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アラベスク

 

「行くよ」


 そう言いながら、チイナはサウンドボックスを再生し始めた。ベッドの上のデジタル時計は、20XX年2月12日16時45分を指している。

 アオネコが、チイナと分け合ったイヤホンを少し触った。

 曲は、クロード・ドビュッシーの『アラベスク第1番』だ。

 今、日本は空前のドビュッシーブームに沸いていた。

 猫も杓子もドビュッシーの曲を聴き、リバイバルされたピアノソロに酔いしれる。

 チイナも、御多分に漏れずサウンドボックスの中にドビュッシーの曲を沢山入れている。


 柔らかなピアノの音が流れ始めて、チイナはびくりと体をふるわせた。

 ピアノの音は透明な旋律をもって耳から体内へと響いている。まるで体に沁み込むようだ。流れる音が奔流となってチイナとアオネコを包む。分散和音が静かに音色を奏でる。


 気が付くと、二人は草原で手を繋いでいた。


 アオネコが驚いてチイナを見る。チイナも、アオネコを見た。二人の瞳がぶつかり、その目に映る光が瞬きあう。

 チイナとアオネコの視線が、具現化されスパークする。

 パチパチと爆ぜるそのカラフルな光たちは、踊る妖精になってチイナとアオネコの周りを踊り始めた。

 アオネコはチイナの手をぎゅっと握り返した。すると、手は蕩けだして、透明に透けてゼリーか水のように融合しはじめた。

 お互いの手に触れ合い、指先を撫で合う。


「アオネコ、アオネコぉ……っすごいよぉ……!」

「なにこれ……!私…… !チイナ…… ! チイナ……ッ」


 二人はお互いの名を呼んだ。なんて気持ちが良いんだろう。優雅なアルペジオが淡く響き、夢の中を彷徨うように行ったり来たりする。

 浮遊感に全身を包まれて、チイナとアオネコはふわりと浮き上がった。

 音楽は、まるで二人を乗せる風のような軽やかさをもって二人を空まで羽ばたかせる。

 一瞬短調へと音が移り変わった。そよ風のような切なさで、旋律は二人を運んで行く。

 すぐにまた、長調へと旋律が移り変わり、草原の朝霧を照らした。

 曲が滑らかに絡み合うのと同時に、チイナとアオネコの魂も柔らかく絡み合いつつあった。

 流れるような動きが加わり、旋律が明るさを帯びてくる。

 少しずつ音符が音を高めていく。チイナとアオネコは、草原を飛んで一つの澄んだ泉へと差し掛かっていた。

 水面を二人で滑空し、チイナとアオネコは水しぶきをあげて泉へ身を投げた。

 波紋はゆっくりと広がり、それに反響してこまやかに装飾音が揺れてきらめく。

 旋律はいっそう繊細になり、アオネコはチイナの体に頭を突き込んでその香りを思いっきり吸った。

 ぞくぞくと快感が押し寄せて、溢れる。こぼれる。弾ける。


「嫌ッ」


 チイナは思わずアオネコを突き飛ばした。

 一緒にベッドの上に座っていたアオネコが、転げ落ちる。

 そこは元のチイナの部屋だった。

 草原は、もうどこにもない。

 チイナは、はあはあと息を切らせていた。アオネコが顔をあげて、にやりと笑う。

 その様子を呆然と見つめながら、チイナはこのイヤホンを手に入れた時のことを思い出していた。



 〇


 チイナはちらりとスマートフォンを確認した。日付は20XX年2月11日で、時刻は15時20分を刻んでいる。

 チイナなスマートフォンの待ち受けは、木の下にいるアオネコの写真だ。

 チイナが撮ったものだった。チイナは写真を撮るのが趣味で、度々アオネコを撮っては待ち受けにしていた。

 アオネコの顔を見つめて、チイナは、今日こそこの店に入ると言う決意を新たにした。目の前にある店のステップを上がり、窓から中を覗き込む。

 暗くて、よく見えない。

 ドアに掲げられている看板には「アンティークショップ・グラドゥス・アド・パルナッスム」と刻印されている。

 チイナは、一瞬逡巡したあと、思い切って店のドアを開けた。







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