04記憶の有無は関係ないの?
もう一度、ゼロからやり直すことになった、僕とサラの恋人としての関係。
まさか、きちんとデートをする前に振り出しに戻るとは思わなかったけれど、とりあえず「僕を恋人として認めさせる」ことには成功した。
やっぱり、心のどこかで僕のことを覚えていてくれたんだろう。そう思うと、今はこの幸せを噛みしめるしかない。
恋人だったことを忘れている彼女に、関係を押し付けるのはずるい、そう言う人もいるかもしれない。だけど、そんなものは知ったことじゃない。
そもそも、恋人だった事実は本当だし、「お互いが両想いで交際を始めるカップル」が世の中にどれだけいる? 必ずしもそうじゃないだろう。
言葉を少し変えただけで、僕が告げたのは――
『僕と付き合ってください。そして、僕のことを好きになってください』
普通の告白と何ら変わりはない。
そんなことで文句を言う奴らは、むしろ堂々と名乗り出てくれたらいい。お正月の鏡餅のように平たくなるまで踏みつけてあげるよ。
まあ無事に、僕からの告白をサラが受け入れてくれた後、僕は成り行きを黙って見守っていた詩織と翔真の方に振り返って声をかける。
「さて、サラにとっては、僕たちはほぼ初対面みたいなものだ。ちゃんと自己紹介しようか」
僕の言葉を聞いて、二人はハッとした後、言葉を発する。
「そ、そうね。じゃあ私から。黒川詩織。サラの幼馴染で無二の親友よ。詩織って呼んでね?」
「俺は神谷翔真! サラとは幼馴染で、悠人の親友でもある。翔真って呼んでくれ!」
「詩織ちゃんに、翔真くん……、私は白瀬サラですって、みんな知ってるんだよね」
サラは”えへへ”っと照れくさそうに笑う。その表情があまりに可愛くて、思わず頭を撫でたくなった。
まあ、そこは空気をよんで抑えたけど。
すると、サラがこちらを向く。
「市ノ瀬くんも……幼馴染なんだよね?」
”市ノ瀬くん”
その一言で、僕は両膝をついて血反吐を吐きそうになる。名字で呼ばれるだけで、ここまで距離を感じるとは……。
「そうだよ……僕も含めて、この四人が幼馴染なんだ。
でも、市ノ瀬くんじゃなくて“悠くん”って呼んでほしいな。前はそう呼んでくれてたし」
平静を装って笑顔でお願いしたが――
「えっと……名前で呼ぶのは、もう少し慣れてからがいいな」
今度こそ倒れそうになったが、膝に手をつき必死に耐える。
「でもさ、翔真は名前呼びでしょ? 幼馴染だし、恋人なんだから名前で――」
「翔真くんはいいの! 市ノ瀬くんはダメ!」
顔を真っ赤にして拒否するサラ。
僕はあまりの衝撃に意識が飛びかけたが、これもなんとかこらえ、震える手で翔真を呼び寄せる。
「ん? どうした?」
僕ら以外の三人に背を向け、小声で告げる。
「翔真……君のことは好ましく思っている。だから選ばせてあげるよ……海と山、どっちで眠りたい?」
「おいおい待て、不穏すぎるだろ!」
盛大なツッコミのあと、翔真は小声で続けた。
「多分な……名前で呼ばないのは、逆に意識してるからだろ。心のどこかで覚えてるんじゃねーのか?」
ふむ、たしかに翔真の意見も一理ある。
「……まあ、そうかもね。初対面で告白を受け入れてくれたくらいだし」
「な? だから落ち着けって」
その言葉で、ようやく冷静さを取り戻す。
気を整え、再び全員に向き直り咳払いする。
そして、僕の表情が真剣なものに変わっていることに気付き、皆が真剣な表情になる。
「カレンさん。年明けの冬休み明けは、サラは学校に通う予定ですか?」
「ええ……主人とも話して、そのつもりよ。ただ、先生方にも説明しないといけないし……迷惑をかけるかもしれないけれど、サラのことお願いできる?」
「もちろんです」
「うん、任せて」
「当然だぜ」
考えるまでもなく、僕たちは即答した。
頼まれるまでもない、サラは僕にとってはもちろん、二人にとっても大切な存在だ。
「記憶喪失のことは変に騒ぎ立てるよりは、教師にだけ伝えとく方が無難ではあるけど、色々問題が考えられるね」
僕の言葉に、翔真が口を挟む。
「例えば?」
「サラの元々の性格を考えてみて」
「……極度の人見知りってこと?」
詩織の問いに、僕はうなずく。小学生の頃、サラはもともと人見知りが激しく、幼馴染の僕達と一部の女子としかまともに話せなかったほどだ。
高校に入学してからの、記憶をなくす前までのサラの人当たりの良さは彼女の努力の賜物だ。
「そう。今のサラは、その頃の性格が出てる可能性が高い」
「でもよ、俺たちとは普通に話せてるじゃねーか?」
「そこなんだ。人見知りが治っているままなのか、僕たちが特別なのか、まだ分からない」
そんな僕たちのやり取りに、カレンさんが口を挟む。
「人見知りは出ているわ……病院の先生や、お見舞いに来てくれた親戚にも、まったくといっていいほどまともに話せなかったの」
「少しは話せたもん……」
カレンさんの言葉にサラが膨れる。
そのサラの様子に少しだけ空気が和む。
「だとしたら事情を知らない人たちから見たら、まるで別人になったように見えるはずだよ。
だから、記憶喪失のことを伏せるとしても限界はあるかもしれない」
僕の言葉に、詩織と翔真がうなずく。
それを確認してから僕はサラの方を向く。
「だけど、最大限フォローするから安心して」
「うん……ごめんね、迷惑かけて」
僕は首を振り、微笑んだ。
「謝ることじゃないよ。ここは“ありがとう”でいいよ」
「……うん、ありがとう!」
その笑顔と素直さだけで、僕はいくらでも頑張れると思った。
そして、先程のサラの”不幸じゃない”という発言について、確認するように問いかける。
「それとサラ確認なんだけど、君は記憶を失ったこと、どう思ってるの?」
伏し目がちに、サラは小さく答えた。
「……みんなのことを忘れてしまったのは、申し訳ないって思ってるよ」
「じゃあ聞き方を変えるね。周りのことは気にせず、自分の気持ちとしては記憶を取り戻したいと思う?」
「……ううん。私としては、別に思い出さなくてもいいかな」
「なら、決まりだ。無理に記憶を取り戻す必要はないよ」
サラの気持ちを聞いて、僕がそう結論づけた瞬間だった。
「ちょっと待てよ!」
翔真が声を荒げた。納得いかない勝手に決めるな。そう叫んでいるようにも聞こえた。それに詩織も眉をひそめ、頷いた。
だけど、僕はそれを受け流すようにしてなだめる。
「反論はここじゃなくて、場所を移して後で聞くよ」
そう言いながら、視線だけチラッとサラの方を見る。
「……わかった」
翔真は素直に了承してくれた。それだけで”サラがいる場所では止めよう”という僕の意思を理解してくれたようだ。
僕はうなずき、サラにも視線を送る。
「サラも、それでいい?」
「うん、私はそれでいいよ!」
サラの笑顔に含みはなかった。純粋に“今のままでいい”と思っているのが伝わる。
その様子を確認して、僕は話を切り替えた。
「それはそうと、もうすぐ年明けお正月だね」
「うん。それがどうしたの?」
「記憶をなくす前、初詣デートの約束をしてたんだ。一緒に行こうか」
その瞬間、先ほどまで落ち着いていたサラが、急にあわてふためく。
「そ、そんな急に言われても……心の準備ができてないよ! きゅ、急には無理!」
……なんて初々しい反応だ。可愛すぎて、そのまま抱えて帰りたくなる。
けれど、それは今の彼女には良くない。嫌われたら元も子もない。ゆっくり段階を踏むべきだ。
そんな可愛い彼女に僕は、極めて理性的に、そして誠実に告げる。
「そっか……いきなりはそうだよね。サラも楽しみにしてくれてたから、僕も嬉しかったんだけど残念だよ」
「う……わ、わかったよ……行く」
捨てられた子犬のような目で寂しげに呟くと、彼女は快く承諾してくれた。
「ありがとう。初詣デート、楽しもう」
僕は笑顔でそう返した後、詩織と翔真に向き直る。
「さて、これ以上お邪魔するのも悪いし、そろそろ帰ろうか」
「じゃあ、またお正月にねサラ」
「うん……またね」
サラの小さな声を背に、僕たちはサラの部屋を後にした。
一階に降りた後、僕はカレンさんに声をかける。
「カレンさん……もう少しサラのことについて話を聞かせてもらえませんか?」
カレンさんは困ったような顔をしながらうなずいた。
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