6「美月との接触」
翌日の昼休み。ユウトは昨日と同じように屋上で一人、弁当を食べていた。今日は特に食欲がなく、箸が進まない。昨夜から続く頭痛も、まだ完全には治まっていなかった。
「昨日は……ありがとう」
突然聞こえた声に、ユウトは振り返った。桜井美月が屋上のドアから現れ、ゆっくりと近づいてくる。その表情には、いつもの完璧な優等生の仮面ではなく、素直な感謝の気持ちが表れていた。
「僕は何もしてない」
ユウトは目をそらした。昨日のことを思い出すと、また例の異常な現象が起きるのではないかと不安になる。
「嘘」
美月はユウトの隣に座った。制服のスカートを丁寧に整えながら、彼を見つめる。
「あなた、何かが普通と違う。佐藤たちがあんなにあっさり引き下がるなんて」
ユウトの心臓が高鳴った。気づかれている。でも、どこまで知られているのだろう?
「マインド・シンクって、本当に必要なのかな」
美月の突然の発言に、ユウトは驚いて振り返った。
「え?」
「みんな、本当の自分を忘れてる気がして」
美月の声には、普段の彼女からは想像できないような迷いが込められていた。完璧な優等生が、システムに疑問を抱いている?
「君も……そう思うの?」
ユウトは恐る恐る尋ねた。
「ええ。システムに頼り切った人格で生きることが、本当に幸せなのかしら」
美月は空を見上げた。青い空に浮かぶ白い雲が、ゆっくりと形を変えていく。
「私も時々思う。本当の私って、どんな人間なんだろうって」
その瞬間、ユウトの視界に再び「色彩」が現れた。でも今度は昨日のような激しい頭痛はなく、穏やかに美月の感情が見えた。
紫色ではなく、温かいオレンジ色。それは優しさの色だった。
「この色は……」
ユウトは思わず呟いた。
「どうしたの?」
美月が不思議そうに首をかしげる。
「いや……なんでもない」
でもユウトの心は躍っていた。美月の感情の色は、今まで見た中で最も美しかった。システムに管理された灰色の世界の中で、彼女だけが本物の色を放っている。
「あなたって、不思議ね」
美月は微笑んだ。それは完璧な優等生の作り笑いではなく、心からの自然な笑顔だった。
「普段はあんなに大人しいのに、誰かが困っていると放っておけない。まるで……」
「まるで?」
「まるで、本当のヒーローみたい」
その言葉に、ユウトは顔を赤らめた。今まで誰にも言われたことのない言葉だった。
昼休みが終わるチャイムが鳴り、二人は立ち上がった。階段を降りながら、美月が振り返る。
「また明日も、ここでお話しない?」
「え……いいの?」
「もちろん。あなたと話していると……なんだか、本当の自分でいられる気がするから」
美月のその言葉は、ユウトの心に深く刻まれた。
放課後、ユウトは一人で帰り道を歩いていた。美月との会話が頭から離れない。
「彼女となら……」
もしかしたら、この異常な能力について話せるかもしれない。美月は他の人とは違う。システムに疑問を持ち、本当の自分を求めている。
「でも、もし僕の正体を知ったら……」
不安と期待が入り混じった複雑な気持ちで、ユウトは自宅に向かった。
その夜、恐る恐るマインド・シンクを起動した。でも今度は仮想空間でのプログラミング作業ではなく、自分の能力を理解するための実験を試みた。
「集中して……感情を読み取る」
近所の野良猫に意識を向ける。すると、猫の周りに薄い緑色の光が見えた。それは安らぎの色。猫は平和な気持ちでいるのだ。
「コントロールできるかもしれない」
小さな成功に、ユウトは希望を感じた。この能力は必ずしも破壊的なものではないのかもしれない。使い方次第で、人を幸せにすることもできるのかもしれない。
翌日もその翌日も、ユウトと美月の屋上での会話は続いた。最初は世間話から始まったが、次第に深い内容になっていく。
「あなたの将来の夢は?」
「プログラマー……かな。人の役に立つシステムを作りたい」
「素敵ね。私は……まだ分からない。システムに決められた人生じゃなくて、自分で選んだ道を歩みたいけど」
そんな会話を重ねるうち、ユウトの中で一つの決意が固まっていった。
美月になら、真実を話せるかもしれない。この異常な能力のことも、二重の生活のことも。そして一緒に、本当の自分を見つける旅に出られるかもしれない。
でも同時に、ユウトは知らなかった。美月にも隠された秘密があることを。彼女が政府のエージェントであり、最初から彼を監視していたことを。
二人の関係は、互いの秘密を抱えたまま、新たな段階へと進んでいくのだった。