08大切な存在
最後にちょっとしたアクシデントはあったけれど、なんだかんだで楽しく終えられた初詣デート。帰り道、僕はサラをおぶって家まで送り届けた。
「ごめんね、長い距離をおぶらせちゃって……」
「いいよ。気にしないで。普通の靴ならともかく、その足で草履はさすがにキツいでしょ?」
足をひねったわけじゃないけど、足裏に擦り傷がある状態で草履は歩くたびに痛む。最初は自分で歩いていたサラも、よろける姿を見かねて、結局僕がおんぶすることになった。
「ねぇ……翔真くんと話すの? 喧嘩の原因って、もしかして私のこと?」
鋭い質問に一瞬だけ胸がざわついたが、表情は崩さずに答えを返す。
「違うよ。ちょっとしたすれ違いなだけだよ」
サラはじっと僕を見つめた後、ふっと笑った。
「ふーん……そっか。じゃあまたね、市ノ瀬くん」
「うん。また連絡するよ。学校のことも、話したいことあるし」
「うん! わかった!」
そう言って家に入っていく背中を見送りながら、僕はスマホを取り出しメッセージを送った。
そのまま家に戻らず、サラと僕の家の中間にある小さな公園へ向かう。ブランコと滑り台しかないけれど、幼い頃から僕ら幼馴染みが集まって遊んだ場所。今は相談事があると自然とここに来る、僕たちにとっての特別な場所だ。
着いて間もなく、翔真と詩織が現れた。
「ごめん、急に呼び出して」
「別にいいけど……それで話って?」
詩織が応じ、翔真は不機嫌そうに顔をそむけて黙ったまま。僕は一度深呼吸して言った。
「一言だけ、聞いてほしい」
空気が張りつめる。二人が僕の言葉を身構えて待つ。
僕は、二人に胸の内にある本心を告げる。
「僕はサラだけが全てじゃない。お前たちのことも大好きだ。大切に思ってる。これまで一緒に過ごしてきた時間も、全部かけがえのないものだと思ってる」
突然の言葉に、詩織も翔真もポカーンとした顔でこちらを見る。けれど僕の胸は、伝えたいことを伝えられて、すっきりしていた。
「伝えたいことはそれだけだよ。来てくれてありがとう。じゃあ、また」
立ち去ろうとした僕の背に、詩織の声が飛んだ。
「ちょっと待ちなさいよ! なに清々しい顔して帰ろうとしてんの!? まずどこからツッコめばいいのよ……!」
額に手を当てて唸る詩織。その横で、翔真は吹き出した。
「ぷっ……あはは! お前やっぱバカで残念だな」
真面目に言ったつもりなのに、どうしてこうなるんだろう。
翔真はしばらくお腹を押さえて笑っていた。やがて、少しずつ落ち着いてふぅーと息を吐いた後、真剣な表情になり問いかけてきた。
「で、結局どうすんだ? 記憶は無理に取り戻させねぇって方針は変えないのか?」
翔真の問いに、僕は力強くうなずいた。
「……そっか。わかった。その方針でサラを支えていこう」
「えっ、翔真、本気!?」
戸惑う詩織に対し、翔真は真剣に頷いた。
「ああ。本気だ。悠人が“前だけを見る”って言うなら……サラと悠人の二人がそう決めたことなら、俺もそれに付き合う。親友だからな」
「翔真……ありがとう」
「いや、こっちこそ悪かったな。……なんか、俺だけが過去を大事にしてるみたいで、親友だと思ってたのも俺だけなのかって、不安になってさ」
「そんなわけないよ。僕は少しだけ性格が歪んでて、友人もそう多くはないからね。親友と呼べるのは翔真たちだけだよ」
「“だいぶ”歪んでるけどな」
拳をぶつけ合って笑い合う僕らを見て、詩織は呆れたようにため息をついた。
「はぁ……男ってホント単純ね。私は納得してないから、一人でも記憶喪失について調べるわよ?」
「うん、それでいいよ。ありがとう、詩織」
すれ違った想いを確認し合った後、僕たちは公園から少し離れた場所にある喫茶店へ向かった。
そこは、僕らが中学生の頃からよく通っている、こぢんまりとした個人経営の店だ。
木目調のドアを押して入ると、カランと鳴る小さなベルの音が迎えてくれる。落ち着いた雰囲気の店内には、年季の入った丸テーブルと椅子が並び、昼間は近所の奥さんや学生が気軽に立ち寄れる憩いの場になっていた。
カウンターの奥には、いつものマスターが立っていた。マスターと目線を合わせて、言葉を交わすことなく会釈だけすると、いつものテーブル席に座る。
僕たちは奥の席に腰を下ろし、その数分後、注文もしていないのに、湯気の立つコーヒーや紅茶が目の前に運ばれてくる。そして、それを前に改めて今後の方針を話し合い始めた。
「いろいろあるけど……一番大きな問題をどうするべきか……」
「その“一番”って?」
身を乗り出してきた二人に、僕は真剣に答えた。
「サラが……僕のことを”市ノ瀬くん“と呼ぶことと、話す距離についてだよ」
「そんなことかよ!」
翔真が盛大にツッコミを入れる。
「悠人、それのどこが問題なのよ?」
僕は悲痛な面持ちで、天井を仰ぐようにし答える。
「今までは“悠くん”だったんだ。学校でも、近い距離感で接していた。それが今は“市ノ瀬くん”。
それに、初詣で確信したんだ……僕とサラの距離は、以前より遠い」
「記憶をなくしてるんだから仕方ないだろ?」
首を横に振る。
「いや、お前たちとの距離感は以前と変わらない気がする。けど僕とは違った。たとえば――」
そして、決定的な事実を告げる。
「以前は、話すときに30センチ以上離れることはなかった。それこそサラの匂いがわかって安心できるほどの距離だった。それが今日のデートでは……例外を除いて45センチより近づくことはなかった。
さりげなく、一歩近付けば同じように一歩離れたんだ!」
「細かっ! 勘違いだろ!」
翔真が再びツッコむ。だが僕は握り拳をつくり、力説した。
「いや、間違いない! この15センチの差は……大きいんだ!
この距離感を敏感にあのハイエナどもは嗅ぎ分けるんだ!
この15センチの隙間を狙って、ハイエナどもが近付いてくるんだ!」
「近づいてこねーよ!」
「あんた他の男子を”ハイエナ”とか”ウジ虫”とか言うの止めなよホント……」
結局、翔真が僕をなだめ、詩織が呆れ顔でため息をついてそれを眺めている。そこに今日はサラがいないだけで、それ以外はいつもの光景だった。
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