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「何か言ったかしら、変態」
しおらしかったはずの久坂の目が、ぎらり、と光る。
俺は少し顔を引き攣りながらも、それそれと苦笑した。
「久坂のデフォは強気なんだからさ、恥ずかしいとかそんなことを思わずに井上さん頼れよ」
井上さんは、懐の深い人だぞぉ。
お前からいけば、絶対に受け入れてくれる。
「強気なら、一人でやりぬくんじゃないの?」
葛西が不思議そうに首を傾げるもんだから、思わず口元が緩む。
いつも冷静な表情でメガネ掛けてるこいつに、そんな可愛らしい仕草されても。
「強気で、何でも吸収していけ。知識だって経験だって、強気じゃなきゃ自分のものにはならないんだよ。恥ずかしいのなんて、ほんの一瞬」
「でも……」
「でもじゃない。大体秘書課と商品部が同じ職務内容なわけないんだから、新人と同じなんだ。最初だけだぞ教えてくれるのは。付け焼刃で乗り切ったって、いつか必ず壁にぶち当たる。なら、今のうちにたくさん恥かいて自分の糧にするんだな」
久坂の言葉を遮って、ここ数ヶ月思っていたことを全て言い切った。
言っている事は全て正論、所詮きれいごと。
久坂の気持ちも、分かる。
既に入社五年目。新人と同じ立場になんて、分かっていても立てるわけがない。
感情は、そう上手くいかない。
けど、だからこそ。
「馬鹿になればいいんだよ」
な? と、俺が言うと
「そ。馬鹿になるって、結構大切なものなんだよ。佐木の言いたいこと、分かってくれるかな?」
後ろから、ぽんっと肩を叩かれて固まった。
「……」
割り込んできた第三者の声に、思わず三人とも振り向いた。
そこには、一人の男性社員。
「井上さん……」
同じ事業部の、井上さんが俺の後ろに立っていた。
いつの間に、と思いつつ俺と葛西は固まったままで。
流石に反応が早い久坂は、慌てて立ち上がった。
「井上さん、あのっ……」
口を開いた彼女を、井上さんは片手を前に出す事で止める。
「分かってくれたなら、もういいよ。君の立場は理解しているつもりだから、ね?」
そう言うと、にっこりと温和な笑みを浮かべる。
久坂は一瞬口を結ぶと、頭を下げた。
「ありがとうございます」
「気にしなくていいよ。それよりもさぁ、とりあえず三人に伝えるね?」
途中から全員に向けられた言葉は、とてもとても破壊的でした。
「午後の業務とっくに始まってるんだけど、気付いてる?」
特に葛西君、そう笑う井上さんは腕時計を俺たちに向けていて。
そのデジタル表示は、一時半を点滅させていた。
午後は、一時から。
「……」
一瞬シンと静まり返った俺達は、葛西が勢いよく立ち上がった音に弾かれるようにドアへと駆け出した。
「悪い、お先!」
葛西は、全力疾走でドアを抜けていく。
情報管理課は休憩が交代制。あいつの後に休憩に入る社員が、待っているはず。
「葛西君は巻き込まれちゃったのに、かわいそうにねぇ」
井上さんがのほほんとした顔をして、俺達の後ろをついてくる。
「もっと早く迎えに来てくださいよっ!」
そう叫ぶと、
「これでも早かったんだけどなぁ、あと十分で部長が外回りから戻ってくるから来てあげたのにぃ」
廊下をかける足に、思いっきり加速がつく。
途中久坂は事務課に用があるとかで、階段を下りていった。
俺は井上さんと共に、エレベーターを待つ。
階段で行こうとしたら、老体に鞭打つ気か、と強引に引き戻された。
上から降りてきたエレベーターに乗り込んで、五階のボタンを押してちょっと息をつく。
「佐木、久坂にやる気を出させてくれてありがとな」
「え?」
壁に背をつけて、井上さんが俺を見た。
「たいしたこと言ってないですよ。とりあえず同期なんで、久坂の事お願いしますね」
井上さんは俺の言葉に頷くと、にやりと口端を上げた。
それに眉を顰めると、井上さんは楽しそうに笑う。
「で? お前は、どこまで馬鹿になってるわけ?」
「は?」
「さっきの話。馬鹿になればいい……なら、お前の本気はどこにあるんだ?」
思わず真顔で、井上さんを見返す。
そのままでいたら、いつの間にか五階についてドアがゆっくりと開いた。
開くのボタンを押して、先に外に出てもらう。
続いて廊下に出て、肩を竦めて笑った。
「俺は、元々馬鹿ですよ」
そう言ってにっこりと笑う俺に、井上さんは面白そうに目を細める。
「嘘吐き」
「褒め言葉です?」
「とぼけやがって。本当は残念な奴じゃないくせに」
それ以上、その事について会話はなかった。
なかなか恋愛にいかなくて、なんかホントすみません^^;