表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

20/38

音と香りは夕暮れの大気に漂う1


 神楽耶博士が運転する古びたセダンは、街灯の少ない田舎道を滑るように進んでいた。車内にはエアコンの生ぬるい風が流れ、ダッシュボードには埃が薄く積もっている。カーステレオからは、ドビュッシーの『音と香りは夕暮れの大気に漂う』が、ノイズと共に切れ切れに流れていた。


 アオネコは助手席に座り、腕を組んで外を睨んでいた。窓の外には、暗闇にぼんやりと沈む田園風景。街の明かりはすでに遠ざかり、ここにあるのは朽ちかけた電柱と、畑の向こうの影だけだった。


「煙草、いいかい?」


 ハンドルを握る神楽耶博士は、細い指でタバコを挟んで、アオネコの返答も待たずに火をつけた。窓を少し開けていたせいで、夜風が時折灰を舞い上げ、甘く焦げた煙の匂いが車内に広がる。


 しばらくの沈黙の後、神楽耶が口を開いた。


 「……あんたがチイナを取り戻したいのは、理解できるよ」


 アオネコは視線だけ動かして、神楽耶を見た。


「さっきから、何なの?何故私のあだ名やチイナのことを知ってるの」

「メルティ・イヤーには盗聴機能が付いている。あんた方のことは、あたしに筒抜けだったってこと」


 アオネコはゆっくりと神楽耶の横顔を見た。車のメーターパネルが青白い光を放ち、神楽耶の顔に薄く影を落としていた。


「目的はなに?」


 神楽耶はタバコの灰を指で払う。


「チイナに逢わせてやる。それだけだよ」


 アオネコは眉をひそめた。神楽耶は薄く笑った。それは嘲笑ではなく、どこか嬉し気な微笑みだった。


「あんたは、まだ"個"でいるつもりだろう? でも、メルティ・イヤーを使った時点で、"個"なんてものは曖昧になってるんだよ」


 アオネコは拳を握る。さっきから人を煙に巻くような物言いをするこの女が、無性に気に喰わなかった。


 「……私はチイナを取り戻したい」


 神楽耶はハンドルをゆっくりと切りながら、道路の先を見つめた。


「"取り戻す"ねえ。チイナが本当に"元通り"になるかね」


 アオネコは言葉を詰まらせた。元通り?神楽耶は何を言い出すのだろう。


「あんたが見ているのは幻想だ。過去のチイナを、そのまま取り戻すことなんてできない。あんたがどれだけ願っても、"その時のチイナ"はもう、どこにもいない」


 アオネコの喉がひりつくような感覚を覚えて、うつむいた。


「……それでも、私はチイナを見つけたい。貴女の言葉なんか関係ない」


 神楽耶は再び微笑し、煙を吐き出した。


「ああ、関係ないさ。あんたがどうするかは、あんた次第だよ」


 神楽耶の車は、暗闇の中を淡々と進んでいく。

 行く先には、何もない荒野。

 そして、その先には、神楽耶の研究所が待っていた。






✧••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✧


面白いと思ったら、☆評価・レビュー・フォローよろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ