一夜の魔法が過ぎてゆく。
* * *
歌は、思いのほかうまく行った。
ティラミスは焦りながら舞台に上がったが、同じように舞台に上がる人たちを見て、ちょっと安心した。一人で目立つわけではないらしい。
やがて始まった歌は、聞いたことのないものだったが、にぎやかで、テンポが良かった。ティラミスは周囲の者に合わせ、手拍子を入れ、繰り返しの部分で声をそろえてコーラスを入れた。
聞いている者たちも喜んで手拍子を入れている。歌が終わった時には、盛大な拍手をもらった。
「終わった~」
ほっとしながらウィルフレッドの所に戻ると、おばばが拍手をしてくれた。
「良い出来であったぞ」
「ありがと。緊張したわー」
差し出された飲み物は、先ほどのスポーツドリンクだった。
「これ、割と美味しい……作り方教えてもらおうかなあ」
「この場で飲むから美味しいのかもしれぬぞ。にぎやかに、みなが騒いでおるからのう」
「ああ、そうかも」
ティラミスはちょっと笑った。
「影も何もない。正常じゃな」
おばばがちらり、とティラミスを見てつぶやく。ウィルフレッドが目をやると、軽くうなずいた。
「外側も内側も、正常化しておる。紅どのには、念の入ったことじゃ」
なんの話だろう、と思った時、どよめきが上がり、ティラミスの注意は逸れた。見ると、舞台の上で手品が始まっている。
「わ、すごい! どうなってるの、あれ?」
「ほう。見事だな」
ウィルフレッドも感心したように言う。舞台上のマジシャンは、袖口から虹を生み出し、星をきらめかせ、花と緑を舞台に生み出し、幻想的なショーを展開していた。
それを見て、笑い、あるいは手を叩いている、様々なコスプレをする外国人。
楽しいなあ、とティラミスは思った。
ここって、変わってる。でも、何だか素敵。
みんな一人一人が少しずつ変で、
でも、筋が通っていて、……かっこいい。
そう思っていると、なんだか眠くなってきた。頭がふわふわする。
「あれえ? そんなにアルコールは飲んでないはずなの、に?」
しばらくがんばっていたが、どうにも眠くて、ティラミスは座っていた椅子にもたれかかった。うとうとする。
すると、と周囲の様子が変わった気がした。
羽のある人や、角のある人。中世ヨーロッパ風の衣装の人々。
彼らの姿が、現実味のないものとなり。
横にいるはずのウィルフレッドもまた、幻めいたものとなる。
笑い声とおしゃべりの声が、音楽のように聞こえ、
店の中で、噴水のように噴き出す光。
あれは、なに。
「今宵集まった方々には、様々なものをいただきました。感謝いたします」
店主の声が遠く聞こえる。
「次の集まりは、秋分の時に。お土産をどうぞ。太陽のしずくを入れて練った、白樺の樹液のドロップです」
おお、とか、ああ、とかいう声がした。
「良い集いであった」
「楽しかったぞ」
そんな声がして、風が吹き。翼を広げた人々が、店の中を舞い上がり、天窓から出て行った。
「素敵な集い」
「次もまた寄せていただくわ」
そう言った、美しい歌声を披露した女性たちは、きらきらと輝きながら店の中央で噴き上がっている光に飛び込み、消えた。
「秋分の時に」
「次の秋分の時に」
そんな声が、合い言葉のように響き合う。風と光が、店中を駆けめぐる。
ふと、何かが近づいてきたのを、ティラミスは感じた。黒く、大きな何かの影。
(ルーちゃん?)
先ほどの犬を思い出す。あれぐらいの大きさの犬を、わしゃわしゃ丸洗いしてみたいなあ、とも思う。なで回すのは、楽しいだろう。
そう思っていると、低い声がした。
「腹は立つが……恩義は恩義だ。俺の名を覚えておけ。ルーザードだ」
(ルーちゃん、しゃべれたの?)
そんな風に思う。
「一度だけ、力を貸してやる。何かあれば呼べ」
(犬なのに、偉そうなのね……ああ、丸洗いしたいなあ)
洗ってブラッシングしてあげれば、きっともっと、可愛くなる。
そう思っていると、「やめてくれ」と、どこか沈痛な響きの声がした。
おばばがまた笑いだしている。おばばさまったら、笑い上戸なんだなあ、とティラミスは思った。
力と熱。光。
手と手を取り合う、不思議の渦。
歌と魔法に満ちる店の中。
うとうとしながらティラミスは、それを感じていた。目覚めれば、自分はこれを、忘れてしまうのだろうなと思いながら。