29冷たいあなた
「サラよかったね」
詩織ちゃんが心の底からそう思っているのが分かるほど、優しく声をかけてくれる。
「うん、ありがとう。探すの手伝ってくれて……」
私はもう絶対に失くさないようにとネックレスをつける。
それにしても恥ずかしい姿を市ノ瀬くんに見せちゃったな。
あんなに泣いて、目も少し腫れているだろうからかわいくなかっただろうな……だけど、そんな私でもきっと関係なく好きでいてくれるんだろうなと思うと、自然と口角が上がる。
ネックレスをつけ終わり周りを見ると、市ノ瀬くんがいないことに気づいた。
さっきまで市ノ瀬くんがいたところには翔真くんが一人立っていた。
「あれ? 悠人は?」
「あ~いや~なんか先に帰っておいてくれってさ」
なんだがバツが悪そうに翔真くんは答える。
その時、言葉では言い表せない胸のざわつきを感じた。
さっきのこともあり、市ノ瀬くんをおいて帰ることに対して、寂しいとか不安とかの気持ちになるのかなと思っていたのだけど、これは違う。
思考が全く纏まってない、何をするべきかも分かっていないのに、私の足はゆっくりと美咲ちゃんが向かっていた――おそらく私たちの教室へと進めた。
「サラ?」
「行かなきゃ……」
詩織ちゃんの不思議がる声に、無意識にそう呟いた。
「……サラ待てよ」
翔真くんに道を塞がれる。
「悠人は先に帰っておけって言ったから、俺らと一緒に帰ろうぜ?」
翔真くんは笑ってそう言ってきた。だけど、その笑顔が作られたものというのはすぐにわかった。
彼は分かっているのだろう。市ノ瀬くんがなにをしに行ったのか。そして、私を行かせるべきではないと思っているのだろう。
その様子がわかり、胸のざわつきが増した。
胸の奥で、説明できない焦りが燃え広がっていく。
そして、”行かないと!“という明確な意志が私の胸にめばえた。
「……お願い、通して」
その一言だけ伝えて、翔真くんを見る。
お互いしばらく目をそらさず、視線を交わす。
「はぁ~わかった。いけよ」
やがて、翔真くんは息を吐きながら肩の力を抜くと、横にそれた。
私は黙ってその横を通り抜け、教室へと向かう。
だけど、意識したわけではないけどその歩みはゆっくりだった。
確信があった。この胸のざわめきにしたがって導かれた先は、記憶喪失になってからの彼との関係を大きく変えることなると。
永遠にも一瞬にも感じた教室までの道。
そして、教室の入り口から見えた市ノ瀬くんの顔。
その顔は今まで見た彼の優しげな表情は欠片も見えず、鋭く冷たいものだった。一瞬別人かとも思ったけど、紛れもなく市ノ瀬くんだった。
彼の前には美咲ちゃんが、目に涙を浮かべながら立っていた。
「醜い女だ……ヘドが出る。自分の都合で人の大切な存在を傷つけるお前が、弟を大切に想い身を案じる資格はない」
聞き慣れた声なのに、まるで別人のもののようで――身体の芯まで冷たくなるような、冷淡な声。
私の身体は無意識に動いて、市ノ瀬くんの元に向かっていた。
「嫉妬と醜悪だけでできあがった哀れな人形だ――」
パン!
気づけば私は彼の頬を思いっきりひっぱたいていた。
私の方を振り返った彼は、最初驚いた顔をしていたけど、やがてふっと優しい笑顔を一瞬みせた。
え、なんでそんな顔をするの? と戸惑っている内にその表情は悲しげになった。
「……翔真たちと帰らなかったんだ」
彼は弱々しい声と微笑みで呟いた。
それはまるで悪いことをして、それがばれた後の子供のようにも見えた。
「悠くん……ダメだよ……そんな人を傷つける、貶すようなことを言ったら」
確かに自分の口が動いていて発した言葉だ。だけど、私自身その言葉を発しようと思ったわけじゃない、自然と出た言葉だった。
「その通りだね」
そういった後、市ノ瀬くんは美咲ちゃんに向き直って、頭を深々と下げた。
「ごめん藤堂さん。頭に血が昇って冷静じゃなかった。
さっき言ったことは本気じゃない。ただ腹いせに出ただけの言葉だよ」
「え、ええ……」
市ノ瀬くんの突然の態度の変化と謝罪に、美咲ちゃんは戸惑っていたけど、なんとかその一言だけ口にしたようだった。
美咲ちゃんの返事を聞いた後、市ノ瀬くんは私の方をみることなく教室への入り口へと向かっていき、教室を出る前に背中越しで声をかけてきた。
「僕は先に帰るよ……翔真たちにもう一度言っておくから。二人と帰ってね。
一応家に着いたら連絡してほしい」
背中を向けた彼は、振り返ることなく扉の向こうへ消えた。その背中が、今まで見たどんな距離よりも遠く感じた。
「あっ……」
私は呼び止めようと伸ばした手をそのまま、胸の前に持ってきて、きゅっと握る。
胸がひどく痛んだ。以前の私は知ってたんだ……彼のあの様子を……
「し、白瀬……」
振り替えると美咲ちゃんが神妙な面持ちでこちらを見ていた。
「ごめん! 私が悪いの! 私があんたの大切にしていたネックレスを隠してあんたを傷つけた。
それを市ノ瀬くんは怒って、それであんなことになって……」
美咲ちゃんの謝罪と告白には驚かなかった。
なんとなくそうなのかなって、彼が怒るとしたら自分のことじゃなくて、きっと私のことだろうから。
「そっか……どうしてそんなことしたのか聞いてもいい?」
美咲ちゃんは眉間にシワを寄せて、両手をギュッと握りながら苦しそうに告げてきた。
「白瀬の、前と違う感じが気にくわなかったの。ただの私の自分勝手な感情だったのよ……」
「でも、ネックレス返してくれて。謝ってもくれたから今は違うの?」
彼女は小さくうなずいて、さっきよりも苦しげで、悲痛な様子になってうつむく。
美咲ちゃんの代わりに、佳奈ちゃんと彩花ちゃんが答えてくれた。
「たまたま、白瀬ちゃんと黒川ちゃんが話しているのが聞こえたのよ」
「そしたら……白瀬。記憶がなくなってるって」
二人がそう言葉を発した後に美咲ちゃんも続ける。
だけど、さっきよりも弱々しく自分を責めるような声色だった。
「それを知って、自分が勘違いから――ううん、そうじゃなくても酷いことをしたんだって、さっきの白瀬の様子を見てわかったのよ」
三人が私の記憶喪失のことを知っていたのは驚いた。
だけど、それ以上に美咲ちゃんが自分のしたことに心を痛め、それを市ノ瀬くんに恐喝されるように突きつけられた時に恐怖を感じた後、今こうして罪と向き合っている痛々しい姿は、見ていられなかった。
美咲ちゃんは、うつむいたままもう一度呟く。
「だから……ほんとに、ごめん」
私はそんな彼女の手をとる。びくっと身体が反応した後に、美咲ちゃんはおずおずと顔をあげる。
彼女に優しく、恐怖に耐えていたであろう心を、刺激しないように言葉をかける。
「ちゃんとネックレスを返してくれてありがとう。
私たちの方こそごめんね? 悠くんが酷いこと言って」
私の言葉を聞いた瞬間、美咲ちゃんの目から涙が溢れてきた。
さっき、市ノ瀬くんに問い詰められてた時に耐えていた時にも流さなかったそれは、凍った心を溶かしたように、彼女の頬を流れていた。
「……私のせいで、あんたと市ノ瀬くんはあんなことになって」
ゆっくり首をふって、笑顔で答える。
「大丈夫、悠くんはちゃんと話せば分かってくれるはずだから」
本心からでた言葉だけど、すぐに彼と面と向かっては話せないのも正直な気持ちだった。
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