そして、新しい朝。2
* * *
始発が動き出すまで、ティラミスは店でもうひと眠りした。
店主に起こされた時にはもう、ウィルフレッドもおばばもおらず、じんもいなくなっていた。
(あれ?)
明るくなってきた夜明けの光の中、いつも通りの『ただの茶屋』の店の中。
(あれれ?)
ティラミスは首をかしげた。店が……小さくなっていないか?
壁を見る。テーブルを見る。天井を見る。
いつも通りだ。
いつも通りの『ただの茶屋』だ。
なぜ?
「どうしました?」
きょろきょろと、あちこちを見回すティラミスに、店主が声をかけた。
「あの、紅さん。昨夜なんですが、……天井に窓があったりしませんでした?」
「そうだったかもしれませんね」
「えと、それに、……テーブルの数ももっと、多かった、ような?」
「そうだったかもしれませんね」
「か、壁も、もっと向こう側にあった……気がするんですが」
「まあ、……そうだったかもしれませんね」
店主はそう言ってから、にっこりして付け加えた。
「夏至でしたから」
それ、なんの説明にもなってなんですけど! とティラミスは思った。
しかし、くるる、と鳴り出したお腹に、朝食代わりにと、店主にスープやサンドイッチを差し出され、それ以上追求することができなくなった……お腹がすいていたのだ。
昨夜、あれだけ食べたのに。
「健康な体が恨めしい……」
はぐはぐとサンドイッチを食べながらティラミスが言うと、
「健康なのが一番じゃないですか」
と、店主に苦笑された。
食べながら、自分の横を見る。ウィルフレッドのマントがそこに、置いてあった。ちゃんと洗って、繕って返さないとな、とティラミスは思った。
家族に間違って捨てられないよう、「大事なものだ」と言っておかないと。
そこでスープがはねて、スーツの胸元にしみを作った。ティラミスは慌てて、ハンカチを探した。バッグを開けると、招待状が目に入った。
何気なく取り出して、文面を見る。カードには、
『夏至の祝いにおいでいただき、ありがとうございました。みなさまに、光と祝福がありますように。 『ただの茶屋』店主 紅』
と、書かれていた。
「……あれ?」
こんな文面だったか? このカード。
「あれ? あれえ?」
なんだか記憶が混乱してきて、首をひねっていると、スープのしみに気づいた店主が、おしぼりを持ってきてくれた。そこで、店主に「お茶をいれましょうか」と言われる。
考えるのが面倒になって、「お願いします」と頼んだ。
やがて出されたのは、ケニアのミルクティー。ほんのり甘くてキャラメルのような香りのする、紅茶だった。
「ああ、もう、何でも良いや」
「なにがです?」
「うん、美味しいから。お茶が。もう何でも良い……幸せすぎる」
ううう、とうなってお茶を飲み、ティラミスは朝食を平らげた。そうとも。
体重計が、なんだ!
* * *
大急ぎで店を出るティラミスを見送り、店主はうん、と伸びをした。
「やれやれ。夜が終わった」
あくびをしながらそう言うと、じょうろに水を汲んで、植木鉢に水をやり、
それが終わると店にもどり、扉を閉めた。
店の中に、光を放つ、何かのかけらが落ちている。
「一夜の魔法の名残ですね……」
拾い上げて、店主は微笑んだ。
それは、小さなしずく。
中に歌声が閉じ込められた、魔法の力の結晶。
光をなくしたランタンが、床やテーブルにまだ置いてある。その内の一つにはまだ、ぼうっと光がともっていた。
そのランタンに向けてかけらをかざすと、光が強く、明るくなった。
しゅんっ。
小さな音を立て、飛び出して来たランタンの光は、店主の持つかけらにぶつかると、より強い輝きになって弾けた。
歌声が響く。
店中に歌声と、光のかけらが飛び散った。それらは大気に溶け、広がり、さらに広がり、壁に、天井に、柱に、窓に、店の内外に置いてある植物の鉢植えに降り注ぐ。
緑が鮮やかになり、花がより美しく生き生きとした。
木造の建物の梁や柱が、古びてはいるものの、しっかりとした存在感をかもしだすものとなる。
壁やテーブル、椅子の色が、明るさを増した。
そして、竈が。
厨房にある竈が、きらきらと輝いて力強さを増し、どっしりと安定した姿になる。この竈で作るケーキやクッキーは、さぞかし美味しいものになるだろうという風に。
そうして光は店中を走り、輝き、
やがて消えた。歌声と共に。
店は、改装したばかりであるかのような、力強さをまとって静まり返った。古びてはいるのだが、ていねいに扱われて時を重ねた、品の良さとぬくもり、そして優しさが、しっかりとした存在感と共にそこにある。
店主はふう、と息をついた。
「夏至の集いは終わり。さて。
また、太陽や月のしずくを集めないと。次に集まったお客さまたちに、渡せるだけ……。
ああ、でも、今日はもう、寝よう。さすがに疲れた」
そうつぶやくと、店主は、『本日休業』の札を扉にかけた。
* * *
一夜の魔法は消えました。魔法小路の『ただの茶屋』。
本日は、お休みをしております。
どうかみなさまに小さな魔法が届き、その輝きが内側から、みなさまを支え、温めますよう。
『夏至の夜の不思議な時間』 Fin.
2011年、夏至記念作品でした。
この話を書いた時にはまだ、本編に、おばばさまも、ウィルフレッドも出ていませんでしたが、
本編に登場するのは決定済だったので、フライング気味に出てもらいました。
次の章は、この時のウィルフレッド視点です。