中洲を駆ける
昼夜にかけて中洲を駆け回るお酒の配達員・亮。横柄な黒服、理不尽な客、騒がしい職場──疲れ切った毎日を支えているのは、仕事先で出会う美人たちの何気ない笑顔だけだった。
愚痴をこぼしながらも、人の優しさに救われ、人間関係に振り回され、恋人がいるのに別の女性へ心が揺れる。そんな情けなくもどこか憎めない大学生が、歓楽街の裏側を自虐とユーモアたっぷりに駆け抜ける。
これは、酒よりも人間のほうがよほど酔わせてくる街・中洲で働く一人の配達員が見つめた、滑稽で少し切ない日常の物語。
美人は性格が悪い。そんなことはない。性格が悪いのは男と、ちょっと残念な可愛い系の女である。
美人は性格が良いまである。癒される。いい匂いもする。大変な労働の中で、頑張ろうという気持ちになるのは唯一、美人を拝めるからである。結局、それを求めるのは客も、お酒の配達員の亮も、同じなのである。
「お酒のオリバーです。配達に来ました」
「あ、お疲れ様です。そこにお願いします。空瓶もお願いします」
今日の子は声が可愛らしくて好きだ。名前が分からないから亮は、あだ名を決めてある。今日の子はおおかみちゃんと呼んでいる。由来は、高い鼻と妙に尖った目つき、そして普段は無愛想なまでのクールさにある。しかし時々、中洲の街中ですれ違いざまに挨拶をすると、驚いて笑顔を見せてくれるギャップもあるから、それも隠れた魅力である。
指定された場所に颯爽とお酒とソフトドリンクを納品し、いつも通り空瓶が置いてある中瓶ケースを、持参した空の中瓶ケースと交換する。この店は早い時間の納品なので、おおかみちゃんの他には、通称カエルちゃんくらいしか可愛い子はいない。営業開始後に納品する店では、休憩中のキャバ嬢やコンカフェ嬢を拝める。しかしそういう時間帯には、弊害もある。そう、黒服である。
19時〜
中洲第24ラインビルの2階、Red bootsの黒服はとりわけ態度が悪い。偉そう、失礼、傲慢。人を見下すタイプの悪い人間の特徴を全て兼ね備えた野郎で、彼に舐めた口を聞かれる度に亮は、一体彼は君は何を成し遂げてそんなに偉そうにできるのかと聴きたくなる。
亮が店に入りいつも通り「お酒のオリバーです」と挨拶すると、そこにはあの黒服がいた。黒服は一瞥し、無視をした。挨拶など、中洲の黒服に求めてはいけない。それは猿に確定申告を叩き込むのと同じくらい、彼ら黒服にとっては難易度の高い芸当なのである。
「早くやって」と冷たく吐き捨てる黒服に、亮はいつも通りぺこりと頭を下げる。そして入口から三歩進んで左の壁にある扉のないキッチンへと入り、銀色の台の上に納品する。この店は商品を袋から出し、並べて納品しなければ、後でクレームの電話が入る。それをハゲ上司が対応したならば、あとでネチネチと言われるので、前もって丁寧に納品するしかない。
どれだけ多くとも、商品の納品時間は20秒以内に収めて、振り返って足元にある空瓶を回収する。以前、回収していると黒服が入ってきて、「カチャカチャ、なぁ静かにできんと?」と高圧的に詰めてきたことがあるので、ここではとりわけ音を立てないことに気を配る。しかし、そこに拘って遅くなれば、きっと速度を理由にまた詰められる。遅さを理由にクレームを入れる客は多いので、このRed bootsでそこを詰められたことがないからと言って、安心はできないのだ。
納品を終えて集金の為黒服を呼び止める。その振り返った面を見るだけで反吐が出そうになるのは、きっと俺だけではないだろう。亮はそう思いながら、「お会計こちらになります」と言って、慣れた手つきでショルダーバッグのファスナーを開けて、料金が記載された納品書を手渡す。折っていいのは一度までで、折り目が二つ以上あれば、またハラスメントを受ける羽目になるのは学習済みである。
瞬きひとつせず、黒服はお金を投げ渡した。無愛想である。この男、クズである。この黒服の黒い背広を見るだけでもはや体調不良に陥りそうだ。まだコイツの黒の方が愛らしいとすら、帰り道の街かどで見かけたゴキブリに対して思ってしまった。
店に戻れば、台車に乗せられた商品と納品書を手に取り、専用のハンディでバーコードを読み込んで検品をする。
同僚の女子高生が可愛い。サボりたい気持ちもあって話しかけるが、亮に話しかけられた向こうもまんざらではなさそうだ。
亮は大学4年生の22歳なので、18歳の女子高生に仮に手を出しても、周囲はそんなにキモがらないだろうと思ってはいるが、未だに手を出そうなどとは思わない。
「それどこっすか?」
「げーpermanenteだ。こいつ嫌いなんだよなぁ」
「あーめっちゃ分かるっす。逆に好きな人おるん?」
普通の見た目なのに、妙に不慣れなギャルっぽい話し方をするのが可愛いと思う。多分、このJK今川さんのことは皆好きだ。真面目で頭が良くて、以前と異なり頑張って垢抜け、可愛いくなったと思う。そして、ちょっと抜けてるところがあって危うい。守ってあげたいなどと、甲斐甲斐しく思ってしまうのが辛いところだ。
俺には彼女がいるのに。亮はいつもその言葉が、少しの後悔と共に脳裏に浮かぶ。酒の勢いで夜を共にし付き合ってしまったが、どメンヘラ相手に別れ話をするのもメンドイのでずるずると付き合い続けている。あとあんまり可愛くないのも嫌。
「あの階段がマジできついんすよねー」
「分かるー、頼む量も多いのに階段だからマジだるいんよねぇ」
クソハゲが「話してないで行ってー」とダルそうに急かしてくるので、手を振っていざ出発。川沿いの道は逆走上等の自転車と、訳の分からない所で停車するタクシーに対して行われる止めどないクラクションが迷惑な場所だが、この通りには着物姿の客引きの美女がいるから、通ってやらないこともない。
「いらっしゃいませ〜」
「お疲れ様です〜」
「お疲れ様です〜あとで注文したやつお願いしますね〜」
「OKっす任してくださいっ」
そう言って軽い会釈をして通り過ぎる。この僅か2秒の間に、その潤しい大和撫子を目に焼き付ける。だがキモがられてはいけないので、あくまでさりげなく声をかけるのがコツである。
それを通り過ぎてしまえば、目的地は目と鼻の先である。
「エレベーター付けろよカス」。思わず舌打ちをしてしまう。ウィルキンソン炭酸を何ケースも注文して、袋に入れにくい色々な大きさのワインも頼みやがる。持っていくのも大変なのに階段などと、舐めた真似をしやがるのもこの店の嫌なところだ。だが、この店が嫌われる理由はそれだけではない。
深呼吸をして、扉を2回ノックして扉を開ける。まるで人を殺したあとのような殺気を放つ、リーゼントヘアのバーテンがこちらを睨む。異様なまでの緊張感が押し寄せる。真夏でも大してエアコンが効いてない雰囲気重視な店内では、余計に汗をかき、一瞬にして背中はびっしょりである。
この店はカウンターの上にケースや袋を置いてはならない。置くと笑顔を向けながら「傷ついたら弁償してくれるのかな。君の年収がどんなもんかは知らないけど」と得意げに吐き捨てる。この男、クズである。
まずケースを床に置き、それから、24本入ったウィルキンソンを1本ずつカウンターの上に並べる。その際、もちろん並び方や音には気をつけなくてはならない。亮の手際を、舐め回すように目をギョロギョロと動かして眺めるバーテンは、きっと笑顔で人を傷つける言葉を吐くタイミングを見計らっているのである。
並べ追えると、ウィルキンソンの空ケースに全く納まっていないワインの空瓶を、丁寧にそして素早く持参したビニール袋にて回収し、店の外に置く。一度、音を立てない為に空ケースを外へ持ち出そうとしたが、獲物を取られた熊のように、あるいは彼氏を寝取られそうになったメンヘラ女のように、執拗に空ケースに執着して「持ち出すな! 見えるとこに置いとけ!」と怒鳴られたことがある。
会計も終えて、一礼して外に出る。どっと疲れが押し寄せてきて、空瓶のはずなのに、行きより重たく感じてしまう。
こいつらより幸せだと思えたなら、こんなにも疲れはしないのに──。
店に戻ったとき、今川さんはいなかった。もっとお話したかったのに。代わりにそこに居たのは、曲者の三島である。この男、昼間は建築、夜は配達業に勤しむ肉体労働しかできない男で、休みはパチンコと風俗だけが生き甲斐というから何とも救いようがない。しかも何故か黒縁メガネに黒マスクという不審者コーデなのがジワる。
しかし、脱税の山田と、カルト宗教の高橋に比べればまだマシだ。この中洲にいると、世も末であると感じてしまう。
21時〜
あまり話せないうちに、今川さんは帰ってしまった。高校生はこの時間以降は働けないのである。代わりに、夜組と呼ばれるおじ様方が沢山入ってくる。
「おっかれさむー」とふざけた挨拶をして入ってくるのは、売れないDJ池田。「おーつかれさまでーす」と比較的マシな挨拶をするのは、少し売れてるバンドマンの長山さん。この2人は、割と嫌いではない。
ここには夢追い人も多い。夜勤の肉体労働は、稼ぎやすいのだろう。
ここから、この職場は動物園になる。奇声、高笑い、謎ダンス、煽り合い。この世の底辺が一同に介して、失うものが無い者同士の衝突が始まるのである。
やれ「お前が俺の足を踏んだ」だの、やれ「この前の飲み会お前のせいであの子のLINEを聞けなかった」だの、小中学生のような知能しかないのかと疑いたくなる喧嘩を繰り返す。その横ではロボットダンスをする奴も、その隣で政治を批判する頭左巻きの奴もいる。真面目に仕事をしているフリーターの女性、加乃たんだけが唯一の良心である。
止まないコール、プリンターから絶えず吐き出される納品書と、それを取って、邪魔なおじ様方をどかしながら集荷のため店内を奔走する童貞フリーター。意外と嫌いではない環境だと、亮は思った。
渡された台車は、第18ラインビルのキャバクラ清楚である。これは当たりである。
エレベーターを登ると、そこは楽園だった。
着飾ったいい香りの美女が並び、客と話していた。台車から袋を取り、二歩進んで右に曲がり、左右ある扉の右を開ければ、納品場所のキッチンである。
袋のまま床に置き、持参した別の袋に、壁沿いに所狭しと並べられた空瓶を入れる。そして納品書と、ショルダーバッグに備え付けられた携帯式プリンターから印刷された空容器回収表をちぎって、わりかし丁寧に並べる。ここの黒服とは直接話す機会もなく無害なので、美女を拝ませてくれたせめてもの礼として、丁寧に置くことを亮は心掛けていた。
この店のイチオシは、爆乳のお姉さん。亮は年下が好みだったが、このお姉さんだけは例外の年上枠として脳内美人リストに加えていた。女優の杏に似ているので、愛称は渡辺さん。子供の頃観ていたドラマに因んでベラにするか迷ったが、妖怪扱いするのは忍びないので、渡辺さんにした。今日は居ないようだ。エレベーターの下矢印を押して待機し、1、2分待っていると到着して扉が開く。慣れた手つきで台車ごと入り、扉が閉まる瞬間、キッチンの左側にあるVipルームから、汚いデブ客に腰を触られながら現れるキャバ嬢がいた。他でもなく、渡辺さんである。
渡辺さんは「次は誕生日に待ってるね」と優しい笑顔で告げた。渡辺さんは長身のグラマラスボディなので、チビなお客さんの顔を上から覗き込むようにしていた。少し垂れた前髪が美しかったが、チビデブが見上げて何か言いかけた所で、扉がしまった。
「渡辺さん頑張ってんなぁ。臭そうやったなぁ」
亮は渡辺さんのプロ意識に感心していた。いいや、そう取り繕うとしているだけで、本当は自分もあのおじさんくらい醜いことに気づいたことから、目を背けようとしたのだ。美人崇拝と呼ぶべき自分の卑しさが嫌になる。
スマホを開くと、LINEが入っていた。それは今川さんからだった。通知には【また相談乗ってもらっていいですか? 一人で抱えきれんくて。迷惑ですよね】とあった。
迷惑なんかじゃない。でも、なんだか良くないことをしている気分だった。
ウブな女子高生をたぶらかしている。彼女がいるのに、あの子の恋心に気づいているのに、ワンチャンを狙っている自分が卑しく感じられた。
【いいよー、手が空いたら読んで返信するけん書いててー】
また断れなかった。
22時〜
今日は可もなく不可もない一日だと思った。
「今日飲み行く?」とDJに誘われたが、金欠を理由に断った。「お前ずっと金欠やん」と言われても、ないものはないのだから仕方がない。先輩なんだから奢れよ。奢れもしねぇのに週三で誘ってんじゃねぇ、まず売れやがれ──。そう言えたら楽なんだがなぁと思いながら、「いや車傷つけちゃって、修理費3万でマジ金ないんすよ」とヘラヘラしながら答えて、難を逃れた。
戸塚さんは時計をチラリと見て、「亮これ最後に行ける??」と納品書を手渡してきたが、加乃たんが「終電逃したら可哀想なんで」と言って守ってくれた。加乃たん、顔も性格も美人すぎる。呑みに誘いたいが、DJが聞き耳を立てているので今日はやめておこうと思う。
退勤してLINEを開くと、今川さんから三件。最後をスタンプにして隠すのマジやめてほしい。いつもの調子なら長文だろうから、めんどくさいし、これを理由にちゃんと断ろうかなぁと思ったが、意外と好みな顔なので捨て難い。特別美人では無いが、いい子なんです。
帰り道、ナンパする人の声や、人の曲を得意げに歌うストリートミュージシャン、客を見送る嫌いな黒服、よく見るとちゃんとキモイゴキブリやネズミ。この街は汚い。本当に憂鬱である。
俯いて歩き、気持ちが塞がっていくのを感じた。ふと顔を上げると、そこにはゴミ出しをするおおかみちゃんがいた。
「お疲れ様です!」
亮のその声に驚いたおおかみちゃんは目を丸くしてこちらを見て、真っ白な歯を全開にした満面の笑みで「お、お疲れ様です!」と可愛らしい声で挨拶をしてくれた。
今日もいい一日だった。割れながら単純であると、亮は思った。でも、自分に素直になれるこの単純さがなければ、とっくにお酒の配達員なんて辞めてただろうなぁと思った。
ふかふかのベッドでスマホを眺める今川さんは、未だ既読がつかないLINEを、開いては閉じ、また開いては、閉じるを繰り返していた。
「全然返さんやん、はい失格」
数人の男とのLINEのトーク画面を閉じて、スマホを消して放り投げたら、鏡を見て瞼をマッサージ。
「いい男いないかなぁ。おやすみ」




