やだちょっとカワイイ。~ワンちゃんと炭酸。2
「お座りの他にお手もできるんですよ、このワンちゃん」
「え、かしこい~。ホントにお利口さん!」
「向こうの舞台に連れていって、みなさんに披露しましょうか。お手とお座りのできるかしこい所を」
「あっ、ひょっとしてそれも、隠し芸になるんですか?」
なぜか、犬は硬直していた。表情を強張らせ、全身の毛を逆立てて、尻尾と耳をぴんと立てている。
人間で言うなら、ざーっと青ざめて顔色を悪くしているような感じである。
「何だか楽しそう!」
「いや、」
阻止しようと言うかのように、ウィルフレッドが口をはさみかけたが、おばばがぐふぐふ笑いながら顔をあげ、「そりゃ良い考えじゃ」と言ったので言葉を止めた。
「躾けは大切じゃしな。芸をするそれをみれば、みなも喜ぶであろうよ。バグバイプの演奏が終わったら、やればよかろ」
おばばの言葉に、犬は、それはそれは衝撃を受けたような顔をし、すがるような眼差しで店主を、ティラミスを、そしてウィルフレッドを見つめ、
どうにもならぬと悟ったのだろうか。尻尾をだらりとさせ、耳をぺたりと伏せて、うなだれた。いわゆるorzの姿勢である。
やっているのは、犬だが。
涙がはらはらと、目から落ちていた。
「あら? ワンちゃん泣いてる……どうしたの?」
前にいたティラミスが、まずそれに気がついた。店主はちら、とそれを見てから、持っていたピッチャーをテーブルに置いた。
「名前はルーザードですよ」
「あの変質者と同じ?」
ティラミスはちょっと顔をしかめた。
犬はぷるぷる震えながら、orzの姿勢を保っている。
「ええ、まあ。どうします? 同じ名前だと、可愛がる気もなくなりますか?」
「え、どうして? 変質者は変質者。ワンちゃんには関係ないじゃない」
ティラミスは答えた。おばばが、ふふ、と笑った。
「関係ないかの?」
「関係ないですよ。あたしにとって、ワンちゃんは可愛いワンちゃん」
ふふふ、とおばばが笑った。
「でも可哀相ね、あんな変質者と同じ名前つけられたなんて。ルーちゃん?」
「ルーちゃん……」
ばたっ、とおばばがまたテーブルに身を伏せた。ぐふぐふ笑っている。
ウィルフレッドはひたすら、犬から目を逸らしている。
「一緒に舞台に出ますか?」
「ううん。やめておく」
店主の言葉に、ティラミスはしかし首を振った。犬が顔を上げる。ティラミスはそっ、と頭をなでてやった。
「この子ちょっとびくびくしてるし……人前に出すの可哀相みたい。静かな所で休ませた方が良いんじゃない?」
「披露しなくても良いのですか? それをやるなら、歌に出なくても良いのですよ」
「あれ、そういう話だったの? んん、でも良いや。
ほら、ルーちゃん。怖がらなくて大丈夫。お利口ね……ちょっと人が多くて、怖いのよね。
紅さんがすぐ、静かなところでおねんねできるようにしてくれるからね?」
おばばがまたもや、げらげら笑いだした。
犬は、なぜかティラミスから目を逸らした。
「あなたがそう言うのなら、まあ。それで良いですけどね」
店主が言い、グラスにピッチャーの中身を注いだ。泡が立っている。
「あ、さっきの炭酸水?」
ティラミスは首をかしげた。さっきより、泡のたちが悪い。
「気が抜けちゃった?」
「そうですねー……」
「炭酸水?」
おばばはグラスに注がれた液体を眺め、眉をしかめた。
「紅どの。なんじゃ、これは」
「重曹とレモン汁を水に入れました。簡単なスポーツドリンクみたいなものです」
「なんだってそんなものを」
おばばが言いかけ、ティラミスを見て口をつぐんだ。
「スポーツドリンクじゃな」
「ええ」
ウィルフレッドがうさん臭そうな顔で、グラスを眺めている。
「飲めるのか、これ?」
「ほとんどが水です」
そう言うと、店主は自ら飲んで見せた。
「ふむ」
おばばがつぶやき、自分もグラスに注いで飲んでみる。
「お?」
目を丸くしてから、呆れたような顔になった。
「紅どの。貴重なしずくをこんな風に使うとは……」
「そのつもりはなかったのですが、……役には立ちました」
そう言うと、店主は犬をちらりと見た。おばばは、ああ、という顔をした。
「サー。こりゃ、貴重な飲み物じゃ。飲んでおけ」
そう言って、ウィルフレッドにすすめる。男は不審げな顔をしていたが、グラスに注いで一気にあおった。その顔が、驚きに彩られる。




