03心と記憶
私、白瀬サラはこの家の一人娘らしい。
そう思うのは、肝心の記憶がすっぽり抜け落ちているからだ。家族や友達との思い出はないのに、一般常識や勉強の知識はちゃんと残っている。不思議なものだ。
幸い、ママ――カレンさんはとても優しいし、大学教授のパパも記憶をなくした私を心配して、忙しい合間を縫って様子を気にかけてくれている。愛されているなって思えたし、だから日常生活は問題なし。
それに、元々の性格なのか自身自分に対して無頓着なのもあるのか「忘れたものは仕方ないか」くらいの軽い気持ちで過ごしてきた。
むしろ、そのことに悲観するよりも忘れてしまったことに対して周りに申し訳がないくらいだ。
――今日までは。
家に来た同年代の子たち。私のことを知っているらしい彼らに、ママが記憶喪失のことを告げた瞬間、空気が変わった。目に見えて沈んだ表情。
胸の奥が、チクリと痛んだ。私自身は大したことじゃないと思っていたぶん、余計に。
その中の一人。最初は動揺していた彼――市ノ瀬悠人くん。
黒髪は整えられ、鋭さのない穏やかな輪郭、柔らかな黒目、整った鼻筋、自然と口角の上がった笑みで少年というより青年のような落ち着いた印象と爽やかさがある男の子だった。
その彼が、表情を和らげ、穏やかに微笑んで、私の前で膝をついた。
そして、自分は私の幼馴染みで恋人であると告げたあと。
「もう一度、僕に恋をしてほしい」
突然、市ノ瀬くんは、真っ直ぐな瞳でそう言い、手を差し伸べてきた。
そのよく通る声はなぜだろう、初対面のはずなのに、どこか懐かしい。
それでも、私は彼を覚えていない。今日会ったばかりの他人だ。そんな人から「恋人」だなんて言われても、私からしたら目の前の男の子はただの不審者だ。
それが、今の私の正直な考えだ。
……なのに。
胸の鼓動は早まり、顔が熱くなる。
私の心は――『この人を知っている』――と伝えてくる。
そんな思考と心がせめぎあい、私の中はぐちゃぐちゃになっていた。
気づけばほとんど無意識のまま、その手を取っていた。
「……うん。もう一度、あなたに恋をさせて」
彼の目がふっと優しく細まり、その瞬間、私の心臓が大きく跳ねた。
今回短くて本当にごめんなさい……
夜にも投稿するので、是非続きを夜にご覧ください!