月の光
ドアがスライドし、カランとベルが鳴る。
店の中は、様々なアンティ―クの事物たちであふれ返っていた。
置いてある蓄音機から、『月の光』が、僅かな雑音とともに消え入りそうなくらい小さい音で流れている。
スズランの花の形をしたクリスタルのシャンデリア、猫脚まで渦巻き装飾のされた横長のソファ、象嵌の装飾された長テーブルの上には、エナメルで色付けされた大小様々な大きさのグラスが立ち並ぶ。天井からは少年が気に入りそうな飛行機の模型が吊り下げてあり、白く塗られた木の子馬が、絨毯の上に鎮座していた。銀製の背の高いティーケトルたちが、森に生えた銀色のきのこのようにかたまって置かれていた。その奥の机には、エジプトの香水瓶たちが、まるでガラスの森のように並べて置かれている。ここはまるで、アンティ―クな品物で出来た魔法の森だ。蝶標本やストームグラス、水中花たちが、店の雰囲気をより森めいたものに変えていた。
「うわあ……」
息を飲みながら、チイナは店内を見渡した。思った通りの素敵な店だ。
チイナの友達、アオネコは、古い物が好きだ。チイナは、通学路で目にするこのアンティークショップが、前々から気になっていて、アオネコを連れて来ようと思っていたのだ。今日はその下見のための来店だった。
「いらっしゃい」
店の奥からしゃがれた声がして、チイナはおっかなびっくり振り返った。奥のレジに老婆が座っていて、口をもぐもぐさせている。
「こ、こんにちは」
チイナは会釈を返すと、店の中を見て歩き始めた。鉱石や、化石も棚に飾ってある。
その棚の、ちょうどローマングラスが並べて置かれている場所に、それはあった。
(……?)
チイナは、いぶかりながら、それをじっと見つめた。それは、一見して使い方のわからないただのガラクタに見えた。
それには時計の部品らしきものが幾重にも組み込まれ、ガラスの覆いの向こうで規則正しく歯車を刻んでいる。小さいが複雑な構造をしているらしく、その仕組みは要として知れない。
円形の外周は皮で出来ており、金属のフックが取り付けられていた。本体の端から、金色の端子が伸びて、コードが巻き付けられている。
「イヤホン……?」
やっと思い当たって、チイナはひとりごちた。これはイヤホンだ。店内に流れる『月の光』が最高潮に差し掛かる。旋律は高く舞い上がり、伴奏は大きく複雑になっていく。まるで月が雲間から顔を覗かせたみたいだ。チイナは、幻想の月の光に照らされたイヤホンから目が離せないでいた。
「それは、二人で使わないと意味のないものだよ」
「ひっ」
急に側で話しかけられて、チイナは飛びのいた。気が付いたら、老婆が側に立っている。
老婆は微笑んで、イヤホンを手に取って広げて見せた。
よく見ると、金色の耳掛けフックの部分に掠れた文字が刻印してある。
「メルティ……イヤー……」
アルファベットを追って、チイナがたどたどしく呟く。老婆は頷いて、メルティ・イヤーを持ったままレジへと向かった。
「あ……」
チイナも思わず後を追いかける。老婆はレジの奥にある椅子に腰かけると、チイナに向かって手を差し伸べた。
「お嬢ちゃんは、これに呼ばれたんだ。これは運命さね」
老婆の丸眼鏡の奥の瞳が、キラリと光る。
「買いなさい」
〇
アオネコの頬に、長い青灰色の髪がひと房、滑り落ちる。彼女は頭を振ってそれを取り払うと、すっくと立ちあがって、呆然と身を竦めるチイナの前に歩み寄った。
「チイナの気持ち、感じた」
アオネコは今しがたメルティ・イヤーがもたらした体験を頭の中で反芻する。メルティ・イヤーを使って曲を聴いた時、チイナとアオネコが一つになれた時。それは単なるテレパシーですらなかった。互いの思考が入り交じり、感覚さえも共有するような未知の現象。まるで二人が一つになったような体験は、アオネコに深い快楽を与えてくれた。
恐ろしく、抗いがたいほど甘美な、融合。
「チイナ……」
アオネコが、チイナの名を呼びながら、彼女の頬に触れた。チイナの頬が上気し、ほんのりとピンク色に染まる。アオネコは、それを見て満足そうに微笑んだ。
「すごかったよ、またやろう。これ」