塔5
アオネコは思い出した。チイナの手紙のこと。その中に込められたチイナの想い。
「許さない」
教室のチイナが、アオネコに早足で歩み寄って、肩を掴む。掴んだ肩を引き寄せて、彼女はアオネコにキスをした。
冷たい唇が押し当てられる。途端に、アオネコの中に無数の記憶が螺旋を描いて現れた。
チイナと過ごした日々。
春の日の桜並木の道。高校の門の前で、二人して撮った入学式の写真。
『ふふ』
『なに、アオネコ』
『チイナ、鼻の頭に花弁ついてる』
『えっ!ほんと!とってとって!』
チイナが目を閉じる。アオネコがチイナの小さな鼻先に指で触れた。柔らかい。ぷにぷにと弾力を確かめる。
『ひゃおねこ、ひゃめれ~』
『うふふ、チイナの鼻、可愛い』
『んもう!取れた?』
『取れた取れた』
花弁を摘まんで、アオネコがチイナに見せる。風が吹いて、桜吹雪が舞い、アオネコの手の中の花びらも空に舞って行った。
『アオネコ!』
うだるような夏の日。プールの塩素の匂い。水際の、チイナの笑顔。亜麻色の、濡れた髪。
プールサイドをチイナが走る。アオネコはそれを追いかけていた。
水を弾いて夏の太陽に光る、肌に張り付いた水着の瑞々しさ。触れたいと思った胸の鼓動。
『来て!』
チイナがアオネコの手を引いてプールに飛び込む。一緒にもつれながら水面へ飛び込んで、一瞬何も見えなくなる。
陽光が水の中に差し込み、ゆらゆらと揺れる。泡立つ空気の粒の向こうにチイナがいて、こちらに手を伸ばした。
アオネコも腕を伸ばして、その手を握りしめる。両手で手を繋ぎ合い、水の中で揺蕩いながら笑いあう。
試験勉強がうまくいかなくてチイナが泣きべそをかいていた秋の日。図書館の静かな雰囲気。チイナの、真剣な横顔。ペンが紙を擦る音。
『うーん、難しい……』
『だから、ここはこうすれば……』
『そうか!アオネコ、頭いいっ!』
『しーっ』
『あ……っごめんっ』
二人で寄り添って課題をこなす。触れ合った肩のぬくもり。ほのぼのとした一体感。交差した脚。キスしたくなる。我慢する。
もう少しだけ側に寄りたくなる。アオネコは椅子を近づける。チイナは何も言わず受け入れた。それが嬉しくて、アオネコは本物の猫みたいにチイナにすり寄った。チイナがくすぐったそうに笑う。
二人で言った冬の日のゲームセンター。
アオネコがクレーンゲームに何度も失敗する。チイナが眉を怒らせて、腕まくりをする。百円を入れて、アームを動かす。ぬいぐるみを掴んで、アームが持ち上がる。するりとぬいぐるみが落ちて、二人で落胆する。
『あー……』
『あーあ』
『もう帰ろっか』
『肉まん食べて行こう』
『またアオネコは……そうやってイライラすると食べる……』
『チイナも一緒に食べて』
『はいはい』
コンビニに駆けこんで、肉まんを買い、一つのそれを、二つに分け合って食べる。心が満たされて、あたたかくなる。並んで歩きながら、二人でとりとめなくお喋りをする。道が別れるまで、ずっと一緒だった。
そしてメルティ・イヤーを使ってからの記憶。
一つになる快楽。とまらない執着。抱きしめたぬくもり。キスをした快感。
そして、チイナの肉体が完全に消え去った瞬間。
チイナって私にとってなんだったのだろう。
教室のチイナは、アオネコから唇を離した。
「欲望を満たすだけの存在。支配するだけの肉塊。食い荒らすだけの餌」
教室のチイナが矢次早に言う。
「そうでしょ?私を好きにしていいんだよ?認めなよ、あんたはそういう女」
教室のチイナは、アオネコに微笑みながら身を投げ出すように両手を広げた。
「ねえ……アオネコ、永遠に一緒だよ」
アオネコの頬を涙が伝う。違う。違う。チイナは。
チイナは。
アオネコは教室のチイナの手を振り払って叫んだ。
「チイナはそんなこと言わない!」
その声は、強い異形音になって世界に響いた。バリンッ、と大きな音がして、時計塔の窓から見える空が割れる。
『馬鹿な……ッ!』
神楽耶の驚愕した声が、空の方からかすかに響いた。
『破壊だと……!?こんな……!こんな……!』
空が割れ、空間が歪み、時計塔が崩壊を始める。アオネコが教室のチイナに向かって叫ぶ。
「あんたはチイナじゃない!本物のチイナは……!」
アオネコは踵を返して時計塔のチイナを振り向いた。そしてそちらに向かって走り出す。
「アオネコ!」
チイナがアオネコに向かって手を広げる。アオネコは、その胸の中に勢いをつけて、飛びこんだ。