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2.見も知らぬ街の見も知らぬ停留所で降りてしまう

何の前置きもなくいきなりですが、舞台設定は京都市です。わからなくても読めます。

 通信機が沈黙している。電池切れではないようだ。圏外に出たということなのだろうか。私はそういった方面に疎いため、詳しいことは知らないが、副頭目の命令で技術担当が三十分で仕上げたこれは、世に一般に普及する携帯電話や東勢バーの類とは仕組みが異なっている。相手がそれらと同じつもりで盗聴を仕掛けても無駄という利点がある反面、能力にも限りがあり、電波が届く範囲というものが狭いのだ。遺憾ながら、圏外ではお互い連絡がつかぬが、それは頭目側も気がついているはずだ。なれば、連絡がつかぬ理由をとやかく問われることはない。つまり、己の好きなようにほっつき歩いて、好きなときに帰ればよかろうと勝手に決めて、通信機を手提げ鞄に放り込んだ。盗聴を恐れて、携帯電話は元より使用禁止令が出ている。

 行き先も見ずに飛び乗ったバスである。どこをどう通ってどこへ行くのかは知れないが、所詮は市営、市より外へは行かぬ。もとより目的地があるわけでもないし、鷹揚に構えることにして、しばらくバスの旅を楽しむことにした。ぼんやりと窓外を眺めれば、見慣れぬ景色にやや戸惑う。この町には三年ほど住むが、自宅とアジト、それから少数の知り合いの住処を行ったり来たりするほかは、繁華街をうろついたりすることもないため、未だに見も知らぬ土地がそこかしこにある。車窓から見える風景に馴染みがないのも当然だが、しかし、そこは特に異様に思えた。ここはどこだろう、とバスの前方にあるはずのモニターで停留所を確認しようとしたが、気づかぬうちに社内は混みだしており、人の頭が邪魔をして、座っている位置からは見ることができなかった。

 視線を車内から外に戻して唖然とする。唐風の鮮やかな赤い門がにょっきりと聳え立っていた。くすんだ緑色の看板に妙な書体の金字で、おそらくは町か通りの名前が書かれている。この市には確か、建築物の高さについて規制が在るはずだが、これはそれを超えているのではなかろうか。しかし、規制は新たな建物についてのもの。もしこれが文化遺産だったりしたなら、むしろ高さを抑えることこそが、遺物に対しての冒涜だろう。しかし、このような文化遺産のことは聞いたことがないし、門の朱塗りは真新しく見えた。修復でも行ったか。頭の上はるか高く、その門から四方八方に飾り紐が伸びていた。朱、黄、緑。鮮やかで強い色は、どれも大陸様式を想起させる。縁起の良い文字が書かれた菱形の薄紙が、あちらこちらに吊り下げられて、ひらひらと風に舞っていた。祭りか何かのように、華やかな雰囲気が満ちていた。しかし何ぞ祭りがあるという話は聞かない。道路を行ったり来たりする自動車が妙に朧に見えた。昼の明るい日差しのせいだろうか。蜃気楼のようだ――未だ、薄手なれども長袖を要する季節なのだが。

 しじょう、しじょうと運転手の乾いた声が放送した。四条だけでは、四条通のどこのことだか一切わからぬではないかと考えたが、おそらくは四条烏丸であろうと検討はついた。そこにある地下鉄の駅名を四条という。四条、の一言だけが名前になっているのはそこだけだ。しかし、四条烏丸は現代の繁華街の一部をなす。こんな時代じみた建築様式があふれかえっているだろうかと頭をひねった。しかし放送は間違いなく四条といった。

 比較的込んでいた車内は、四条でだいぶすっきりとした。それでも15人ばかり残っている。次で降りるか、と決めて、立ち上がった。バスは、東に向かっているようだ。四条烏丸から東へ向かえば、河原町方面のはずである。烏丸の次となればまだ河原町までは行き着かないだろうから阪急線には乗れないが、そもそも阪急線では自宅方面へ帰れない。ちょうどいい市バスの路線も思い当たらないが、そのあたりなら、きっとタクシーを拾えるだろう。やや出費がかさむのは辛いが、我慢しなくてはならない。急いで帰らなくては、頭目たちに怒られてしまう。

「定期を出しておいたほうがいいわよ」

 後ろから話しかけられた。飛び上がるみたいにして驚いて振り向くと、若い女性が柔和な笑顔で微笑んでいた。黒い服――喪服に身を包んだ、見知らぬ女性だ。それが、大層気安く話しかけてきた。

「次ではあんまり長いこと停まらないから」

「はあ」

 もごもごと口の中で、聞き取りづらいに違いない礼を言った。っかり一人でいる気分に浸っていたので、急に話しかけられても、うまくその気分が抜けないで、ちゃんとした返事ができなかったのだ。しかし、それを気にした風もなく、女性はいそいそと自分自身の定期を取り出そうと鞄を探り始めた。私も乗車賃を出しておこう、と鞄の中の財布を掴んだところでふと思う。なぜ定期、と言ったのか。定期券は日常的にバスに乗る人が使うものであろう。そのような人に、先刻のようなアドバイスは無用である。妙な矛盾が気になって、問い質そうというのでもないが、女性を振り向こうとしたとき、車内放送が流れた。さあ降りるわよ、急いでと目の前の親子連れの会話にかき消されて、地名が聞き取れない。その親子連れも喪服だった。偶然か、それとも女性と目的地が同じなのだろうか。車内前方のモニターに示されているはずの停留所名を読む前に、一気に前方へと向かった人の流れに押され、慌てて財布から回数券を引っ張り出した。寺町通りくらいまでは来ただろうか。

「このバスは、この停留所から次の停留所までは停まりません。(あらかじ)め、ご了承ください」

 車内放送の奇妙さに気づいたのは、回数券を料金箱に放り込んで、人の流れに押されるようにしてバスを飛び出てからだった。そのとき初めて、己自身以外の乗客が全員喪服姿だったことに気づいた。

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