お客さん、本当に叩き屋さんできちんと叩いてもらったんです?」

 叩き屋と聞いて、僕はピシャリと口をつぐんだ。これ以上文句を言ったら、叩き屋に戻されるかもだ。あんな恐ろしいヤクザなところに行くのは、二度とごめんだ。僕は項垂れる。

 僕はカホちゃんを諦めるべきなんだろう。項垂れたままぐっとこぶしを握りしめ、フルフルしていると、美鳥さんがしゃがみ込んでカホちゃんに話しかけているのが聞こえた。

「カホちゃん、どうする? あなた違うんだって……」

 カホちゃんが、小さな顔の眉間にしわを寄せて返事をする。その細く甲高い声が風呂場に響いた。

『私だって、もうこの人のところに戻りたくありません~。だって~、この人のポケットの中、汗臭くて息ができなかったんですよ。ホント、泉のお陰で生き返りました~』

 人形なんだから元々息なんてしてないだろ、と突っ込むよりも、カホちゃんがしゃべったことに、僕は驚愕していた。

「カホちゃんがしゃべった……」

 僕の声に、二人が驚いた顔で見上げる。

「そりゃしゃべるでしょ」

『しゃべれますよ~ 失礼な人ですね~』

 二人が、同時に同じ顔の眉間にしわを寄せて言った。


 その後、さんざん僕のオタクぶりをこきおろし、風呂に入れだの、散髪しろだの、もっと痩せろだの、口うるさくしゃべり続けるカホちゃんを美鳥さんに押しつけて、とりあえず温泉を使わせてもらった。

 ――なんだよ、カホちゃんのやつ。僕がオタクだったから、君はここに来られてしゃべれるようになったんだぞ……たぶん。

 僕は、ぶつぶつ文句を言いながら、ちょうどいい湯加減のお湯を顔にばしゃばしゃ掛けて、両手で顔を覆った。

 ――あぁ、いい匂いだ。懐かしい匂いがする。

 お湯は、遠い昔、田舎の祖母の家で入った薬草風呂みたいな匂いがした。


「良い具合に温まりましたね。では、二階の三番のお部屋に入ってください」

 お湯から上がると、美鳥さんがにっこりほほ笑んだ。その右肩には手乗りインコのように、すっかりなついた様子のカホちゃんが座っている。

「部屋に入るとどうなるの?」

「お客様の心を適温に調節致します。お客様の心は、熱分布が偏っているのです。多少の偏りは個性ですが、あまりひどいと社会生活に響きます。痛いことは一切ないので、心配はいりませんよ? あ、カホちゃんを連れて行きますか?」

 美鳥さんがそう言った途端に、肩の上のカホちゃんが嫌そうな顔をしたので、僕は首を振った。

「カホちゃんを、よろしくお願いします」

 丁寧に頭を下げると、美鳥さんも承りましたと深々とお辞儀をした。

 ――こんな風に人とたくさん話したのって久しぶりだな。いつ以来だろう……。

 僕は、風呂上がりのとてもゆったりした気持ちのまま三番のプレートがかかったドアを開けた。


 ドアの中は、懐かしい匂いに満たされていた。

 部屋の中は、暑くもなく寒くもない。よく晴れた春の日のひなたの匂い。茶色の雑種の犬が木陰でまどろんでいた。

 そうだ、思い出した。この日、夏を待ち切れなかった祖母と僕は、一足先にかき氷を食べて、すっかり頭が痛くなったんだった。畳の間に二人してごろ寝して、色んな事を話した。

 ――祖母とは、こんな風によく話したっけ。

「直君は、将来何になるんだい?」

「そうだな~。僕絵を描くのが好きだから、イラストレーターになりたいなぁ」

「そうか~ 直君は絵が上手だからねぇ」

 祖母は、そう言ってにっこり笑った。去年よりも、しわが増えたなぁと思う。だけど、その笑顔は、僕の宝物になった。

 その後頑張って、美術系の大学を目指した。なのに、僕は二回も失敗して……。大学を諦めて通い始めた専門学校を、最低な成績で卒業すると、就職もせずにひきこもりになった。


 ――そうだ、お祖母ちゃん、死んじゃったんだっけ……。

 気が付くと、僕は、喪服を着て祖母の棺桶の前に立っていた。四角い覗き窓を開けると、お祖母ちゃんというよりは、お祖母ちゃんのマネキンみたいな死骸が、穏やかな顔をして横たわっている。

「お祖母ちゃん……ごめんね。僕、お祖母ちゃんの、あの笑顔守れなかった。お祖母ちゃんにイラストレーターになったところ、見せてあげられなかった。ごめん……ごめん……」

 ボタボタと涙がこぼれる。その時、祖母の声が聞こえた。嘘だって言われるかもれないけど、本当に聞こえたんだ。

 ――直君、お祖母ちゃんは死んじゃったけど、ずっと待ってるよ。直君が、夢を叶えるのをずっと待ってる。諦めさえしなければ、いつまでだって、夢は途中だ。夢に続く道は、無くならないんだよ。

「お祖母ちゃん……でも、いくら頑張っても、夢は叶わないかもしれないよ? 僕、才能ないし……専門学校の先生にもそう言われたんだ」

 ――叶わなくたっていいじゃないか。イラストレーターになりたいって言った直君のあの顔が、あの希望に満ちたキラキラした目が、お祖母ちゃんの宝物なんだから。それでいいんだよ。

「お祖母ちゃん……」

 ふと気づくと、泣き顔の母が後ろに立っていた。

「母さん、最期まで直のことばかり心配してた。ちゃんと食べてるのかとか、辛い思いをしてないのかとか……」

 食べ過ぎてるよね、ぽつりとそう言うと、母は泣きながら笑った。

 運動をしよう。お風呂に入って髪も切って。小ざっぱりしたらきっと、また夢へ続く道を歩き出せる。そんな気がした。


■□■


「こりゃなんだ?」

 温度屋の店先に置かれたワゴンを見て、蓮さんが顔を顰めます。ワゴンの上には、メイド服を着た美鳥さんにそっくりの小さな人形がたくさん並べてあります。

「例のオタクさんの報酬ですよ。彼の作品らしいです」

 これ、今朝、源泉からわさわさ湧きでていたんです。採っても、採っても、出てくるので、美鳥さんは少し困ったんですよ? 放っておくと、詰まってしまいますからね。

「やつはもう夢を叶えたってわけか?」

「まだでしょうねぇ。これは、未来から届いたようですから……」

 まぁ、俺が性根を叩きなおしてやったんだ。今度は諦めずにやっていけるだろうさ、と蓮さんは言って、晴々と笑いました。

「で? こんな人形、どうするんだ?」

 蓮さんは、眉間にしわを寄せて人形を一つ取り上げます。

「そのままで良いなら、蓮さんの好きなだけ持って行って下さい。枕元にでも並べたら、お部屋が可愛くなると思いますよ? もしヒト化するなら一ポイントでしてあげます。りんご程度の重さのものなら運べますし、拭き掃除なら一メートル四方くらいは拭けます。もっとも、頼んだ仕事を終えたら消えてしまいますけどね?」

「なんだ、ポイントとるのか。さんざんポイント稼いでいる癖に? それを使う気もない癖に?」

 蓮さんが苦笑します。

「貯めるのが好きなんですよ。ポイントに限らずね」

 美鳥さんは、にっこりほほ笑み返しました。

「美鳥さん、お花活けておきましたよ?」

 店の奥からカホちゃんが出てきました。美鳥さんがありがとうと声を掛けます。

「こいつがヒト化したこの人形か?」

「彼女は、カホちゃんですよ。その人形とは違います。彼女は向うから来たんです。だから仕事をしても消えませんよ?」

「へぇぇ、でもまぁ、こんな感じになる訳だな? 結構役に立ちそうじゃねぇか? たくさん居れば、それだけ仕事もこなせるか。じゃあまとめてヒト化してもらっておくかな」

 蓮さんはそう呟きながら、人形をひっくり返しました。メイド服の裾がめくれて、白いカボチャぱんつが露わになります。

「ちょっと、蓮さん、何をしてるんですか?」

 美鳥さんが顔を顰めます。

「へぇぇ 人形の癖にちゃんとパンツ履いてるんだな。このパンツ脱げるのか?」

 今にも脱がしそうな蓮さんの手付きに、美鳥さんは、目にもとまらない……いえいえ、ハエも留まるくらいの速さで、人形を取りあげました。

「……蓮さんには、やっぱり差し上げません」

「俺、叩き代もらってないが……」

「ポイントで差し上げますよ。どうせポイントなんて、貯めたって使い道が無いですからね」

 美鳥さんの言葉に、蓮さんは一瞬顔を顰めてから、小さく笑いました。

「あんたも変わらねぇな」


 蓮さんも叩き屋に戻って行ったようなので、今回のお話は、これでおしまいです。

 え? ポイントを貯めたら何がもらえるのかですか? そうですね、知りたいですよね。実は私も知らないんです。今度美鳥さんか蓮さんに聞いておきますね。



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