05すれ違う想い
僕たちは一階のリビングへ移動した。
しかし、その場の空気はどこか重く、張りつめていた。
「カレンさん……本当に何があったんですか? そもそも、なぜ検査入院なんてすることになったんです?」
「……そうだぜ。それが分かれば、記憶喪失の原因も見えてくるかもしれないしな」
詩織と翔真が、カレンさんへ詰め寄る。
カレンさんは唇を結びかけては開き、言葉を選ぶように短く息を吐いてから言葉を発した。
「ごめんなさい……私が話せることは多くないの。
ただ、先週出かけたときにサラが転んで頭を打ってしまって……念のため検査を受けさせた、ただそれだけ。
私自身も、今の状況に混乱しているの……」
カレンさんはそう言うと、そのまま僕たちから目を離して。視線を落としてマグカップの縁をそっと指でなぞった。
その時……ほんの一瞬、視線が僕たちを通り越し、どこか遠くを見た気がした。
「それにしても……今日あなたたちが来て、サラが普通に話しているのを見て驚いたわ。やっぱり幼馴染は特別なのね」
急に話題を変え、カレンさんはフフッと微笑む。
そんな彼女に対して、僕は一歩踏み込み、問いかけた。
ここにきてからずっと引っ掛かりを覚えていたこと、そして今の不自然な話題の切り替えかたで確信したことを。
「それはそうと、カレンさん。どうしてサラの記憶喪失について、隠しごとをするんですか?」
僕の言葉を聞いたカレンさんは、わずかに視線を逸らしながら答えた。
「なんのことかしら? 特に隠していることなんてないわよ」
カレンさんの指先が、膝の上でそっと組み直される。
「いえ、その様子で、より確信しました」
「どういうことだよ、悠斗?」
怪訝そうに翔真が口を挟む。僕は息を吸い込み、言葉を選びながら続けた。
「カレンさんの言葉が、ずっと引っかかってたんだよ」
「言葉って、どういうことよ?」
僕はカレンさんの発言について説明をはじめる。
「最初に何があったか尋ねたとき、『私からは詳しくは……』と言った。その次に聞いたときは、『私からは多くは話せない』とね」
「それが?」
「カレンさんは一度も『分からない』とは言っていない。つまり、“知っているけれど話せない”とも取れる」
その言葉に、場の空気がわずかに揺れた。
「そして、質問されたときの仕草もだよ。視線を逸らして落ち着かない様子……そして急な話の切り替えまるで確信を避け、何かを隠したいみたいだった」
一度そこでカレンさんの方を見た後、二人に僕の考えを告げる。
「だけど、さっきも言ったけど。僕はサラに記憶を取り戻させようとは思っていない。
だから、カレンさんが何かを隠しているかなんて重要じゃないんだよ」
その瞬間、翔真が再び声を荒らげる。
「お前何言ってるんだ!」
「そうだよ、カレンさんが知ってるなら、教えてもらうべきじゃないの?」
僕は二人をなだめるように、落ち着いた声で話す。
「気持ちは分かるよ。でも、カレンさんがあえて伏せているのなら、それには理由がある。娘思いのカレンさんが、サラのためになることなら必ず話してくれるはずだよ。
それでも話さないのは、それを知ることでサラや僕たちに悪影響があると考えているからじゃないかな?」
沈黙を守っていたカレンさんが、ふっと笑った。
「やっぱり面白い子ね、悠斗くん。隠し事しているって言われたときはドキッとしたわ。てっきり問い詰められるかと思ったわ」
「ちなみに……お父さん――正臣さんも?」
「ええ、主人も知っているわ。彼も詳細は伏せた方がいいと言ってるの。ごめんなさい、今はそれが一番だと思うの」
カレンさんはあっさりと隠し事を認めたが、やはり話す気はないようで、申し訳なさそうに謝罪を述べるだけだった。
「わかりました。僕もサラが望んでいないのであれば、その方針に賛成です」
そして、二人の方に向き直る。
「さて、今度こそおいとましよう。あまりここで話をするとサラに聞こえるかもしれないしね」
「わかったわ……」
返事をした詩織に対して、翔真は黙ったままだったが、それを了承と受け取り、カレンさんに一礼する。
「じゃあ、元日朝はサラをお借りしますね」
「ええ。娘の彼氏との初デートだから、しっかりおめかししてあげる」
「よろしくお願いします。それじゃあ失礼します」
カレンさんに見送られ、僕たちは白瀬家を後にした。
玄関から外に出ると夕暮れにはまだ早いものの、少し日が傾きだした住宅街が目に映った。
その住宅街を歩きながら、僕は初詣デートに胸を躍らせていた。
けれど、そんな僕とは対照的に、詩織と翔真は思い詰めた表情を崩さない。家を出てからずっと黙ったままだ。
やがて、住宅街から少し離れてから、翔真が足を止めた。
「おい、本当にいいのかよ?」
「何のこと?」
「記憶だよ! 本当に思い出さなくてもいいのかよ!」
我慢していたものが爆発したような勢いだった。
「サラが望むならともかく、現状で困ってないならそれでいい」
「昔からサラはそうだろ! 自分に無頓着で危なっかしい。今回のことも、状況の深刻さがまだ分かってないだけかもしれないんだぞ!」
僕はため息をつく。
「今回は違う。外傷もなく記憶を失っているなら、心因性――トラウマによる記憶喪失の可能性が高い。記憶をなくすほどのストレスだよ。それを無理に思い出すのが、いいことだとは思えない」
翔真の声が、少しだけ弱まった。
「でも……これまでの俺たちとの思い出もないんだぞ。それでいいのかよ?」
「そんなものは、サラの幸せに比べたら、どうでもいいことだよ」
その瞬間、少しうつむきかけていた翔真が顔をばっとあげたかと思うと、僕の胸ぐらを掴む。
「どうでもいいだと! 俺たちがこれまで過ごしてきた時間は、どうでもいいってのかよ!!」
「ちょ、翔真、落ち着きなさいよ!」
詩織が驚いて腕を抑えるが、翔真の視線は鋭く僕を射抜いたままだ。
「お前にとってはサラが全て何だろうがな……俺はお前たちが大切なんだ。
俺たちがサラと共に過ごした時間……お前がサラを想って過ごした時間を、そんなふうに言うなよ……そんなの虚しいだろ……」
翔真の言葉は切実な願いにも聞こえた……だけど……
「……それでも、僕はサラに記憶を取り戻してほしいとは思わない。
それが辛くて、苦しいものなら、それに目を向ける必要はないよ」
「ッ……勝手にしろ!!」
翔真は乱暴に僕を突き放し、そのまま背を向けて歩き出す。
「ちょ、翔真! もう!!」
詩織は追いかけようとして、一度だけ立ち止まった。
「悠人、あんたがサラのこと大切なのはわかるけど、翔真の言うことも正しいよ。
やっぱり今も大事だけど、いままでも大事だよ」
それだけ言い残し、今度こそ翔真の後を追っていった。
一人取り残された僕は、複雑な心境に沈む。
いくらサラが一番だとはいえ、全てではない……
翔真、僕はお前のためなら両腕くらい、惜しまないと思っているんだ。
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