音と香りは夕暮れの大気に漂う4
パッと部屋の明かりが白熱灯に切り替わる。天井のライトは不自然なほど白く、無機質な光がアオネコの頬を照らしていた。神楽耶が、リモコンを操作している。低い機械がせり上がる音がして、床板が外れ、スライドし、部屋の中央に、冷たい金属製の椅子がせり上がって来る。その背後には無数のコードが絡みつくように繋がれていた。
神楽耶は、その椅子に近づくと、アオネコに向かって言った。
「おいで……」
アオネコはふらふらと、椅子の側まで歩み寄った。椅子から機械の一部を外して、神楽耶が手に取った。それは、無数のコードが接続された機械だった。細長いコードと微細な電極を備えており、頭に被せるものだと分かる。近くで見るとまるで生き物のように絡みつく細いコードが何本も伸びており、頭部全体を包み込むように形作られている。
アオネコは一瞬躊躇して立ち止まった。神楽耶の手の中にあるそれはまるで機械で出来た獣の顎そのものだった。
「怖がることはない」
ヘッドギアを小脇に挟み、アオネコの肩を押して、神楽耶が彼女を椅子に座らせる。それから、慎重な手つきで彼女の頭に手をかけて、獣の顎を被せた。それは銀色に光る金属製のヘッドギアだった。金属部分は滑らかだが、触れるとひんやりとした冷たさを感じる。表面には微細な幾何学模様のような回路パターンが刻まれており、それがかすかに青白く光を放っていた。
ヘッドギアの内側には、柔らかいシリコン製のパッドが埋め込まれており、直接頭皮に密着する仕組みになっていた。そのパッドには、極小の電極が無数に埋め込まれている。
コードの先端は、背後の巨大なコンソールと繋がっており、そこにはアオネコの脳波とフェアリーの状態をリアルタイムで監視するための無数のモニターが並んでいた。
「このヘッドギアが脳波を読み取り、逆に微弱な信号を送り込むことができる。起動するぞ」
神楽耶が囁きながらレンズを押し上げた。ヘッドギアの左右には、小さなガラス製のレンズが取り付けられており、装着者の視覚情報を操作するための装置になっていた。
その瞬間、わずかに低い電子音が響き、機械が起動する。パッドの奥から微細な振動が伝わり、まるで頭の内側に静かな波が広がるような感覚が襲ってくる。
レンズが明るさを帯びる。アオネコの視界には現実とは異なる映像が映し出され、やがて深い幻覚状態へと誘われて行った。
神楽耶は、アオネコの髪をそっとかき上げながら、最後のコードを接続し、装置の端末を操作する。
「これで準備完了だ」
ヘッドギアの端末にある小さなインジケーターが点滅し、脳波の同期が始まる合図として、機械の奥深くから低く不気味なハミング音が響き始めた。
「これは"目覚め"だ。お前とチイナの魂は、もはや一つになっている。でも、お前の身体はその融合を受け入れられていない。フェアリーに移れば、すべてが調和する」
アオネコの指先が微かに震えた。
「……本当に、チイナとまた会えるの?話せるの?」
神楽耶は微笑む。その表情は、これまで見せたことのないほど穏やかだった。
「もちろんだとも。チイナの意識はお前の中にある。そして、この器……フェアリーが、お前たちを"永遠に一つの存在"として新たに生まれ変わらせる」
アオネコの心臓がゆっくりと高鳴る。
——チイナと、永遠に一つに。もう、二度と離れなくて済む。
神楽耶はモニターに映る数値を確認しながら、静かに言った。
「目を閉じて。すぐに、すべてが終わる」
アオネコはまぶたを閉じた。
ヘッドギアから伝わる微細な電流が、彼女の脳を優しく撫でるように流れ込む。 それは、まるで静かな波のようだった。
ゆっくりと、意識が溶けていく。
彼女の思考は霧のようにぼやけ、周囲の音が遠ざかる。
——チイナ……どこにいるの……?
瞼の裏に、青白い光の波が広がる。
遠くから、誰かの声が聞こえた。
「アオネコ……ダメ……!」
それは、チイナの声だった。
しかし、その言葉が何を意味するのかを考えることもできないまま、アオネコの意識は深い闇の中へと沈んでいった。