7「美月の秘密」
週末の午後。美月の提案で、二人は駅前のカフェで会うことになった。ユウトにとって初めての「デート」らしいデートだった。
「緊張してる?」
カフェの窓際の席で、美月は微笑みながらユウトを見つめた。彼の手がかすかに震えているのに気づいている。
「ちょっと……」
ユウトは正直に答えた。美月と二人きりでいると、いつもとは違う特別な感情が湧き上がってくる。
「リラックスして」
美月の笑顔は温かかったが、時々プロ意識のような冷静さが混じることにユウトは気づいていた。でも、それが何を意味するのかまでは分からない。
「学校のこと、将来のこと……たくさん話したいことがあるの」
美月は巧妙に会話を導いた。家族構成、経済状況、マインド・シンクの使用頻度——すべて自然な会話の中で情報を収集している。
でもユウトは、美月の感情を読み取ることで、彼女の本心を感じ取っていた。大部分は温かいオレンジ色の好意だったが、時々混じる冷たい青色——それは職業的な観察眼の色だった。
「なぜ二つの感情が混在しているんだろう?」
ユウトは疑問に思ったが、美月と一緒にいる幸せが勝っていた。
「あなたって、マインド・シンクをよく使うの?」
何気ない質問だったが、美月の目は鋭かった。
「まあ……普通に。バイトで使うことが多いかな」
「どんなバイト?」
「プログラミング関係。在宅でできるから」
美月は頷きながら、心の中でメモを取っていた。「対象は高度なプログラミング技術を保有。収入源の詳細要調査」
でも同時に、彼女の心にも変化が生まれていた。任務として始まった接触が、いつしか本当の感情を伴うようになっている。
「ユウト……」
美月が彼の名前を呼ぶ声は、優しさに満ちていた。
「私と一緒にいて、楽しい?」
「もちろん」
ユウトの答えに、美月の感情がより暖かいピンク色に変わった。それは恋愛感情の色——純粋で美しい輝きだった。
カフェを出て駅まで歩く間、二人は手をつないだ。初めて触れ合う美月の手は小さくて温かく、ユウトの心を優しく包んだ。
その日の夜、美月は自室のデスクでPCに向かっていた。画面には政府機関への報告書作成ソフトが立ち上がっている。
「マインド・シンク監視局 調査報告書」
「対象:柏木ユウト」
「担当エージェント:桜井美月(コード:MS-047)」
美月の指がキーボードの上で止まった。今日の「デート」で得た情報を報告書にまとめなければならない。
「対象は確実に特異能力を保有している。感情操作能力の可能性大。詳細な検証が必要」
そこまで打ち込んで、美月の手が止まった。ユウトの笑顔が頭に浮かぶ。カフェで見せた無邪気な表情、手をつないだ時の温かさ……。
「でも……彼は危険じゃない」
美月は画面を見つめながら呟いた。政府が求めているのは「危険因子の特定と排除」だった。でもユウトは、誰かを傷つけるような人間じゃない。むしろ、困っている人を放っておけない優しさを持っている。
美月は報告書を削除した。代わりに、個人的な日記ソフトを立ち上げる。
「今日、ユウトとデートした。彼といると、本当の自分でいられる気がする。任務で接触したはずなのに、いつの間にか本当に好きになってしまった」
文字を打ちながら、美月の目に涙が浮かんだ。
「任務と感情……どっちを選ぶべき?」
机の引き出しから、一枚の写真を取り出した。幼い頃の美月と、若き日の冷川登が写っている。父は笑顔だったが、今は冷酷な政府官僚になってしまった。
「お父さんも昔は違ったのに……」
美月の携帯電話が鳴った。発信者は「父」となっている。
「美月、調査の進捗はどうだ?」
冷川の声は事務的だった。
「順調です。もう少し時間をください」
「あまり感情移入するなよ。任務は任務だ」
「……はい」
電話を切った後、美月は窓の外を見つめた。遠くにユウトのアパートの明かりが見える。
「ユウト……ごめんなさい」
小さく呟いて、美月は日記の最後に一行を加えた。
「私は彼を裏切ることになるのだろうか?」
その夜、美月は眠れなかった。任務への忠誠心と、ユウトへの愛情が心の中で激しく対立している。やがて彼女は、重大な決断を迫られることになるだろう。愛する人を守るのか、それとも国家への忠誠を優先するのか。
一方、ユウトも同じ空の下で、美月のことを考えていた。彼女の中に見える二つの感情の意味を、まだ理解できずにいる。でも確実に言えることがあった——美月への想いは、日に日に強くなっていく。
二人の関係は、互いの秘密が明かされる時まで、この微妙なバランスの上で続いていくのだった。