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記憶喪失の恋人を、もう一度僕に恋させる  作者: 久遠遼
第一章:残念イケメンと記憶喪失の少女
31/39

31二人きりの夜

 僕の本性をサラに見られてしまった気まずさから、彼女を翔真たちに任せ、一人で家に帰ってしばらくしてからカレンさんから連絡があった。

 電話があってはじめて、カレンさんからメッセージが送られてきていたことに気付く。

 スマホの画面に気づかないほど、サラのことで余裕がなくなっていたのかと、自分に呆れ果てる。

 そして、カレンさんから今日はサラを泊めてほしいという話を聞いてすぐ、サラを迎えにいったわけだ。


「おじゃまします……」

  

 彼女は僅かな緊張と、気まずさを纏いながら家の中へと入る。


「身体冷えたよね? 先にお風呂に入っておいでよ」


「え、いいよ。先に市ノ瀬くんが入ってきなよ」


 そう答えるサラは控えめな様子だった。


「僕は少しやることがあるから、後で入るよ」


「でも……」


「いいから、遠慮しなくていいよ」


「うん……ならお言葉に甘えて」


「タオルと着替えは、そこの君の部屋から好きなのを自分で選ぶといいよ」


 そういって僕は玄関から入ってすぐの扉を指さした。


「ママから聞いてたけど、本当に私の部屋があるんだね」


 サラは戸惑いながらそうつぶやいた。


「そうだよ。君が着替えの準備をするのがめんどくさいからって、ここに一通り必要な物を置いていたんだよ」


 以前、僕は白瀬家でサラたちと一緒に暮らしていた。

 だけど、高校入学を機に白瀬家を出て独り暮らしを始めた。

 その時、サラがとてつもなく反対して、だだをこねた。それを見かねた彼女の両親が、いつでもサラがここで寝泊まりできるように、部屋を手配してくれたのだ。

 実際に以前は、頻繁に第二の家としてサラはここを利用していた。


「へ~そうなんだ。泊まりの準備してなくて、どうしようって思ってたから助かる」


 サラが入浴の準備をするために、自分の部屋へ入っていく。

 その背を見送りながら、しんとした廊下をゆっくりと進み、奥のリビングのドアの前に立つ。


 そのまま静かにドアを開けると、暖房のぬくもりとともに、廊下の冷気の気配がすっと遠ざかる。

 窓の外では、雪が音もなく降り続けていた。カーテンの隙間から、白く染まる庭がちらりと見える。 


 一度、深く息を吐いた後、キッチンへ向かい、冷蔵庫を開けて食材を取り出す。

 まな板に野菜を置き、包丁を握った手に自然と力が入った。

 そのまま、夕食の準備を始める。


 しばらくして、背後でかすかな音がした。

振り返らずともわかる。サラがリビングのドアを開けて、そっと顔を覗かせたのだ。

目は合わせず、少しだけためらうような間を置いて、彼女は小さく呟いた。


「今からお風呂いくけど覗いたら……ダメだよ……」


 その言葉に冷たかった身体が熱くなるのを感じる。

 以前のサラとのやり取りを思いだす。


 ――「悠く~ん、一緒にはいる?」――


 ――「もちろん! 背中をながしてあげよう!」――


 ――「わわ、冗談だから! バカ!」――


 そんなやり取りをお約束のようにしていた。

 だけど……やはり今は違った。

 幼馴染みだった頃の軽いノリと冗談は、なりを潜めて、その場には男女の甘い空気が漂っていた。

 ゴクリと音がしたのが、自分の唾を飲み込む音だと気付き、それを誤魔化すようにあわてて答える。


「そ、そんなことはしないよ……」


僕の返答を聞いて、照れた様子でサラは呟く。


「そっか、うん……」


 脱衣所の扉が閉められても、僕は落ち着くことができなかった。

 記憶を失くしてからも、サラの本質的な優しさや心に寄り添う性格、自己犠牲的な危なさはそのままだ。

 だけど、以前とは異なる僕に見せる表情や仕草。そして、恥じらいと微妙な距離感。

 それらは、幼馴染みで大好きなサラという認識から、一人の魅力的な女性という認識を僕に与えさせるものだった。


 気を紛らわすために、夕御飯の準備を続ける。

 だけど、料理をしながらも僅かに聞こえるシャワーの音が気になり鼓動がより一層速くなる。

 自らの鼓動のうるささに集中しきれず、食材を切るのにいつもの倍以上の時間を費やしてしまった。


 しばらくしてリビングの扉が開き、廊下の冷気とともにシャンプーの香りが漂ってきた。


「お待たせ……」


 サラは冬用のパジャマに着替えて出てきた。

 ふわりとした厚手のパジャマに包まれているのに、その柔らかな布越しからでも体温が感じられる気がした。

 濡れた金髪が首元に張りつき、しずくが鎖骨を伝って消えていく。

 ほてった頬は薄紅に染まり、湯上がり特有の潤んだ瞳とあいまって、普段の彼女とは違う大人びた雰囲気を漂わせていた。


 無防備さと清潔さ、そしてわずかな艶っぽさと恥じらい。その全てが同時に押し寄せて、思わず息を呑む。

 彼女のお風呂上がりの姿なんて見慣れていたはずなのに、どうしてこんなにも色っぽく見えてしまうのだろう。

 幼馴染みだった頃とは違う、確かな「異性」としての存在感に、胸の鼓動が自然と速くなっていった。


 思わず手を止めてしまった僕に、サラが小さく首をかしげる。


「……どうしたの?」

 

「い、いや……別に」


 慌ててフライパンに視線を戻し、菜箸でかき混ぜる。

 自分でも分かるくらい耳まで熱くなっていた。


「ふふっ。ねぇ、ドライヤー借りてもいい?」


「あ、うん。そこの棚の二段目に入っているよ」


「ここ? あっ、あった、ありがとう」

 

 サラは小さく笑いながら呟いた後、ソファに腰を下ろし髪を乾かし始めた。


「じゃあ、次は市ノ瀬くんの番だね」

 

「……うん、そうするよ」


 僕は包丁を置き、脱衣所へ向かった。

 浴室に入っても、さっき目にしたサラの姿が頭から離れなかった。

 ドア越しに聞こえる水音、シャンプーの香り、湯気の中で閉じこもるような静けさ。

シャワーを浴びながら、目を閉じても、その一瞬の映像が何度も脳裏に浮かび、心臓の鼓動は早まるばかりだった。


 お風呂から上がり、タオルで髪を拭きながらリビングへ戻ると、サラは立ち上がって、落ち着かない様子でソワソワしていた。そして、時折目を細め優しい表情を浮かべながら、部屋のあちこちを見回していた。

 僕に気づくと、こちらを向いて声をかけてくる。


「……ほんとに何もない部屋なんだね」

 

「一人暮らしだと、最低限のもので十分だから」

 

「そっか……」


 彼女はそれ以上踏み込んで聞いてくることなく、本棚に並んだ参考書や、机の上に整然と並べられた文房具に視線をやる。

 

「前は、私がここで漫画広げたり、お菓子散らかしたりして過ごしていたのかな?」

 

「そうだよ……よく嗜めてたよ。制服がシワになるからゴロゴロするなら上着を脱ぎなよとかね」

 

「なんか、しっかりしててママみたいだね」

 

「サラがだらしなさ過ぎるんだよ」


 くすっと笑うサラの声に、胸の奥が温かくなる。


「……でも、そういうのもいいな」

 

「何がだい?」

 

「何もない部屋より、少し散らかってるくらいの方が、人が住んでるって感じがするから」


「なら、これからも定期的に来て、部屋を散らかして帰ったらいいよ」


「いいの? ならそうする」


 サラは楽しそうに笑うと、再びソファに腰を下ろす。

 彼女の言葉が妙に胸に響いて、僕は手を動かしながらも顔を上げられなかった。


 それっきり、会話はなく僕は料理の仕上げを行う。

 その間サラは、部屋にある物に触れては、少し目を閉じる行為を繰り返していた。まるで失った思い出を確認するかのように。

 その様子を視界の端にとらえながら準備を終えて、テーブルに肉じゃがと味噌汁、それに焼き魚と簡単なサラダを並べる。


「わぁ……すごい、本格的だね」

 

「大したものじゃないよ。さ、食べよう」


 向かい合って座り、二人で手を合わせる。


「いただきます」


 食卓に広がる湯気の温かさと、サラの笑顔。

 静かなアパートの一室に、確かな「生活の匂い」が生まれていった。


 食事を始めると、お互い示しあわせたかのように黙々と食事を摂る。

 ほぼ同時に食べ終え、テーブルの上から食器を片付け、一息ついたタイミングでサラがぽつりと呟くように話を切り出した。


「さっきのこと……詳しくお話しない?」


 それは非難するというより、歩み寄りたいための対話を願うように感じた。


「温かい飲み物でも入れようか」


 僕は一度席を立ち、サラにはピーチティー、僕には普段カッコつけで飲むブラックコーヒーではなくココアを入れて、改めてサラと向き合った。

明日も更新!

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― 新着の感想 ―
いやーマジで上手いわ。文章。キレイだわ。憧れる。 久遠さんの文章読んだ後に執筆するとはかどるもん。超参考にしてる(笑)  第一章もいよいよクライマックスに近づいておりますな。サラの記憶喪失のことちょ…
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