34キスの行方
「なるほどね、それであんなに怒って、ひどいこと言ってたんだ」
「そうだね。元々軽く忠告と脅しぐらいだったんだけど、サラを傷つけておいて自分の妹は傷つけるなって態度に我慢の限界を越えてしまったよ」
サラからの勝負を受けた後、ことの顛末について話していた。
聞いていて楽しい話ではないはずなのに、サラは僕の隣で穏やかな顔をして、手を繋いだまま寄り添ってくれていた。
「たしかに……悠人くんが腹が立つのも分かるけど、それでもやっぱり、あそこまで酷いこと言うのはよくないよ?」
少し上目遣いで、指を立てて「めっ」とする仕草。さっきまでの諭すような口調とは違い、思春期の女の子らしい表情に、胸が温かくなる。
「うん。反省してる。僕がサラを守りたいように、藤堂さんも妹さんを守りたいだけだったんだと思う」
そう言うと、サラはふわりと笑い、うんうんと頷く。
「そうそう! そうやって相手の気持ちを考えられるのは素敵だよ」
繋いだ手をぎゅっと握りしめ、さらに身を預けてくる。
シャンプーの香りがかすかに鼻をくすぐり、自然と手が髪へと伸びた。優しく撫でると、サラは小さく声を漏らす。
「えへへ……なんだか落ち着くね」
「僕もだよ。さっきまで胸がざわついてたから」
それを聞いて、チラッと横目で僕を見てくる。
「それって……私に嫌われるかと思ったから?」
「そうだね。正直、怖かった」
「そっか……ふふ。そういった本音……弱いところを見せてくれるの、嬉しいな」
彼女はしばらく黙り込み、握る手に強弱をつけながらぽつりと呟く。
「完璧な人なんていないよね。誰にでも嫌な部分や弱さはあるし……そういうところを見せてくれる方が、私は安心できるな」
やがて顔を上げ、いたずらっぽい笑みを浮かべる。
「でも、悠人くんがあそこまで過激だとは思わなかったけどね」
「……今度からは、あんな風になる前に、ちゃんと君に相談するよ。今日みたいなことを繰り返さないために」
そう答えると、サラは満足そうに頷いた。
「いい心がけ。じゃあご褒美あげなきゃね。なにがいい?」
「ご褒美って?」
サラは頬を赤らめ、座り直して両手を膝の間に挟む。横目でちらりと僕を見て、緊張した声を落とす。
「たとえば……キスとか?」
一瞬、言葉を失う。
僕が答えられずにいると、彼女は指先をいじりながら慌てたように続けた。
「あ、あの……恋人なんだし、ホントにえっちなことじゃなければ……キスくらい、いいかなって……」
彼女の提案は、それだけ僕に心を開いてくれている証拠だと感じた。距離が縮まり、記憶をなくした彼女の中でも、僕の存在が大きくなってきているんだと感じて、温もりが全身に伝わっていくような気分になった。
彼女は恋人として僕に誠実に向き合ってくれている。ならば、僕もそれに誠実に答えることにした。
「すごく魅力的な提案だけど……やめておくよ」
「……どうして?」
僕の言葉が意外だったのか、サラは目を丸くして、不思議そうに問い返してくる。
「キスは、君が心から望んだときにしたい。ちゃんと両想いになった時にね。無理にすることじゃないと思うから」
言った途端、ほんの一瞬、笑みが陰ったように見えた。
「そっか……」
一瞬の沈黙の後、彼女は不意に僕へ抱きついてきた。
突然のことに僕が戸惑っていると、
「このままギューしてよ。それくらいなら……ご褒美でいいでしょ?」
「そうだね……とても素敵なご褒美だよ」
彼女の意図を理解し、その言葉に従い彼女を抱きしめると、不思議と胸は落ち着き、ただ温かさだけが残った。
しばらく沈黙のまま、寄り添い合う。
サラは顔を僕の胸に埋めているため、その表情から今どんな気持ちなのかは読み取れない。
それでも、彼女の緊張と暖かさはしっかりと僕の胸に届いてきた。
やがてサラは身体を離し、うつむいたまま立ち上がると背中を向ける。
揺れる金の髪を見つめていると、彼女の声が小さく届いた。
「もう遅いし……寝よ?」
テーブルの上の時計を確認すると、確かに時間は過ぎていた。
「ほんとだ。明日も学校だしね」
「うん。じゃあ、おやすみ」
「また明日」
サラは小走りにリビングを出ていった。
残された空気に、彼女の温もりと香りだけがふんわり漂っていた。
その姿を見送った後、リビングの暖房の電源や電気を切り、玄関のロックを念のため確認するなどしてから、自分の部屋のベッドへ向かう。
電気を消してベッドに横たわると、張りつめていた気持ちが一気にほどけていく。まぶたが重くなり、すぐに意識は沈んでいった。
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