デルフィの舞姫たち1
「まあ、一種の適応障害と言いますか……夢遊病といいますか……」
精神科医はアオネコと両親を前にして、机をトントンと叩きながら言った。
「おそらく、親友を失ったという状況が、彼女に過分なストレスを与えて、深い眠りを誘発したのでしょう」
「先生、寧仔の眠り込んでしまう癖は治るんでしょうか」
「なんとも言えませんなあ……」
腕組みをして、精神科医が歯切れの悪い返答をする。アオネコは、何処か遠くから聞いているように両親と精神科医の会話を聞いていた。まるで、水中を通して聴いているように実感がない。
「とにかく今は休養させて、それから安心できる生活を送るしかありませんなあ」
間延びした声で、医者はそう返答した。
釈然としない空気の中、アオネコと両親は、診察室を後にした。
アオネコは学校を休み続けた。
家にいても眠ってしまうだけなので、アオネコはふらふらと街を彷徨い歩くようになっていた。
沼のような眠気と戦いながら、アオネコは街をあてもなく歩き続けた。
眠気は、アオネコにチイナの幻を見せた。幻のチイナは、ある時は交差点の真ん中にいて、アオネコを微笑みながら見つめ、ある時は公園のブランコに乗ってアオネコを手招いた。
アオネコは、ビルの屋上を見上げた。
チイナが、屋上で踊っている。
いなくなった時と同じ制服姿で、スカートをひるがえしながら、彼女はくるくると舞う。
アオネコはそれをぼんやりと眺めた後、ややあって走り出しだ。
ビルの中へ走り寄り、猛然とドアを開けて階段を駆け上がる。
最上階への扉を開け、アオネコは屋上へと入り込んだ。
チイナは、変わらず踊っている。
ドビュッシーの『デルフィの舞姫たち』が、か細く切れ切れに聞こえ来る。チイナはそれに合わせて、ふわふわと舞う。
「チイナ!」
アオネコの呼び声に、チイナがふわりと動きを止めた。
彼女は笑って、アオネコの方を見つめた。視線が交差するが、まるで現実感がない。
「っチイナ!」
アオネコがチイナに駆け寄る。チイナはアオネコに向かって手を広げた。
チイナを掴もうと、アオネコも手を伸ばす。両手が、空を掻く。チイナの姿は空気に溶けて消えていた。曲も、過ぎ去ってしまった。どうやら、曲は隣のビルの音楽教室から流れて来たものらしかった。
アオネコの体が、フェンスにぶつかる。アオネコは、うなだれたまま、フェンスの向こうを見た。
高いビルの上に、街の風景が広がっている。
遠くに、あのアンティークショップが見えた。