07仮契約の恋人
「え〜、こういうのって他の人に言ったらダメなんでしょ? だから内緒!」
サラはイタズラっぽく口元を上げてそう言った。
僕も負けじと、意地悪な笑みを返す。
「僕たちは仮契約とはいえ恋人同士だよ。恋人は二人で一人。だから“他人”には当たらない——つまり、話しても大丈夫だよ」
照れてうつむく顔を想像していたのに、返ってきたのは予想外の反応だった。
「……仮契約の恋人って、どういうこと?」
サラは真剣な表情で問いかけてきた。一瞬だけ言葉を濁しかけたけど、その真っ直ぐな眼差しの前にそれはできなかった。
「僕はね、恋人関係って契約みたいなものだと思ってる」
「契約?」
「そうだよ。どちらかが好きになって告白する。相手は好きじゃなくても、“この人なら”って承諾することもあるでしょ? 片方だけが好きな状態は、仮契約。そこから両思いになったら、本契約の恋人になるんだ」
サラは真剣な表情のまま、再び問いかけてきた。
「じゃあ、最初から両思いだったら?」
「その場合は最初から本契約——本物の恋人だね」
口角を上げ、はっきり言う。
「だから今の僕たちは、僕だけが君を好きな“仮契約”の恋人てことだよ」
「……じゃあ、記憶をなくす前の私たちは?」
サラのサファイア色の瞳がまっすぐ僕を射抜く。そんな彼女に僕は誠実に答えた。
「……本契約。本物の恋人だったよ」
「そっか……」
謝るでもなく、ただ受け止める一言。その潔さがありがたかった。僕がサラを困らせる気はなく、ただ彼女への質問に対して、正直に答えたというのが分かったからこその反応だった。
「よーし! じゃあ私、市ノ瀬くんのこと好きになるよう頑張るね!」
サラはその場で立ち上がり、元気よく声を出す。沈みかけた空気を、彼女がその笑顔と声で軽やかに吹き飛ばす。
「違うよ」
と、僕は笑って首を振る。
「君が頑張るんじゃない——」
立ち上がり、そっと彼女の手を取る。視線を合わせ、言葉を落とす。
「僕が好きにさせるんだ」
一瞬で頬が染まり、サラはわざとらしく視線を逸らしてから、話題を変えた。
「そ、そうだ! 仮契約でも恋人なら……お願い事、話してもいいんだよね?」
あからさまに話題を逸らしてきたけど、それがまた愛おしかったから、素直にその話に乗ることにした。
「聞かせてくれるの?」
「う、うん……えっとね。市ノ瀬くんと翔真くんが、早く仲直りしますようにって!」
「え?」
思わず声が漏れる。
「あれ違った? さっき翔真くんの名前を出したとき、なんだか辛そうだったから。
てっきり喧嘩でもしたのかと思った」
翔真の名前を呟いた時に、胸をよぎった痛みはほんの一瞬。でも、その一瞬を彼女は見逃さなかったのか。
「……やっぱり、君は君だ」
「え? なに?」
と首を傾げ、耳を近づけるサラ。
僕は吐息をかけるように囁いた。
「もっと好きになった」
「ひゃ〜〜!! それ禁止! 耳元で“好き”って言うの禁止!」
真っ赤になって飛び退くサラに、思わず笑みがこぼれる。
ありがとう、サラ。君のおかげで、少し勇気が出た。
記憶を無理に取り戻させようとはしない、それは変わらない。
でも、翔真や詩織のことも大切だって、その想いだけは……ちゃんと二人に伝えよう。
「あっ」
そんなことを考えていたとき、サラが小さく声をあげた。
視線の先には、僕たちの近くまで転がってきた紙風船があった。
拾い上げて顔を上げると、目の前に小学校低学年くらいの女の子が立っていて、じっとこちらを見ていた。
「これ、君のかな?」
問いかけると、彼女はこくりとうなずく。紙風船を渡すと、
「……ありがとう」
小さな声が返ってきた。
そして、女の子が僕たちから少し離れたときだった。
甘酒の屋台の横に立てかけられていた、二メートル近い門松にその近くではしゃいでた若者がぶつかり大きく傾いた。切り口の竹が、真下にいた女の子の頭上へと影を落とす。
「危ない!」
サラが反射的に飛び出し、女の子を抱き寄せる。
同時に、僕は傾いた門松の土台に両手をかけた。全身にずしりと重みがのしかかる。歯を食いしばり、力任せに押し戻した。
――バタン。
鈍い音を立てて、門松は元の位置に戻る。
息をつきながらサラに声をかける。
「怪我はない? 大丈夫?」
「う、うん、大丈夫ありがとう……君も平気?」
「うん……ありがとう」
女の子はそう言って、その場を去っていった。
安心したのも束の間、サラの足元に目をやると、着物の裾からのぞく膝と足が擦りむけ、血がにじんでいるのに気づく。
「えへへ、ちょっと擦りむいちゃった」
サラは照れ笑いを浮かべて答えた。
「足、見せて。ほら、少し移動しよう」
そう言って、僕は彼女に手を貸して。さっき二人で甘酒を飲んでいたベンチまで歩いて彼女を座らせる。
ことの一部始終を見ていた屋台の主人が心配そうに声をかけてきたが、僕は笑顔で「大丈夫です」と返し、門松の件は次から気をつけるようにとだけ伝えた。
固定していなかったのは彼の落ち度とはいえ、予測できることでもなかったし、サラに大きな怪我はない。擦り傷程度で済んだのなら、彼女も厳しく問い詰ることは望まないだろう。だから、それ以上は言わなかった。
屋台の主人に叱られている若者を横目で見ながら、僕は鞄から消毒液と絆創膏を取り出し、サラの処置を手際よく始めた。
「準備いいんだね」
「君は昔からよく怪我してたから。僕がいつもこうしてたんだよ」
「そっか……ありがとう。ちょっと失敗しちゃったけど、あの子が無事でよかった!」
サラは笑顔で言う。その姿に、胸が温かくなると同時に、彼女の危うさを実感する。
自分よりも他人を優先してしまう。その自己犠牲的な一面。今回は擦り傷で済んだからいいが、一歩間違えば大怪我だったかもしれない。
だからこそ、僕がそばにいて守らなくてはと、改めてそう思いながら、笑顔で答える。
「頼むから、大怪我だけはしないでね?」
「うん……ありがとうね?」
彼女は満面の笑みで答えた。
なぜかは分からないけど、その一言は今日一日で一番熱を帯びているように感じた。
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