1 「分裂した朝」
柏木ユウトは、ボロアパートの狭い洗面台の前で鏡を見つめていた。首筋に貼り付けられた中古のマインド・シンクチップが、今朝もまた不規則に点滅している。本来なら安定した青白い光を放つはずの小さな機械は、まるで心臓の鼓動のようにバラバラなリズムで明滅を繰り返していた。
「また調子が悪いな……」
ユウトは黒縁のメガネを直しながら、鏡に映る自分の顔をじっと見つめた。その瞬間、反射した光の中で、自分の瞳が一瞬だけ二重に見えたような気がした。まるで、もう一人の自分がそこにいるかのように。
「……気のせいだ」
頭を振って幻覚を払いのけると、隣の部屋から母親の咳き込む声が聞こえてきた。ここ数ヶ月、母の体調は思わしくない。病院に行くお金もないまま、市販の薬でなんとか凌いでいる状態だった。
「行ってきます」
ユウトは母親の寝室の扉に向かって小さく声をかけた。返事はなかったが、咳の音が一瞬だけ止まったので、聞こえているのだろう。
アパートを出ると、通学路には同級生たちの姿があった。みんなのマインド・シンクチップは安定した青白い光を放ち、彼らの歩き方は堂々として目標がある歩調だった。システムによって最適化された人格で行動している証拠だ。一方、ユウトだけは影の中をこそこそと歩き、時々チップがエラー音を立てる。
「今日もまた……普通じゃない一日が始まる」
学校の門の前で立ち止まったユウトは、巨大な校舎を見上げた。まるで自分が巨大な機械に飲み込まれていくような感覚に襲われる。そんな時、首筋のチップの点滅が突然止まった。
同時に、ユウトの瞳が一瞬だけ「二重」に分かれて見えた。現実を見つめる目と、何か別のものを見つめる目とに。