5「能力への恐怖」
「過労ですね。最近、システムを使いすぎではありませんか?」
保健室で、白衣を着た保健医が心配そうにユウトの額に手を当てた。美月がユウトを運び込んでから1時間が経っていたが、彼の顔色はまだ青白いままだった。
「大丈夫です……ちょっと疲れてただけで」
ユウトは震え声で答えた。美月の心配そうな顔を見る度に、また例の紫色の感情が見えてしまう。今度はより鮮明に、より複雑に。心配、困惑、そして何か別の温かい感情が混じり合っている。
「私、付き添います」
美月の申し出に、ユウトは慌てて首を振った。
「大丈夫、一人で帰れるから」
しかし立ち上がろうとした途端、また激しいめまいに襲われた。美月が支えてくれなければ、間違いなく倒れていただろう。
「無理しないで……」
美月の優しい声が、ユウトの心に深く響いた。でも同時に、彼女の感情の「色」がより鮮明に見えてしまう。紫色の心配に混じって、薄いピンク色の何かが……。
「僕は異常者なのか?」
内心でパニックに陥りながら、ユウトは必死に平静を装った。
帰宅後、ユウトは自室で震える手を見つめていた。さっき佐藤たちに何をしたのか、まだ理解できずにいる。でも確実に言えることがあった——自分は他の人間とは違う。決定的に違う。
マインド・シンクを起動しようとしたが、手が止まった。システムの中でなら、この恐怖から逃げられるかもしれない。でも今は、現実と向き合わなければならないような気がした。
部屋の鏡に映る自分を見つめる。そこには、いつものような平凡な高校生ではなく、何か得体の知れない力を秘めた「化け物」がいるような気がした。
「お前は化け物だ」
鏡の中の自分がそう言っているような幻聴が聞こえた。ユウトは頭を抱えてベッドに倒れ込んだ。
夕食の時間。質素な食卓に、もやしと卵の炒め物とご飯が並んでいる。母親は相変わらず体調が悪そうだったが、息子の様子を気遣って食事の席に着いていた。
「今日、学校で何かあった? いつもより元気がないけど」
母親の鋭い観察力に、ユウトはドキリとした。手がかすかに震えているのを隠すように、お箸を握り直す。
「何でもない」
そう答えたが、声に確信がなかった。母親は心配そうな表情を浮かべる。
「ユウト……」
母親は咳を一つして、息子の手に自分の手を重ねた。その手は薬の副作用で冷たくなっていたが、温かい愛情が伝わってきた。
「無理しないで。お母さんはユウトの味方だから。どんなことがあっても」
その言葉に、ユウトは泣きそうになった。
「ありがとう……」
でも同時に、強い罪悪感も湧き上がった。もしも母親に今日のことを話したら? 息子が異常な能力を持っていると知ったら?
「お母さんに話したい。でも、僕が異常だと知ったら……」
きっと怖がって、僕から離れていく。今まで支えてくれた母親を、僕の異常性で傷つけるわけにはいかない。
「この能力のことは誰にも言えない」
心の中でそう決意したが、その選択が正しいのか確信が持てなかった。
母親は息子の複雑な表情を見つめながら、何かを察したような顔をした。でも何も問い詰めることはせず、ただ優しく微笑んだ。
「ユウトはいい子よ。自分を信じて」
その夜、ユウトは天井を見つめながら眠れない時間を過ごした。母親の言葉が心に響いているが、同時に自分への不信感も消えない。
「僕は本当に……いい子なのかな」
能力を使って他人の感情を操作する。それは正しいことなのか? たとえ結果的に問題が解決したとしても、人の心を勝手に変えることは許されるのか?
複雑な思いを抱えたまま、ユウトは不安定な眠りについた。夢の中でも、佐藤たちの黒い感情が灰色に変わる瞬間が何度も繰り返された。
そして翌朝、彼は一つの決断を下すことになる。この異常な能力と、正面から向き合ってみようと。
逃げ続けることはできない。母親のためにも、そして美月のためにも、自分が何者なのかを理解しなければならない。たとえその先に、もっと大きな危険が待っていたとしても。