塔1
「アオネコ」
懐かしい声に呼ばれて、アオネコは目を覚ました。
目の前の椅子にチイナが座って、机に頬杖をついてアオネコを見つめている。
アオネコは顔を上げて、きょろきょろと辺りを見渡した。
そこは学校の教室だった。
チイナとアオネコ以外は、人っ子一人いない。教室はがらんとして、うすら寒い。
「みんなは、遠い昔に滅んじゃったよ」
チイナは、アオネコの手に自分の手を重ねながら言った。
「今地球上にいるのは、アオネコと私だけ」
微笑みながら、チイナはアオネコに熱のこもった視線を向けた。桜色の唇と頬が、微かに色づいているのがわかった。
「生き残ったのは、私たちだけ……?」
「そう」
アオネコの問いに、チイナは頷く。そして、椅子から立ち上がって屈みこみ、アオネコを抱きしめた。
「永遠に一緒にいようね」
夢にまでみた、チイナの懐かしい香りが鼻腔に入り込む。アオネコは、目をつぶってその香りを胸いっぱいに吸い込んだ。肺がチイナの香りで満たされ、浸されて行く。
「永遠に一緒?」
「そう、永遠に。時の果てるまで一緒だよ。私たち、永久に生きるの」
「どこにも行かずに?」
「どこにも行かずに。私はずっとここにいる。この学校の、アオネコの側にいる」
まるで幼児にするように、チイナはアオネコの背中をトントンと撫でる。波の様な心地よさがやって来て、アオネコはうっとりと薄目を閉じた。
ふいに、ピアノの音がして、アオネコはチイナの胸からそろそろと視線を上げた。
遠くで誰かがピアノを弾いている。旋律には聞き覚えがあった。ドビュッシーの『塔』だ。
アオネコは首をかしげてその音に聴き入った。旋律は、まるで夜の静寂の中でかすかに聞こえる鐘の音のようだ。
「誰かがピアノを弾いてる……?」
「まさか。私たち以外に、誰もいないのに?」
チイナが即座に否定する。彼女は少し考えて、結論を見つけたようだった。
「時計塔の自動ピアノが鳴っているんだよ。きっと」
「そっか……」
癪全としない面持ちで、アオネコが相槌をうつ。チイナは、笑みを浮かべて「そうだよ」と言った。
しかし、嫌にピアノの音が耳に残る。アオネコは音に気を取られて、ぼんやりと宙を見た。
チイナが、アオネコの頬を両手で包んで、自分に向かせた。
「私を見て、アオネコ。キスして」
チイナの唇が近づいて、アオネコの唇に重なる。アオネコは、眼を閉じてその唇を享受した。
甘い交歓の時が訪れて、二人は舌と舌を絡め合ってお互いの唇の感覚を楽しんでいた。
急に、ピアノの旋律が大きくなる。アオネコは驚いて目を開けた。
肩に手を掛け、唇をひき剥がして、アオネコはチイナを見つめた。
この子は誰だろうか。
アオネコの望むように、永遠を誓い、アオネコの望むようにキスをねだる。チイナの姿をしているが、どこか軽薄で、嘘くさい。
「あなた、誰」
アオネコは、チイナに向かって聞いた。
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