パラダイスを満喫せよ
『えー、ただいま○○駅において人身事故が発生しました影響で、列車の到着が大幅に遅れております。ご迷惑をおかけし、大変申し訳ございません』
ちっ、心の中で舌打ちをして左手を腰にあてる。朝の通勤途中に起こる電車を遅延させる行為は、なんであれ本当に迷惑だ。かすかに漏れた溜息と同時に、こめかみのあたりにチリチリと電気のようなものが走る。
――来たか。早くも心臓の鼓動がパラダイスの到来を告げ始める。
俺の体には一昨日から、尋常ではない異変が起きていた。その前夜に見た夢を概略すると、こうだ。
「おまえに大変、特別な力を授けよう。その力は必ずおまえの人生を有意義なものとし、退屈な日々をまさにパラダイスへと変えるであろう」
仰向けに寝ている自分の目の前で、背後に光をまとったご老体が偉そうなことを俺に語り始めた。
「ただし、この力は他の人々を助けるためだけに使うのだ。それを達成したとき、おまえは力を失うだろう」
何を言っているんだこのじじいは。自分にとって有意義な力を自ら手放すはずないだろうが。それとも、人間はメリットのないリスクを負えるか試しているのか?
こうして俺は手に入れた。『一日の中で五分間だけ、自分から半径十メートル以内にいる人の心の声が聞こえる』という、ちょっと具体的だが、まさに神をも彷彿とさせる力を。
『あーもう。ホームルームの時間に遅れちまうだろうが。迷惑なんだよアホ』
通学途中の高校生か。そうだよな。まあオードソックスな気持ちではある。俺だって同じように思ったからな。
『こりゃあラッキーだ。寝坊して会社に間に合わないと思っていたところにこれだ』
会社員、風貌からして係長クラスってとこか。まあわかるな。すでに遅刻する時間であったなら、俺も同じように思うだろう。
『飛び込み自殺かな。それとも不慮の事故かな。どっちにしても、残された家族や友人がかわいそう。生きていても、きっと重症だろうし』
OLさんかな。うーん、将来こんな人と一緒になれたら幸せな日々を送れそうだな。心が透き通って見えるようだ。
『今日は月曜日だ。生きていることに疲れたのだろうな。私にもできるだろうか。あなたの勇気を私にも分けてほしいよ』
こちらも会社員。さっきの係長と違って精気がないな。人身事故ってことで投身自殺としか考えていないようだが、確定するには早いんじゃないかな?
『……まさか。雄太……そんなわけないよね? 雄太……』
お、こちらも高校生か。そんなに急いで電話かけなくたって、あんたの彼氏じゃないってば。彼氏かどうかは知らないけどさ。
心臓の鼓動はパラダイスの到来を告げている。代わる代わる頭に入ってくる心の声に、一言ずつ突っ込みを入れるこの感覚。こんな感覚を味わうことができる人間が世界に二人といるだろうか。
――退屈な日々をまさにパラダイスへ。
そのとおりになっているよ、じいさん。俺は今、俺だけが体験できるパラダイスにいる。
『あなたは私との約束を守ってくれた。だから私も守る。必ず行くから待っててね』
ん?
向かいのホームの高校生か。そんなにうつむいて考え事したってばればれだよ。俺は軽くにやけて見せる。
でも、それってどういうことだ?
人身事故が約束?
向かいのホームには、こちらとは反対の駅へ向かう電車が走っている。アナウンスが響く。
『三番線を快速列車が通過します。危険ですから白線の内側までお下がりください』
心臓の鼓動がひときわ大きく波打つ。視力2.0の俺の眼球が、何か重大な決意を固めたような彼女の表情を確かにとらえた。
死なせやしない。じいさんの話だと、他人のために使ったらこの力は消えるらしいが、そんなことは関係ないね。彼女を助けることができるのは俺しかいない。たとえそれが彼女の望みでなくても、目の前で人が死ぬのをただ見てるだけなんて、人なら誰しもできるはずがない。それを証明してやる。
快速列車はまだ来ない。いける。人目もはばからずホームの最前線に立ち、残った右足で地面を強く蹴り出して線路上に降り立った。後ろのほうからざわざわと耳障りな声が頭に響いてきたが、パラダイスはちょっとお預けだ。視線を彼女に一点集中させて走り出す。しかしその瞬間、視界から彼女が消えて向こう側の線路だけが大きく映る。なんのことはない。線路の砂利に足を取られて転んだのだ。かっこわる……。一瞬よぎった現実からすぐにスイッチを切り替え、視線を彼女へ向けた。向こう側のホームはすぐそこだ。
「いっ……!」
つい声が漏れてしまうほどの激痛が走った。自分では軽く転んだだけだと思っていたが、どうやらそうではないらしい。左の足首を見ると、靴下の上からでも腫れているのがわかる。そこへ線路にかかっている左足に振動が伝わってくる。こんなときに地震か? いや、違う。左に視線を移すと、そこには俺を殺そうと猛スピードで近づいてくる人を乗せた鉄の塊が、次第に視界を埋め尽くそうとしていた。ああ、これって後ろから見たら映画のワンシーンみたいで面白そうだな。バカなことを。視線を戻し激痛をこらえ立ち上がったが、動けない。これ以上無理をすると意識が飛ぶのではないか、と思うほどの痛みだった。
ウソだろ。こんなことで俺の人生終わるのか。じいさん、俺を本当のパラダイスにつれていく気か。
「何してるの! 早く手出して!」
気づくと目の前に小さな腕が差しのべられていた。藁にもすがる思いで両手でその腕をつかんだ。腕は一瞬こちらへ動いたが、もうひとつの腕で支えられ、俺は引っ張り上げられようとしていた。俺は目をつむり激痛に耐え、右足に重心をおき、地面を思い切り蹴った。中途半端に陸に打ち上げられた特大マグロのように引きずられて、向こう側のホームにたどりく。次の瞬間、後ろをものすごい轟音と震動で、人を乗せた鉄の塊が駆け抜けていった。
「何してるんですか! 死ぬ気ですか!」
激痛で意識が朦朧としているなか耳に入ってきた罵声は、俺を現実へ引き戻した。目の前では制服を着た女の子が息を切らしていた。
「あ……ありがとう」
「いきなり線路に飛び出して……死ぬなら私の目の届かないところでひそかに死んでくださいよ」
ひどい言われようだ。と思ったが、俺は気づいた。
やった。彼女が死なずに済んだ。どうだ、じいさん。人間は愚かなんかじゃない。他人のために命だって張れるんだ。まあ、かなりかっこ悪い姿を見せてみっともなかったが……。俺は激痛も忘れて、微笑みながら彼女を見た。
「君が無事でよかった」
「私はもとから無事です! あなたが私を危険な目に合わせたんじゃないですか!」
どんなに言われようと、俺は悪い気分にはならなかった。人を助けるってこういうことなのか。これが本当のパラダイスだよ、じいさん。
『何この人……。命を張った新手のナンパ?』
ん? この声は――
『並ぶ場所変えよう。なんか注目されてるし、最悪』
彼女はさっと立ち上がると、早足でホームの先端へと駆けていった。
まだパラダイスが続いている。どういうことだ、じいさん。人の目には俺が助けられたように映ってるはずだから、他人のために力を使ったことにならなかったのか?
またもや激痛を忘れ、なかば放心状態で、去りゆく彼女を目で追っていると、視界の左下に何かをとらえた。彼女がうつむきながら見ていた携帯電話だ。
必ずあなたと同じ大学に行くから待ってて。
「へっ?」
自分で発した声の馬鹿さ加減に驚いたが、携帯電話の画面に映るその言葉の意味を理解するまでに五秒を要した。
じいさん、あんたすごいよ。ちゃんと俺を見てやがるんだな。そしてこういう馬鹿なことをする奴を観賞しながら、ビール片手に枝豆でもやっつけてるんだろう。さぞ面白かっただろうよ。ホームに大の字になり俺は小言を口にする。
「俺の五分間を返せ畜生」
「いいつまみになったよ若者。次も期待しているぞ」
ホームの屋根と屋根の間から、俺を嘲笑うじじいが見えた。
初めて書いた小説です。
文章がとてつもなく下手ですみません。
前半説明不足、後半グダグダ、とにかくひどい作品ですみません。
でもやっぱり『初』というのは思い入れが強くあるものですね。
この作品は、一生涯、嫌いにはならないと思います。