金薔薇は紅薔薇の側で憩う。
金薔薇の棘は鋭く、痛い。の続編です。
先にそちらを読んでくだされば分かりやすいかなと思います♪
エスメラルダ•ヘイラードは非凡であった。生まれ出でた瞬間余りの愛らしさに産婆が仰天し、衝動的に彼女を拐かそうとした時からエスメラルダの波乱に満ちた人生は始まる。
屋敷で働く使用人達はエスメラルダに気に入られようとお互いに足を引っ張り合い仕事にならず、
エスメラルダと出会った令嬢達はみな自分自身が彼女の1番の親友なのだと言い張り、血みどろのキャットファイトに発展した。
男性は老いも若きも既婚者も関係無く、もれなく全員鼻息を荒くしてエスメラルダに愛を捧げ。
彼女の家庭教師達は1を知れば100を理解するその桁違いの聡明さに、もはや宗教レベルでエスメラルダを崇めた。
そんなこんなで、彼女は高位の令嬢でありながら使用人にすら姿を見せないように身の回りの事を自分でこなし、誰にも会わないように病弱であると触れ回って深く深く部屋に引き篭もる生活を送る事になる。
もちろん彼女の両親はそんな境遇に酷く心を痛め、なんとか現状を打破しようと手を打った。しかしどの手合いもエスメラルダを奪おうとするか妄信的に信奉するかにしかならず、彼女のほうが先に心が折れてしまったのである。
自分の存在は毒にしかならない。誰の目にも触れないように、もう誰も狂わせないようにこの世から隔離して欲しい。
まだ齢五つにも満たぬ幼女が両親にそう願い、ふたりは滂沱の涙を流しながらエスメラルダを屋敷の深くに閉じ込めた。
エスメラルダ•ヘイラードは、非凡が故に孤独であった。
「はじめまして、私はスカーレット・レティウ。仲良くしてくださると嬉しいわ」
そんなエスメラルダに転機が訪れたのは、まもなく7歳になろうかという冬だった。
父の手引きでエスメラルダの前に現れたのは、朝露を受け止めて煌めく紅薔薇のような美しい少女だった。
輝くような紅玉の髪と瞳。そして一挙一動乱れの無い洗練された所作。
なるほど、この手で来たか。
目には目を、歯には歯を、美には美を。
父の苦肉の策をエスメラルダは内心で苦く笑う。父の気持ちは嬉しいが、生憎もう彼女は誰とも交わるつもりは無い。
さっさと引導を渡すべく言葉の鎌をスカーレットに向かって振り上げた。
「スカーレットさまの御髪はお名前の通り美しい紅色ですのね。まるでルビーをくしけずったかのよう。羨ましいですわ」
「まあ!ありがとうございます。私からしたらエスメラルダさまの黄金の髪こそ羨ましいですわ。キラキラ光を纏って…美しさの余り見惚れてしまいますもの」
「…嬉しいですわ。ならばぜひ、こちらを受け取って下さいませ」
エスメラルダは普段の食事も部屋でひとり済ませている。テーブルの上でツヤツヤ輝くリンゴすら自分で皮を剥いているのだ。
軽やかに伸ばされた手がフルーツナイフを掴む。そしてなんて事ないようにそれを自分の髪に押し当て、そして、一房刈り取った。
「…!!なんて事を…」
絶句するスカーレットに、髪をずいと押し付ける。
この凶行に大抵の令嬢なら悲鳴を上げて慌てふためくか、余程の恥知らずなら喜色を浮かべて髪をおしいただくか。
どちらにしろその者はもう二度とエスメラルダに近づかなくなる。
ところが、スカーレットの反応はエスメラルダの予想の範疇を超えた。
「そのような事はお止めなさい」
スカーレットの言葉は簡潔だ。
恐ろしいほどに真剣な瞳でエスメラルダをひたと見据え、言葉を紡ぐ。
「貴女は自分を傷つけたいのね。でも、止めておきなさい」
そんな事をしたって、何もならないわ。
この時エスメラルダの心深くからとてつもない怒りが噴き出した。
長年の己の苦悩を軽んじられた気がしたのだ。
衝動的にスカーレットの白い首元にナイフを突きつける。
「貴女に何が分かるの!!上っ面だけの綺麗事を並べて説教のつもり?巫山戯るな!!」
部屋の温度さえ下がりそうな緊迫感の中、でも、スカーレットはただただ静かにエスメラルダを見つめる。
嘲りでも、憐憫でも、怒りでも無い。
真っ直ぐ凪いだ、そして穏やかな瞳だった。
手に持つナイフがカタカタ揺れる。
人生で初めてエスメラルダは他者の存在に気圧されていた。
(何なの、何なのこの人は!!)
「あ…」
衝動的にナイフを向けてしまったが、本当に傷つけるつもりは無かった。しかし、不安定になった手元がスカーレットの首筋を掠めてしまった。
切れ味の良いナイフが一筋の血の道を刻む。
たらりと真紅の雫が溢れ落ちた。
「わ、私…。ぁ、あぁ……!」
自分付きの侍女が他の侍女に階段から突き落とされた時。
令嬢たちがお互いの頭にティーカップを叩き付けた時。
エスメラルダに求婚してきた男が目の前で妻に刺された時。
解任されそうになった家庭教師が逆上して自らの小指を切り落とした時。
傍にはいつもこの色があった。
カシャン。
蒼白になった手からナイフが滑り落ちる。
「そんなつもりじゃ…ごめんなさい、ごめんなさい…!!」
エスメラルダは急いで傷口に手巾を押し当てる。幸いかすり傷だ。まもなく血も止まるだろう。
それでも指先の震えが止まらない。
「そんな顔をなさらないで。驚かせてしまった私が悪いわ。ごめんなさい。」
「違う!私が全て悪いのです!!」
緑柱色の瞳から涙が溢れ出る。
「私のせいでいつも誰かが傷付いてしまうの、だから私はもう誰の側にも寄ってはいけないの」
「だから貴女は、こうして誰とも接しないようにしていたのね。話は聞いていたけど、貴女は本当にとても優しい女の子だわ」
スカーレットは手巾ごとエスメラルダの手を優しく握る。
「…あなたは私を傷つけました。そして、自分自身も、同じくらい深く傷つけたのでしょう。だから私が願うのはただひとつの約束だけです。二度と、自分を損なうような真似をしないでちょうだい」
エスメラルダの目から、堰を切ったように涙がこぼれる。
「あなたは、私を裁く権利を持っています。それでも、そんな私を……」
「私が求めているのはあなた共に笑い合う未来です」
「……そんな未来を、私に与えてくださるのですか」
「ええもちろん。だって、わたくし貴女とお友達になりたいのだもの!」
パチンッ!
イタズラげにスカーレットがウィンクをする。先ほどまでの淑女の鑑のような姿とは違う、愛嬌溢れる仕草に思わずエスメラルダは自然と笑みを浮かべた。
「改めてお願いするわ。エスメラルダさま、どうかわたくしとお友達になってちょうだい」
「…ええ、ええ!わたくしも、貴女様とお友達になりたい!…一緒に庭園でお茶を楽しんだり、編み物をしたり、好きな本を勧めあったり。色々な事をスカーレットさまとしてみたいわ!」
いくら厳しい貴族社会と言えど、エスメラルダの望みは令嬢達なら当たり前に楽しんでいる事だ。それすらも出来なかったエスメラルダの境遇を思うと心が痛む。
「ありがとう、とても嬉しいわ!ねえ、貴女の事、エスメラルダと呼んでも良いかしら?」
「もちろんです!…あの、わたくしも「お姉さま」と呼んでもいいかしら…?」
「ええ!嬉しいわ、お友達と妹が一緒に出来たみたいね」
(お友達で、お姉さま!わたくしに、そんな人が出来るだなんて…!!)
この命が尽きるまで誰とも関わらず、ひとりきりで生涯を終えようと思っていた。
本当はまだ恐い。突然スカーレットの態度が変わるのではないか、もしくは何者かにスカーレットが傷つけられるのでは無いか。
でも、今だに握られた手の温もりがそんな不安を和らげてくれる。
(ありがとうお姉さま、わたくしに未来を与えてくれて。世界を信じさせてくれて)
お礼にもならないけれど、何かあったら必ずやお姉さまを助けてみせるわ。
そのためには知識を得よう、力を得よう。
(まずはお父様に師事して、この世界の事を学ばなくては。そうね、いっそ補佐官になっても良いかもしれない)
この後エスメラルダはメキメキと頭角を顕わし、覆面の凄腕補佐官としてモリスをブンブン振り回す勢いで領地に革命を起こしていく。
もうひとつ良い変化があった。スカーレットと心を交わして以来、自分が姿を現しても周りが過剰に反応する事が少なくなったのだ。
やはりその美しさに身惚れはするものの、狂気じみた好意を押し付けて来ようとはしない。
社交界に出るつもりはないが、屋敷の中なら自由に過ごせる。今までの事を思えば天国である。
(ああ、世界はこんなにも息がしやすく、美しかったのね)
スカーレットが王太子の婚約者に選定された時は、むしろ当然とぐらいに受け止めた。国で1番尊い女性になるのはスカーレット以外に考えられない。王太子のぼんくらさに少々不安を感じたが傀儡にするには逆にちょうど良いだろうくらいに思っていた。
それがまさかあんな事になるとは。
『親愛なるスカーレットお姉さまへ
まずは皇太子妃就任おめでとうございます!
お姉さまの素晴らしさは国を渡っても色褪せないのですね。さすがお姉さまだわ!
わたくしはお姉さまが居ないこの国に慣れる気がしません。そんな事を言ってては困らせてしまうでしょうから、わたくしがこの国を治めることにしました。お姉さまが胸を張って故郷であると言えるような国にしていく事をここに誓います』
百花咲き乱れるヘイラード家のタウンハウス。
美しい四阿で香り高い紅茶を口にしながら、エスメラルダは真っ白な便箋にペンを走らせている。時折り悩ましげに唇を尖らせる姿は、つい昨晩王子から玉座を奪ったとは思えないほど可憐だ。
普段ならその愛らしさに釘付けになっている侍女達は今日ばかりは皆顔色悪く、疲労感を纏っている。
「やあ、エスメラルダ。ようやくお客様方がお帰りになったよ…」
屋敷からヨロヨロと出てきたモリスは、気怠げにエスメラルダの向かいに座る。
実はあの騒動の後、エスメラルダに釣り書きを送ってきた貴族達が怒涛の勢いで屋敷に向かってきたのだ。
それも無理は無い。釣り書きを送ってきたという事はエスメラルダがメイベルに劣ると言ってきたも当然なのだから。
ところがどっこい。王太子妃になるどころか次期女王として選ばれたのである。
もう冷や汗どころじゃ無い、下手したら一家断絶のとんでもない不敬である。
陳謝の列が屋敷を取り巻く。その対応に上から下から不眠不休でおおわらわ、という訳である。
ちなみに、エスメラルダはしっかりぐっすり眠りましたとさ。
「今この屋敷で元気なのはエスメラルダとダイアンだけだよ」
「まあ!いじわるなお父様。あの場にわたくしが顔を出したら余計に酷いことになってましたわよ。娘と息子が安らかである事を喜んで下さらなくっちゃ!」
「む、確かに我が家の天使達たちに隈なんか似合わないからね!君たちの安眠は私に任せておくれ!」
ドン!とモリスが調子良く胸を叩く。
そんな姿に笑みを溢していると、屋敷から母と弟も出てきた。
「おねぇちゃま!」
「まあ、私の可愛い天使さま!ご機嫌はいかが?」
「ごきげんうるわしいです!」
ダイアンはスカーレットの婚約破棄騒動が起こる直前に産まれた。
ほとんど顔を合わせる機会を持てなかったが、ありがたいことに姉としてとても懐いてくれている。
今もエスメラルダの膝に抱きついて甘えていたダイアンだが、その顔が不意に翳った。
「ボク、やっぱりごきげんうるわしくないです…」
「まあ!どうして?」
「だって、おねぇちゃまはもう少しでおねぇちゃまじゃなくなっちゃうんでしょ?」
その言葉に、モリスとエメリンダの顔も翳る。
次期女王になると言う事は、ヘイラード家の籍を抜け王家の養子になると言う事だからだ。
ぐずぐずと鼻を鳴らすダイアンの柔らかい金髪を撫でる。
「その通りよダイアン。でもね、どうか悲しまないで。これは私の大事な人のためにどうしても必要なの」
愛しい弟をしっかり抱きしめる。
「その中にはもちろんダイアンもお父様お母様も入っているのよ。あなた達がいつまでも笑顔で過ごせるように、おねえちゃまは頑張りたいの」
スカーレットがバカ王子から婚約破棄されたと知り、エスメラルダは怒った。そりゃもう怒り狂った。
(侍女たちは瘴気に当てられてバタバタ倒れたし、モリスは十字を切って嵐が過ぎ去るのをひたすら神に祈った)
と同時に、この国が一気に波乱の道に傾いた事を察した。
もし国に何かあれば王家の血を継ぐ自分達は矢面に立たされる事になるだろう。
産まれてきたばかりの弟ももちろん例外無く。
そうなればやる事はひとつだ。
レティウ公爵一家の亡命の手引きをしながら父と馬の尻を蹴飛ばし王都へ乗り込み、秘密裏に両陛下に拝謁したエスメラルダは王子の廃嫡(出来るなら処分も)と自分の立太女を迫る。
地震、疫病、他国との軍事的緊張。
この国に困難が降りかかる度、辺境から届く的確なアドバイスが何度も国を窮地から救ってきた。国王夫妻は、その功績のほとんどがエスメラルダのものだと知っている。
下手な対応を取れば、火の玉のようにゴウゴウと怒りに燃えている彼女自体が国を焼き尽くすだろう。
現王クロードは国を守る決断を下そうとした。
それを懇願して押し留めたのは王妃だった。国で最高の位を持つ女性が(あくまで)辺境伯家の令嬢でしかない小娘に頭を下げる。さすがのエスメラルダもそれを無碍には出来ず、あの3つの課題に繋がったのである。
我が母ながら私に甘々で困るなあ。
王子はそうごちていたが、それは実に的を得ていたのだった。
(王妃殿下の愛情の深さは嫌いじゃないわ。お父さまとお母さまだって大概だし)
悲しみを滲ませてる両親をしっかり見上げる。
「お父さま、お母さま。最後までワガママな娘でごめんなさい。でもどうか笑って送り出して下さいませ」
「当たり前だろう」
「どうか最後だなんて言わないでちょうだい。籍が抜けても貴女は私たちの娘であることは変わらないわ。だからこれからも沢山私たちを頼ってちょうだいね」
暖かくて優しい二対の腕に抱きしめられ、エスメラルダは気づかれないようにそっと涙をこぼす。
後悔も不安も悲しみも無い。
ただちょっと寂しいだけ。
どちらにしろ成長した雛は安寧の巣から飛び立たねばならぬのだ。
(お姉さまが拡げてくれた世界を、私は絶対に守り通すのよ)
そして、いつかそれが、かつて自分が狂わせてしまった人たちを優しく包み込みますように。
ーーー3年後、歴史上でも数少ない立太女の儀が執り行われる。
世界を照らすかのような燦然と輝く大輪の金薔薇の姿に、貴族も平民もみなが神性を感じ、この国に永き平安を齎すことを確信した。
いつかもエスメラルダの頂を飾った宝冠は相変わらず眩く輝く。
隣国からの来賓席。そちらに座る美しい紅薔薇も万感の気持ちで祝福の拍手を送る。
(エスメラルダ。貴女はきっと誰よりもこの世界に愛され、そして愛する事が出来るわ。どうかその事を忘れないでちょうだいね、愛しい子)
伴侶である隣国の王太子が流れる涙を拭ってくれる。その手が優しくて嬉しい。
無事に隣国に渡れたからこそ手に入れた温もりだ。
エスメラルダはスカーレットに助けられたと言うが、スカーレットもエスメラルダに幸せを運んでもらったのだ。
なんともめでたい慶事に国中が浮き足立つ。
その地鳴りも届かぬ僻地に、ひっそりと住む令嬢がいた。なんでも王都での暮らしに心を病み
親戚の伝手を辿って療養にきているらしい。
その令嬢は毎日欠かさず散歩をしている。
王都から連れてきた、ひどく毛並みの良い『犬』を従えて。
ガチャガチャと鉄の首輪が不協和音を立てる。
決して視線を合わせぬように村人たちが俯く中、その令嬢だけがいつかのようなドロリ、と蕩けた笑みを湛えていた。
まさかの王子、わんわんおEND (∪^ω^)
【蛇足】
魔法とかギフトとかの概念がない世界の話ですが、エスメラルダとメイベルは『魅了』の持ち主です。
特にエスメラルダは桁違いの魅了魔法の持ち主なので自分の力を制御しきれず大変な幼少期を過ごしました。
スカーレットと出会った事で無意識に自分でコントロール出来るようになったのです。
魅了フルスロットルのエスメラルダに理性的に接する事ができたスカーレットがしゅごい…。




