『鳴らないガラクタ』と嗤って私ごと国宝を捨てた王太子へ――時を止める懐中時計を直せる調律師が、あなたたちの罪を全部見せてあげます
「治癒も攻撃もできない聖女など不要だ」
目の前で、金髪の美青年が心底うんざりした顔でそう言い放った。
──えっと。私、召喚されてまだ三十分くらいなんですけど。
時任詩織、二十八歳。職業、時計職人。ついさっきまで、嵐の夜に祖父の遺した修理店で古い懐中時計をいじっていたはずだった。それが雷の一閃とともに、気づけばこの大理石だらけの豪華な広間に立たされていた。
「鑑定の結果、あなたのギフトは【調律】。『壊れた物を直す』能力です」
ローブ姿の神官が、憐れむような目でそう告げたのが数分前。
そして今。
「聖女召喚の儀式で、まさかこんなハズレを引くとはな」
王太子ラウル・レガリア──とかいうらしい──が、扇で口元を隠して鼻で笑う。その隣で、豪奢な巻き髪の令嬢が、扇の陰でくすくすと肩を揺らしていた。
「戦えず、癒せもしない。物を直すだけ? そんなもの、そのへんの鍛冶屋で十分でしてよ」
甘ったるい声。周囲の側近たちも追従して笑う。
なるほど。手のひら返し、と。召喚された瞬間は「聖女様」だったのに、判定ひとつでこれですか。人間、変わり身が早い。
「無能を召喚した責任は取ってもらう。だが我が国に無能を養う余裕はない。──連れて行け」
衛兵が両脇から私の腕を掴む。
「あの、帰る手段は?」
「知らんな」
「補償は?」
「無能に払う金などない」
即答である。
補償なし。帰還手段なし。元の世界の私の店、鍵開けっぱなしなんですけど。ブラック召喚もいいところだ。
私は内心で盛大に毒づきながら、それでも顔には出さず、ただ静かに眼鏡を押し上げた。
喚いたところで、この手の人間には響かない。それは元の世界で、腕を認められず値切られ続けた二十八年間でよくわかっている。
ただ一つ。引きずり出される寸前、私の腕にはあの懐中時計がしっかりと握られていた。召喚のときから、なぜか手放せなかった古い時計。
「そんなガラクタまで抱えて。みすぼらしいこと」
令嬢が笑う。
ガラクタ、ね。
──この人たちは、まだ知らない。
この『鳴らない懐中時計』が、いずれ彼らの時間ごと止めることになるなんて。
◆
側近たちが去り、広間には王太子ラウルと令嬢セレスティアだけが残った。
「うふふ、いい気味ですわ、ラウル様。あんな野暮ったい女が聖女だなんて。わたくしという本物がいるのですもの、不要に決まっていますわ」
「まったくだ」ラウルは玉座の縁に腰を下ろした。「召喚陣は本来一人しか呼べぬはず。それが手違いで二人。片方が当たりで、片方が大外れ──実に運がいい」
セレスティアの手のひらが、ほのかに光を放つ。癒やしのギフト。少なくとも、周囲はそう信じている。
二人は知らない。その『治癒』が、鑑定を欺いて手に入れた張りぼてに過ぎないことを。
「ところで、あの女が握っていた古時計。鑑定に出したのだったな」
「ええ。神官が『鳴らないただのガラクタ』と。宝物庫の隅に眠っていたものらしいですけれど、価値なしですって」
「ふん。ならば女ごとくれてやればいい。ゴミにはゴミがお似合いだ」
宝物庫の目録には、こう記されていたはずだった。
──『時凪の懐中時計』。奏でられし旋律により、その場の時を止めるとされる国宝級魔導遺物。ただし数百年来、誰も鳴らすことあたわず。
誰も。そう、この国の誰一人として、それを直せなかった。
壊れた物には、壊れた理由がある。それを聞いてやれる者が、たった一人だけ、いま王都を追われていくところだった。
グラスの合わさる音が、高い天井に響く。その音が、後の破滅の合図だとも知らずに。
◆
王都の門から放り出されて、半日。
路銀ゼロ。地図なし。土地勘なし。おまけに日が暮れてきた。
「……野宿かあ」
異世界転移、初日にしてこの詰み具合。ゲームだったら難易度設定を疑うレベルである。
「おい、そこの」
低い声に振り返って、思わず息を呑んだ。
身の丈二メートル超。褐色の鱗に覆われた腕。片目に走る古い傷痕と、こちらを射抜く黄金の隻眼。
竜人だ。しかも、めちゃくちゃ強面。
「王都から歩いてきたのか。その様子だと、追われたクチだな」
「……ご明察です。聖女召喚とやらでこっちに来て、ハズレギフト判定で即追放。補償なし帰還手段なし。ブラックにもほどがありますよね」
竜人の眉がわずかに動いた。
「ギフトは」
「【調律】。壊れた物を直す、それだけの能力だそうです」
自嘲気味に言うと、彼は──ガルドと名乗った──しばらく黙って私を見下ろし、それから短く鼻を鳴らした。
「戦えないだと?」
ほら来た。また嗤われる。
「……ええ。どうぞ、笑ってください。慣れてます」
身構えた私に、ガルドは言った。
「直せるなら十分すぎるだろ」
……え?
「この国にはな、壊れて誰も直せねえまま眠ってる魔導具が山ほどある。折れた聖剣、崩れた結界石。直せる奴がいりゃ喉から手が出るほど欲しい。それを『戦えない』の一言で捨てるとは、王都の連中はよほど目が腐ってやがる」
仏頂面のまま、彼は顎で街の奥を示した。
「うちはしがないギルドだが、飯と寝床くらいは出せる。仕事があれば、だがな」
──ああ、そうか。
祖父が言っていた。『壊れた物には壊れた理由がある。それを聞いてやるのが職人の仕事だ』と。
この人は、私の仕事の価値を、初対面でまっすぐ認めてくれた。二十八年間、値切られ続けた私を。
「……お世話になります」
眼鏡を押し上げて、私は頭を下げた。声が少し、掠れていた。
ガルドはそっぽを向いて、ぼそりと言った。
「腹、減ってんだろ。行くぞ」
その大きな背中を追いながら、私は決めた。この地味な力で、生きていってやろう、と。
◆
「詩織さん、また“無理”って言われてた品、直しちゃったんですか!?」
栗色の三つ編みを揺らして、ノーラが目を丸くした。ギルドの新人受付嬢で、私にできた初めての友人だ。
作業台の上には、たった今調律を終えた魔導ランプ。何十年も光を失っていたそれが、今は柔らかなオレンジの光を灯している。
「壊れた理由さえわかれば、たいていのものは直りますよ」
私は淡々と答えて、次の依頼品に手を伸ばした。
ガルドのギルドに拾われて、ひと月。私の【調律】は、この街で静かに評判になり始めていた。
「すごいすごい! このランプ、何十年も光らなかったのに! みんなにも教えなきゃ!」
最初は「戦えない聖女(笑)」と侮っていた冒険者たちも、今では違う。
折れて捨てられた聖剣が、私の手の中で継ぎ目もなく蘇ったとき。村を守る結界石がひび割れて魔物が入り込んでいた事件で、誰もが「もう作り直すしかない」と諦めていたそれを、半日で修復してみせたとき。
連中の目の色が変わった。
「なあ調律師さん、これも見てくれねえか」
「うちの村の水路の魔導ポンプが……」
「金は出す! 頼む!」
作業台の前には、いつしか行列ができていた。
壊れた物には、壊れた理由がある。錆び、歪み、疲労、無理な力。一つひとつ声を聞いて、あるべき形に戻してやる。それだけ。でも、それだけのことを、この世界の誰もできなかった。
「ふん。行列で通路が塞がってんぞ」
カウンターの奥から、ガルドの仏頂面が覗いた。文句を言いつつ、依頼票をきっちり整理して回してくれているのは彼だ。
「ガルドさんったら、ほんとは詩織さんの評判が広がって嬉しいくせに」
「うるせえ」
「あ、そういえば昨日、猫の赤ちゃんが生まれたとき、ガルドさんカウンターの下で泣いて──」
「……ノーラ。それ以上言ったら、今月の給料からハンカチ代を引くぞ」
いい人たちだ。王都で捨てられたときは絶望したけれど……案外、悪くない。
──そう思っていた矢先だった。
私の作業机の隅で、ずっと沈黙していたあの懐中時計が。かちり、と。数百年ぶりに、時を刻み始めたのは。
◆
それは、まったくの偶然だった。
依頼が一段落した夜、私はふと、机の隅の懐中時計を手に取った。召喚のときから握りしめていた、祖父の遺品。
この一ヶ月、無数の魔導具を直してきた手が、勝手に理解していた。この時計は──もう、直っている。いつの間にか。私が触れて、磨いて、ゼンマイを整えるうちに。
蓋を開けると、内側に小さな音叉のような機構があった。指先で、そっと弾いてみる。
──ちり、りん。
澄んだ旋律が、夜の作業場に響いた。
その瞬間。世界が、止まった。
窓の外、飛んでいた夜蛾が空中で静止していた。ランプの炎が、揺れたまま凍りついている。零れかけたインクの雫が、宙で丸いまま留まっている。
音も、風も、すべてが。
「……嘘でしょ」
私の声だけが響いた。動けるのは、私だけ。
もう一度、音叉を弾く。
──ちり、りん。
時が、動き出す。夜蛾がふたたび羽ばたき、炎が揺れ、インクの雫が机に落ちた。
呆然と立ち尽くす私の脳裏に、王都で聞いた神官の声が蘇る。
『鳴らないただのガラクタ』
ガラクタ、ね。
手の中の懐中時計を、私はまじまじと見つめた。
──『時を止める旋律』。
つまり私の【調律】は、モノを直すだけじゃない。壊れた物を『あるべき姿』に戻す力。ならば、乱れた『時』そのものだって──
背筋が、ぞくりとした。
王都の連中は、これを『鳴らないガラクタ』と鑑定して、私ごと捨てた。国宝級の魔導遺物を、本物の使い手ごと。
「……壊れてたんじゃない。あなたを鳴らせる人が、いなかっただけ」
私は静かに時計を閉じた。
そのときは、まだ知らなかった。この力を、私が本気で使う日が──思ったよりずっと早く、やってくることを。
◆
その報せは、慌ただしい馬蹄の音とともにやってきた。王都から、王家直属の使者。
ギルドの粗末な扉を蹴破る勢いで飛び込んできた騎士は、私を見るなり床に膝をついた。
「調律師どの! どうか、どうか王都へお越しください!」
「落ち着いてください。何があったんです」
「王都は疫病が蔓延し、古代結界の崩壊で魔物の氾濫が! 国は崩壊寸前です! 聖女セレスティア様の治癒が、まったく効かぬのです!」
ああ、なるほど。偽物だったんですね、あの令嬢のギフト。……薄々、感づいてはいましたけど。
「王太子殿下は、あなた様を──『壊れたものを蘇らせる調律師』を、国中を挙げて探しておられました。どうか、国をお救いください!」
国を、救ってくれ。私を『無能』と嗤って、補償なし帰還手段なしで放り出したあの人たちが。
私はカウンターに肘をつき、ゆっくりと眼鏡を押し上げた。
「一つ、確認させてください」
「は、はい!」
「私を召喚して、ハズレ判定して、追放したのは──王都の、王太子殿下ご一行ですよね?」
騎士が、言葉に詰まる。
「補償なし。帰還手段なし。『無能に払う金などない』と。そう、はっきり言われました」
「……」
私は、ふっと笑った。喚くでもなく、詰るでもなく。ただ、事実を確認するように。
「私、あのとき確かに戦力外通告を受けて、辞めさせていただいたはずですが?」
静寂。騎士の顔が、みるみる青ざめていく。
「一度いらないと捨てたものを、都合が悪くなったら『やっぱり返して』。ずいぶん虫のいいお話です」
ガルドが、私の背後で低く唸った。
「……そいつら、俺が焼いてやろうか」
「ガルドさん、物騒です」
くすっと笑って、私は立ち上がった。手には、あの懐中時計。
「でも──ちょうどいい。行かないとは言っていません。ただし、私の流儀で」
喚きはしない。私はただ、時を止めて──全部、突きつけるだけだ。
「行きましょう。私を捨てた人たちに、『捨てたものが何だったのか』を、きちんとお見せしないと」
◆
大聖堂は、地獄絵図だった。
疫病に倒れた民が床を埋め、外では魔物の咆哮が響く。ステンドグラスの向こうで、王都の空が赤黒く濁っていた。
祭壇の上では、豪奢な巻き髪の令嬢──セレスティアが、汗だくで両手をかざしていた。
「なぜ……なぜ治らないの!? わたくしは聖女なのに!」
偽物のギフトは、うんともすんとも言わない。当然だ。
その隣で、王太子ラウルが顔面蒼白で立ち尽くしている。私を見つけるなり、彼は駆け寄ってきた。
「来たか、調律師! 頼む、国を救ってくれ! 望むものは何でも与える!」
「ついこの間まで『無能』と嗤っていた口で、よく言えますね」
「そ、それはっ……今はそんなことを言っている場合ではないだろう!」
私は静かに、懐中時計を取り出した。
「殿下。一つだけ、教えて差し上げます」
「な、なんだ」
「壊れた物には、壊れた理由があるんです」
音叉を、弾く。
──ちり、りん。
世界が、止まった。
倒れかけた民も、咆哮する魔物も、汗を拭うセレスティアも、縋りつくラウルも。すべてが、静止した時の中で凍りついた。動けるのは、私だけ。
私は、止まった彼らの前をゆっくりと歩いた。
「聞こえていますか、殿下。動けなくても、意識はあるはずです。時が止まっているだけですから。……ええ、その瞳の揺れが答えですね」
ラウルの見開かれた瞳が、かすかに揺れた。──聞こえている。
「では、種明かしを始めましょう」
私は懐から、この一ヶ月で『調律』し直した品々を取り出して、祭壇に並べていく。
「一つ。王家の魔導記録具。直したことで、召喚当時の記録が完全に再生されます」
壊れて放置されていたそれには、私を『調律・国宝級の使い手たりうる』と正しく鑑定しかけた神官の声と、それを『無能ということにしておけ』と握りつぶすラウルの声が、はっきり残っていた。
「二つ。セレスティア様の『治癒ギフト』の鑑定記録。改竄の痕跡。本物の鑑定を金で欺いた証拠」
「三つ。そして、この懐中時計。『鳴らないガラクタ』と鑑定して、私ごと捨てた国宝です。──ほら、こんなに綺麗に鳴るのに」
止まった世界に、私の声だけが淡々と響く。
「怒鳴りはしません。糾弾もしません。ただ、事実を、一つずつ、並べていくだけ。それが一番、効くのだと知っていますから」
私は祭壇の中央に立ち、証拠の品々を、時が動いても崩れぬよう配置し終えた。
「では──動かしますね。皆さんの見ている前で。あなたたちが本物を捨てた、その罪ごと」
音叉に、指をかける。
──ちり、りん。
時が、動き出す。
次の瞬間、大聖堂に集った民衆と貴族たちの目に映ったのは、忽然と祭壇に現れた証拠の山と、その中央に立つ地味な眼鏡の女だった。
「な……なんだ、これは!」
ラウルが後ずさる。
再生される魔導記録具から、彼自身の声が響き渡った。
『無能ということにしておけ。あの女に国宝の力など、もったいない』
聖堂が、ざわめいた。
「王太子殿下の……声だ」
「国宝? あの調律師が本物だったのか?」
「み、みんな聞きました!? 今の、王太子殿下の声ですよ! 詩織さん、本当は国宝の使い手だったんです!」
いつの間にか付いてきていたノーラが、涙目で叫ぶ。
改竄された鑑定記録が、宙に投影される。セレスティアの顔から、血の気が引いていった。
「ち、違う! これは何かの間違いですわ! わたくしは本物の聖女で──」
「では、治してみせてください」私は静かに言った。「今この瞬間も、あなたの足元で民が苦しんでいます。本物なら、できるはずです」
セレスティアは両手をかざした。震える手のひらから、光は──何も、出なかった。
「……あ、ああ……そんな、光が、出ない……」
「沈黙が、答えですね」
崩れ落ちる令嬢を、もう誰も『聖女様』とは呼ばなかった。
ラウルが、私に掴みかかろうとする。
「貴様! よくも、よくも余を陥れ──」
「陥れてなどいません」
私はその手を、そっと払った。
「私はただ、事実をお見せしただけです。壊れていたのは、時計じゃない。あなたたちの、目でした」
そして私は、民衆の方へ向き直った。ここからが、本題だ。
「皆さん、氾濫の原因は古代結界の崩壊です。ずっと、ひび割れたまま放置されていた」
聖堂の地下、崩れかけた結界石の中枢へ。私は手をかざした。
壊れた物には、壊れた理由がある。錆び、歪み、長年の疲労。数百年、誰も声を聞いてやらなかった、この国の要。
「──直します」
【調律】が、発動する。
ひび割れが逆再生されるように塞がり、失われていた輝きが結界石に戻っていく。地響き。そして、外の魔物の咆哮が──ぴたりと、止んだ。
結界が、蘇ったのだ。聖堂の窓の外、赤黒かった空が、少しずつ澄んでいく。
「……終わりました」
「空が……赤黒かった空が、澄んでいく! 調律師様が、国を救ったんです!」
ノーラの声が、波紋のように広がった。
跪き、頭を垂れる者たち。かつて『無能』と嗤った空気は、もうどこにもない。
そして、その中心で。王太子ラウルと偽聖女セレスティアだけが、真実の光に晒されて、立ち尽くしていた。
本物を、無能と呼んで捨てた愚か者として。歴史に、その名を刻みながら。
◆
後始末は、あっけないほど早かった。
ラウルは王太子の座を廃され、幽閉。偽聖女セレスティアは欺瞞の罪で裁かれた。改竄された鑑定記録という物的証拠の前に、二人の言い訳はことごとく崩れ、取り繕う言葉はもう誰の耳にも届かなかった。
そして数日後。私は、玉座の間に呼び出されていた。
「時任詩織どの。そなたは我が国を救った、真の聖女だ。国宝『時凪の懐中時計』は正式にそなたに授ける。加えて、宮廷付き筆頭調律師の位、公爵に准ずる爵位、そして──」
「お断りします」
私は、静かに遮った。玉座の間が、しんと静まり返る。
「な……なんと?」
「宮廷は、もう懲り懲りなんです」
私は、眼鏡を押し上げた。
「私を『無能』と呼んで放り出したのも、国宝を『ガラクタ』と鑑定して捨てたのも、ここにいた人たちです。栄誉も爵位も、どれだけ当てにならないか、身をもって教えていただきました」
国王が、言葉を失う。
「懐中時計は、ありがたく頂戴します。これは、もともと私が鳴らすべきものだったようですから。でも、それ以外は結構です。私は、店を持ちます。時計と魔導具の、修理店を」
祖父の店と、同じように。壊れた物の声を聞いて、あるべき姿に戻してやる。それだけの、地味で、誠実な仕事を。
「宮廷の華やかさより、私には作業台の前が性に合ってるんです」
玉座の間を出ると、扉の前で大きな影が待っていた。ガルドだ。ノーラも一緒に、そわそわしながら立っている。
「どうだった、詩織さん!?」
「全部お断りしてきました」
「ですよねー!」ノーラが笑い転げる。
ガルドは、ふん、と鼻を鳴らした。
「で。店は、どこに構えるつもりだ」
「街の片隅で。人通りが少なくて、家賃が安くて、静かなところ」
「……なら、いい物件を知ってる。隣が空いてる。俺のギルドの、隣だ」
私は、思わず彼を見上げた。
「……いいんですか?」
この強面の竜人は、耳のあたりがほんの少し赤い。
「近くにいてやったほうが、また変な連中に絡まれたとき、焼いてやれるからな」
「物騒です。……でも、よろしくお願いします。大家さん」
ガルドが、ぐっと言葉に詰まって、盛大にそっぽを向いた。
「わー! なんかいい感じですねー!」
「……うるせえ」
王都の空は、すっかり晴れ渡っていた。
◆
『時任時計・魔導具修理店』
街の片隅、ガルドのギルドの隣に、私はそんな看板を掲げた。開店初日から、行列ができた。
「調律師様の店だ! これ、直してもらえますか! うちの家宝の魔導ランプが……もう、大行列ですよ詩織さん!」
相変わらずの繁盛ぶりに、ノーラが手伝いに来てくれる。ガルドは「暇なときだけだ」と言いつつ、毎日のように顔を出しては、重い荷物を運んでくれる。
壊れた物の声を聞いて、あるべき姿に戻す。二十八年、報われないと思っていた仕事は、ここではまっすぐ人の役に立っていた。
悪くない。いや──とても、いい。
その夜。店じまいを終えて、私は作業台の前に一人、腰を下ろした。
手の中には、あの懐中時計。国を止め、罪を暴き、私の運命をまるごと変えた、祖父の遺品。
ランプの光にかざすと、蓋の裏に、細かな彫りがあるのに気づいた。今まで、汚れで見えなかった紋章。そして、その隣に刻まれた、古い文字。
──見覚えのある、名前。
「……これ」
祖父の名を、思わせる刻印だった。でも、この世界の文字で。
どうして。祖父の遺した時計に、なぜ異世界の紋章と、祖父の名が刻まれているのだろう。この時計は、そもそも──
「あなた、そもそも誰の時計だったの?」
問いかけても、時計は静かに時を刻むだけ。ちり、ちり、と。
前世と、この世界。二つの世界を繋ぐ、もう一つの謎。それは、いつか私が『調律』しなければならない、最後の壊れものなのかもしれない。
「詩織ー! まだ起きてんのか。飯、余ったから持ってきたぞ」
扉の向こうから、ガルドの無愛想な声。
「今、行きます」
私は懐中時計をそっと閉じて、胸ポケットにしまった。
謎は、逃げない。急ぐこともない。私には、この店と、温かい隣人と、確かな手がある。
ゆっくり、一つずつ。壊れた物の声を聞くように、この謎の声も、いつか聞いてやろう。
「──いい夜ですね」
看板の下で、私は小さく微笑んだ。時を止める懐中時計を、胸に抱いて。




