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冬シリーズ

冬の迷子

 

 月が見えない冬の夜でした。

 

 凍りつくような澄んだ空気と、まわりを支配する底なしの闇。

 時は真夜中。辺り一帯は静まりかえっています。

 街灯ひとつ見当たらず、空に月はありません。

 けれども無数の星たちが、小麦粉をまぶしたように夜空一面に散らばっていました。


 目立つようなものは何もなく、人がめったに通らない裏通りに、どこにでもあるような、飲み物の自動販売機がひっそりと置かれていました。

 その機械の体は薄汚れて、しかも壊れていました。それなのに長い間だれも回収に来ません。


「退屈だな」

 自動販売機はぽつりとつぶやきました。

「誰かと遊びたいな」


 そこに、10歳くらいの男の子がひとりでやってきました。

 男の子は自動販売機の前にやってくると、「ジュースをちょうだい」と自動販売機に話しかけました。

「ジュースはないんだ、ごめんよ」

 自動販売機は体をおってお辞儀して謝りました。壊れた自動販売機の中に、ジュースは一本も残っていなかったのです。

 男の子は「なあんだ」と言い、続いて「ぼくのお母さんしらない?」と尋ねました。

 自動販売機はその質問には答えずに、「君は迷子かい」と男の子に聞きました。すると男の子は少しむくれて言い返しました。

「迷子じゃないやい。お母さんがどんどん先に行っちゃうし、まわりがまっくらだから」

「ああ、わかった、わかったよ。迷子じゃないんだね。ごめんね」


(困ったことになったぞ。これだから月のない夜は。この子をどうしようか。そうだ、オリオン座に相談しよう)

 

 自動販売機はそう思って、南の空を見上げました。そこにはオリオン座が月の光がない分いつもよりも輝いていました。

 けれどもここからでは、オリオン座に声が届きそうにありません。壊れた自動販売機の小さな声は、真冬の冷たい空気にかき消されてしまうでしょう。


(どうしよう)


 自動販売機がおろおろしていると、ふいに北風がぴゅうっと吹き、「なにかお困りのようだな」と自動販売機に話しかけました。

 北風は自動販売機がまだぴかぴかだったころからの友人です。自動販売機のところにいつもきまぐれにやってきてはおしゃべりするのですが、冬はあっちに吹いて、こっちに吹いて忙しいのでそうもいきません。


 自動販売機は渡りに船とばかりに喜んで北風にこう言いました。

「やあ北風。ひさしぶり。どうだい、忙しいかい。ところでひとつ忙しついでに頼まれてくれないか。オリオン座に、この迷子の男の子のことを相談するんだ。お母さんを探している」

「お母さんがどこにいるか、わかるの」

 男の子が期待に満ちた目で北風をみつめました。

「あれまあ。月のない夜は迷子が多いさね。そうそうオリオン座ならアルテミスと仲がいいから、なんとかしてくれるだろうね。ちょっと骨が折れるが仕方ない」

 北風はそう言うと、オリオン座に向かってピュッと駆けていきました。


 あとに残された自動販売機と男の子はしばらく南の空を見上げていました。


(しまった。この男の子を一緒に連れて行ってもらえばよかった)


 自動販売機ははっと気付いてうっかりしていたことを悔やみました。だけどもう今更です。それならば、

「ねえ君、一緒に遊ばないかい。北風が戻ってくるまで」

 そう男の子に話しかけました。自動販売機はずっと退屈だったのです。

「一緒に踊ろうよ」

 つまらなそうにしている男の子の前でジャンプして見せました。

 ドスン、と大きな音を立てて着地した瞬間、その反動で男の子がポン、と飛びあがります。

「わあ、おもしろい」

 男の子は高い声をあげてはしゃぎました。


 ドスン、ポン。

 ドスン、ポン。

 ドスン、ポン。


 人ごみや住宅街でそんなことをして大きな音をだしたら、きっと大人に叱られるでしょう。けれどもここは昼間でも人がめったに通らない場所です。近くに家もお店もありません。

 二人は北風が戻ってくるまでの間、歌って踊って飛び跳ねてこころゆくまで遊びました。おしゃべりもたくさんしました。寂しい場所で退屈していた自動販売機は楽しくって仕方ありません。男の子も、今はお母さんのいない寂しさを忘れて、笑い転げています。


 そうしているうちに、やがて北風が戻ってきました。


 二人は遊び疲れて、並んで仰向けになっていましたが、北風を目にすると、自動販売機はよっこいせと立ち上がり、早速北風に聞きました。

 「北風よ、オリオン座はこの男の子をどうするって言っていた?このままじゃ、お母さんの所へ行けないだろう」

「うん。アルテミスは今日出かけていて留守だったからね」

 アルテミスは月と狩猟の女神です。いつもはこの広い夜空のどこかにいるのですが、ときどき、ぐんと遠いところへ出かけていなくなってしまうときがあります。そうすると、月は空から消えてしまうのです。

「今、オリオン座が呼び戻している」

 そう言って、北風は夜空を見上げました。オリオン座とアルテミスは恋人同士なのです。


 月のない、凍ったような冬の夜空。瞬くのは星ばかり。


「あっ」と今まで踊り疲れて仰向けになっていた男の子が、叫んで、飛び起きました。「あれ、見て」


 凍ったような冬の夜空。そこに、一筋の光。


 月です。


 一筋の光は三日月となり、徐々に膨らんで半月になり、まだふくらんで、まだまだ膨らんで、とうとう。


 満月です。


 大福もちがぺたっと夜空にはりついたようで、どこまでも白く、あたたかくて優しい光を放っていました。


 そして、月から光の矢が放たれました。アルテミスが放った矢で、矢の飛んだあとにそって、きらきらまばゆいオーロラの道が一筋出来上がりました。


 自動販売機は「さあお別れだよ」と男の子に告げました。

「お母さんのところへ行くんだよ。あのきらきらと光る道にそって行くんだ。きっととても心配しているよ」

 男の子は自動販売機の正面に立って、見上げました。不安そうな顔をしています。

「ぼく、あんな高いところまでのぼっていけるかな」

「大丈夫だよ」自動販売機は男の子を見つめました。本当なら二本あるはずの男の子の足は、一本しかありませんでした。

「君は、行ける。もしダメだと思ったら、お母さんのことを思い出すんだ。あとは、夜の空が正しい道を教えてくれる」

「そうだとも。一本の足で力強く、ぽーんぽーんと飛ぶんだよ」北風も頷きました。


「わかった」

 男の子はそう言うと、一本しかない足で大きく夜空に向かってジャンプしました。高く舞い上がりながら、

「さよなら、えーと……名前」

 自動販売機の事をなんて呼んだらいいか分からずに、困惑した顔のまま、夜空に男の子は消えていきました。

 後には優しく輝く月と、空の世界への入り口を指し示す、オーロラの道があるばかり。その輝く道も、男の子が通って行ったのを見届けたら、消えてしまうでしょう。最初からまるで、なにもなかったかのように。いつも南の空に悠然としているオリオン座は、心なしか「やれやれ」とほっとしているようでした。



「事故かな、あの足」

 自動販売機が空を見たまま北風に問いました。

「たしか先月、ここから数キロ離れた街で車の事故があったよ。親子が犠牲になったのを見た」

 北風も空を見ながら答えました。

「さあて、わたしはそろそろ行くよ。なんたってわたしは北風。吹いてなんぼよ」


 北風が去っていき、自動販売機は一人になりました。

 一人になったけれども、機械の体はまだ男の子と遊んだときの楽しい気持ちでぽかぽかしていました。



            月が見えない冬の夜は、誰かしら迷子になるのです。


            この世に別れを告げ、空の向こうの世界行く人たちが。


  向こうの世界の入り口は、真夜中に開くのです。みな月の光を頼りに向こうの世界を目指すのです。


           だから月のない夜は、迷子が多い。特に、冬の月のない夜は。


                   (なぜなんだろう)


          自動販売機は自分に問いかけました。なぜなんだろう。


                    わかりません。


                  いくら考えてもわかりません。


 街灯ひとつない、人っ子ひとりいない裏通りで、自動販売機は、ぽかぽかしている自分の体を抱いて、母親と再会する男の子のことを思うのでした。



    

 

  

お読みいただきありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[一言] どうも、先日のお礼、というほど大袈裟ではありませんが、短編が見られたので読ませていただきました。 童話、という形を考えればとても素直に纏まっている作品であるように感じました。確かにキャラ構成…
[一言] 心温まる、それでいてどこか胸がジンとして感動するお話でした。 メルヘンチックに書かれているのがまた素敵だと思いました。 良い作品を読ませて頂きました。
[一言] 子供の頃に読んだ宮沢賢治を思い出しました。 「こうすれば童話になる」という見本のような小説だと思います。楽しく読ませていただきました。
2012/02/10 11:24 退会済み
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