18
突然もたらされた情報に、頭の中をフル回転にして整理する。
なんとなく概要がつかめた俺は、ふと疑問に思ったことを口にした。
「何で助けてあげなかったって、昨日言ってたけど。俺たちに、どうして欲しかったの?」
全ては秘書課内のことだから、俺達に手を出す事なんて出来ないけど。
遥ちゃんは困ったように首もとを手で押さえる。
「酔った私ってば、本当になんて事を言うのか。すみません、気になさらないでください。その、異動してから久坂先輩大変そうだったので、なんでもっと周りは助けてくれないんだろうって思って」
あぁ、そっちの助け、だったわけか。
「そんなに大変そうだった?」
確かに報告書には苦労していたけど、あとはそつなくこなしていた気がする。
遥ちゃんは頷くと、指先でグラスに触れた。
「大変そうでした、よ? 慣れない職務内容に、自宅で勉強してましたし」
「そうなんだ」
全然知らなかった。
確かに大変そうだったけど、会社で憂さを晴らしていたような……いやいやいや。
「もし、何かなさるのでしたら私も巻き込んでください。言いっぱなしで知らん顔は、嫌なので」
遥ちゃんはそう言うと、残っていたグラスの中身を空けた。
そのまま立ち上がる。
「あ、俺も……」
慌てて同じ様に立ち上がると、会計を済ませて外に出た。
「とりあえず、もう少し詳しく調べてみようと思うけど……。遥ちゃん」
歩き出した彼女の横に並びながら、随分と下にある遥ちゃんに目を落とす。
頭のつむじが全開に見えてます。
「なんですか?」
遥ちゃんは聞こえにくそうに首を逸らして、真上を見るかのように俺を振り仰ぐ。
その姿に申し訳なくなって、ちょっと……と彼女を少し先の公園に促した。
もう暗いのに、それに逆らわずについてくる遥ちゃん。
あのね、少しは警戒した方がいいよ? と、やってる本人が内心ぶつぶつ言っているのは内緒。
くるりと辺りを見渡して、丁度いいものが目に入った。
「こっちきて」
手をひらひらさせて呼ぶと、なんだろうと首を傾げながらついてくる。
公園の脇にあるコンクリの壁の前に来た俺は、遥ちゃんの両脇に手を入れてよいしょと呟きながらその上に座らせた。
「えっ、なっ……なんですか?」
いきなり引き上げられた事に加えて、視界の高さが変わって驚いたのだろう。
びっくりして目を丸くしている、その表情が可愛い。
俺はその前に立って、彼女の目を見た。
同じ、目線。
身長差がどうしてもあるから、座っていても立っていても合う事はない目線。
真正面から、初めて彼女を見る。
「なんで、教えてくれたの? 久坂の事」
いきなり、あっさりと言ってくれた久坂の異動理由。
俺が遥ちゃんを騙して聞き出そうとしていた内容。
最初警戒されたのに、いつの間にかあっさりと教えてくれた。
遥ちゃんは驚いていた表情を少し元に戻すと、あぁ、と呟いた。
「久坂先輩のことを話す佐木さんが、真剣だったから、ですかね」
「真剣?」
久坂の事をって、遥ちゃんにちゃんと伝えようと会社のことを話した時か?
遥ちゃんは頷いて、話を続ける。
「確かに騙されて嫌な思いもしましたが、もし初めから聞かれていたら私言わなかったかもしれません」
「え?」
「だって、いきなりそんな事聞かれたら、久坂先輩のことを考えて言いたくないですから」
確かに、数回しかあってない俺を信じてって……難しい話だったか。
「……でも」
少し間を空けて口を開いた遥ちゃんは、いつものようにふわりとした笑みを浮かべていて。
「佐木さんが優しいの、知ってますから。電車の中でも、さっき荷物をぶちまけた時も。なんでもない顔で助けてくれるの、本当に嬉しいから」
目を細めて笑う遥ちゃんは、大人っぽいと言うよりやっぱり幼い雰囲気だけれど。
その笑みに、目が釘付けになる。
「それに……」
遥ちゃんは自分の座る壁を右手で撫でて、それに、ともう一度言った。
「ここまでして、私と目を合わせて話してくれたの、佐木さんが初めてです。だから、佐木さんの言葉を信じます。さっきの事も、もう忘れます」
「……」
その言葉に、思わず土下座したくなった。
騙すなんて卑怯なやり方をしようとしたのに、信じるって言ってくれる。
その言葉は、なんて優しいんだろう……。
「ありがとう」
少し鼻声に聞こえるけど、そこは流してください。
「でも、遥ちゃん。何か、お詫びさせて」
「え? お詫び?」
いきなり出てきた言葉に、遥ちゃんが不思議そうに首を傾げる。
遥ちゃんの言葉に、思いっきり深く頷く。
「最初に騙そうとしたの、俺だし。何か、お詫びさせて? それで、許してくれると嬉しい」
じゃないと、おっさん気落ちしたまま眠れなさそう。
こんな可愛い子、騙そうとしたなんて。
困ったように俺を見ていた遥ちゃんが、ぽんっと両手を合わせた。
「ペナルティ、ですね?」
「……」
その顔は、満面の笑みで。
なんで、そんに嬉しそうなの遥ちゃん。
ペナルティと言う言葉に、変な意味を植え付けてしまった気がするよ……。
遥ちゃんはにこにこ笑って、右の人差し指を立てる。
「佐木さんも、名前呼びっていかがですか?」
「は? 俺の名前?」
呼んでくれるの?
それ、俺的全然ペナルティになんないんすけど!
「……あ」
昂ぶりそこなった感情が、途中でしぼむ。
思わず顔に出していたようで、遥ちゃんが不思議そうに俺の顔を覗きこんだ。
「佐木さん?」
「……はると」
「え?」
「はると」
もう一度言ってから、靴の爪先で地面の砂に名前を書く。
「悠斗って書いて、はると。遥ちゃんと一字違いなんだけど、……呼べる?」
「あ」
気付いたようで、立てていた右の人差し指で、頬をかいている。
「悠斗さん、です、か」
困ったようなその表情に、さすがに俺も二人以外の時に呼ばれたら恥ずかしいよな、と内心思う。
遥ちゃんはそれじゃあと、頬をかいていた指を下ろして俺を見た。
「じゃ、何か分かるまで私と会わないって、どうですか?」
「へ?」
遥ちゃんと、会わない?
何、そのペナルティ。
俺が遥ちゃん気にいってるの、ばれた?
ていうか、何気に遥ちゃんも女王様?
思わず顔が赤くなりそうなのを、平常心平常心と頭の中で念じてなんとか抑える。
「それは、どういうこと、だろう?」
途切れ途切れに聞いた俺の言葉が面白かったのか、遥ちゃんが小さく噴出す。
「だって、凄く分かりやすいんですもの。佐木さん」
「分かり、やすい?」
だらだらと、背中を汗が流れていく。
何が? 分かりやすい? 何が?
遥ちゃんは笑いを抑えようと口元に手を当てながら、だって……と言葉を続けた。
「佐木さん。電車の中で私を周りから守ってくれてる時……、かなり自分に酔ってますよね?」
「……っ!」
その言葉に、思わず仰け反った。
一気に頬に、血が体中いたるところから駆け上ってくる。
「うっうあっ、えっ」
言葉にならない声に、右手を拳にして口に当てた。
遥ちゃんはくすくす笑いながら、目を細めた。
「だって、いつも楽しそうなんですもの。佐木さん。私とっていうか、あぁいう状況のご自身に酔ってるのかなぁと」
「なっ、だっ」
なんで気付いたんだぁっ!!
焦りながら、なんとか口を開ける。
「いや、ちょっと待って。それはその、相手が遥ちゃんだから……っ」
「またそんなこと」
くすくす笑って、手をひらひらと振る遥ちゃん。
待って! 俺の言葉信じるって言ってくれたよね!?
ここ! ここ、信じるところだから!!
……遥ちゃんは、俺の言葉を流す事にしたらしい。
「じゃ、そんな佐木さんの楽しみを、少しの間お預けってことで。私にとってもペナルティですよ、電車の中、佐木さんと一緒なら潰されなかったのにな」
「じゃあ、それは止めってことで……」
「いえいえ、きっと脳内乙女の佐木さんには、一番のペナルティだと思います。久坂先輩に、いい事聞いちゃったな」
……うん。
思い込んでいた遥ちゃんのイメージが、自分の中でいい意味で崩れたの、とか。
なんか前より、少し近くなったんじゃないか、とか。
いい事もあったけどさ。
ペナルティ、変えてもらえませんかね……という意味をこめて、目の前の遥ちゃんを見つめたら。
楽しそうに見返してくる表情が、とても可愛くて。
俺は何も言えなかった。
――久坂ぁぁぁっ!!