それから3
窓の外から差し込む昼の陽射しが、カーテン越しに柔らかく揺れている。
アオネコは、窓辺へ立って、病院の下に広がる風景を眺めていた。
ふと、扉の向こうから静かにノックの音がする。
「失礼します……」
アオネコは、振り返った。
そこに立っていたのは、チイナの両親だった。
「アオネコちゃん、久しぶり」
お母さんは気丈に微笑んでいたが、その目はどこか赤く滲んでいる。
お父さんは無言のまま、静かにアオネコの顔を見つめていた。
「チイナの……お母さん、お父さん……」
かすれた声が自分の口からこぼれる。
いそいで、アオネコはベッドの縁に座り直した。チイナの両親が、ゆっくりとベッドのそばに歩み寄る。
「アオネコさん、体調は大丈夫?もうすぐ退院って、お母さんから聞いたよ」
お母さんが優しく声をかける。
アオネコは、ほんのわずかに頷いた。
「……すみません。私、チイナのこと、何も……何もできなくて……」
その言葉に、お母さんは小さく首を振った。
「そんなこと、ないわ。貴女が攫われたって聞いた時、本当に怖かった。チイナの大好きな貴女までいなくなってしまうと思ったら、チイナのいた証まで無くなってしまうみたいで辛くて……あなたが戻ってきてくれて、本当に良かった……」
お父さんも静かに頷く。そして、アオネコに向かって遠慮がちに尋ねた。
「チイナのこと……聞いてもいいかい?」
アオネコは一瞬、言葉を失う。
チイナのことを語るには、あまりにもたくさんのことがあった。
何を、どう伝えればいいのかわからなかった。
真実を話した所で、信じてはもらえないだろう。
けれど。
アオネコの胸の奥で、確かにチイナが微笑んでいる。
「……チイナは……ご両親のことが、大好きでした」
お母さんの瞳が、アオネコを映して揺れる。
「本当に……?」
アオネコは、少しだけ力を込めて続けた。
「ええ。チイナはいつも、お二人のことを話していました。"お母さんの料理が一番おいしい"って。"お父さんのダジャレは寒いけど、なんだかんだ好き"って、それから……」
お母さんが口元を押さえる。お父さんは少し目を伏せた。
「それから……っ」
アオネコは続けようとした。でも胸がいっぱいになって言葉にならなかった。
「……チイナらしいな」
お父さんが、ちょっとはにかみぎみに笑った。
その笑い方が懐かしくて、アオネコは思わず矢継ぎ早に口走った。
「……チイナは、今もきっと、そばにいます。私の中で、ずっと生きてます」
お母さんは涙を流しながら、ベッドの側へ寄ると、そっとアオネコを抱きしめた。
「……ありがとう。あなたの言葉……まるでチイナに言われてるみたい」
アオネコの胸が、じんわりと熱くなる。お母さんのぬくもりが伝わって、アオネコはその背中を抱きしめ返した。
「お母さん、お父さん、ありがとう……」
アオネコは自然とそう口にしていた。
チイナはここにいない。でも、確かに"いる"のだ。
本当の意味で、アオネコの中にはチイナがいた。真実を打ち明けられなくても、それだけは伝えたいと思った。
「チイナ……」
お母さんが、アオネコを抱きしめながら、囁いた。
「大好き」
チイナの記憶が、チイナの気持ちが、あふれ出す。それを感じた瞬間、アオネコはようやく、心の奥にあった重たい何かが溶けていくのを感じた。