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09

 

 屋敷に義父の笑い声がこだまする。

 長兄が微妙な顔をして、次兄は「やるなぁ」と僕の背中をバンバン叩いた。いや、痛いよ。


「いや、よくやった! アンヘリカ嬢の死亡届を出させず、エーランドに結婚を認めさせるとは」


 愉快だと大笑いして膝を叩く義父を長兄が「やれやれ」という目で見ている。


 帰宅は夜半にかかった頃になった。

 ナトゥリ家で話し合いながら昼食をごちそうになり、とっておきの葡萄酒と蒸留酒を持参してナトゥリ家にやって来た義父とともに晩餐にもあずかり、話を煮詰めて帰宅した。


 僕とアンは、今日結婚した。


 話し合いの結果、アンの死亡届は出さず、僕との婚姻届を出した。


 ナトゥリ伯爵のサインが入った婚姻届をセルヴァ殿が義父のサインをもらいに使者に立ってくれ、そのまま王宮ですぐさま処理してきてくれた。

 本来は即日受理はされない。やはり権力は大事だ。

 これには宰相閣下も力を貸してくれたとのことで、頭が下がる。下がるのだが、アンヘリカは死ななかったのに、伯爵もセルヴァ殿も当初の予定どおり領地に帰るために退職を貫き、苦笑いしていたらしい宰相をちょっと見てみたかった。


 そうして笑顔の義父が酒二本を持ってナトゥリ家にやって来て、終始上機嫌に伯爵に絡む義父と、未婚なのに肉体関係を持ったことと、アンに『一人で産む』ことを決意させてしまったことをセルヴァ殿からチクチク詰られ、「八つ裂きにしたい」「二五六(ニゴロ)裂きにしたい」と、目に光のない伯爵親子がブツブツ呟く横で小さくなって食事をする僕という、変な晩餐になった。

 伯爵夫人だけ、嬉しそうにしていたことが救いだった。


 他にも、アンは学園を病気療養で休学することや、アンをアンヘリカとしてナトゥリ家に連れ戻すのではなく、しばらくはアンが望む通り平民として暮らすことを見守り、住むところや仕事はナトゥリ伯爵の保護下に入ることなど、細かいことが決められた。


 そして、それらをアンには伝えないことで満場一致した。

 生活の周囲に伯爵家のサポートが張り巡らされていることにはすぐ気付くだろうけど、平民となって貴族社会との繋がりがなくなったアンに、情報収集の手段はほぼなく、僕と結婚していることには気が付かないだろう。


 僕は今すぐにでもアンに会って誤解を解いて側にいたい。けれども、今、何を言ってもアンはきっと聞く耳を持たないし、僕を諦めたとアン自身が思っているうちは、一緒にいさせてもらえない気がする。


 だからといって、放っておくなんて論外。


 僕はまず、学園の卒業に必要な単位を全て取得し、卒業資格を得た。三年生が早めに卒業するために単位を取り切ることはあっても、一年生が卒業資格を得ることはこれまでになかった。能力はあっても、学友との繋がりを得ることも学園での目的だからだ。

 だが、僕ははっきり言って繋がりはもう十分だし、目立って出る杭になりたくなかったのも抵抗力のない男爵家だったから。

 そもそも男爵家から侯爵家に養子に入ったこと自体前代未聞で、更に飛び級したことが大いに目立ったが、侯爵家の名が僕を守った。

 学園に通うよりも僕は仕事をして功績を積んで、足下をもっと固めることに注力した。


 国の施策の中核の一画を担い、フェンテ家の領地経営だけでなく、バランカ男爵家を継ぐ弟のサポートはどれだけ時間があっても果てが見えなかった。

 その上、ナトゥリ家から出される課題がまた厄介で。

 伯爵、伯爵夫人、セルヴァ殿から繰り広げられる無茶振りを(さば)く日々。

 ねえ、アレ買ってこいとかコレ作りたいとかソレ処理しておけとか……、ほぼ嫌がらせだよねっ!?


 それでも活力が尽きないのは、アンの側にいるから。


 勝手にだけど。


 アンが住む村に僕も住んでいる。

 ナトゥリ領の端っこだが、領主館から馬車で片道一時間程度で行き来できる。

 道が悪い箇所があったので舗装し、ついでにナトゥリ領から王都への街道に繋げておいた。王宮やフェンテ家へ呼ばれたら往復するのに一日がかりだったところ、朝から馬を飛ばせば昼には帰ってこられるようになった。


 アンが不自由しないように、ナトゥリ家が手配した人たちに加えて、僕の雇った人たちでアンのまわりを固めている。

 僕は仕事で視察(お使い?)に出ることも多いけれど、たまに村ですれ違う……嘘です、意思を持って近付くアンに癒やされて、何とか頑張っている。


 アンは僕に気付かない。

 僕は染め粉で髪の色を変え、伸ばした髪で目を隠しているし、アンとは世間話どころか挨拶もしない。ただの同じ村の人なだけだ。会釈すればいい方だ。


 アンがつわりで食が細れば、隣のエンマさん(伯爵夫人の忠実な元侍女)に見に行ってもらい、アンが大きくなったお腹で買い出しに行けば、その辺にいる部下に目配せし向かわせて荷物を持たせる。

 アンは村役場の帳簿付けの職に就いたが、それまでなかった出産休暇や支援の制度を作らせた。給料も改定した。そんな給料でアンを雇うなんて何考えてるんだ。

 お腹が大きい人妻に近寄る()どもは、僕が何かしなくてもセルヴァ殿が闇に葬ってくれた。

 ……伯爵夫人が「あの子に嫁いできてくれる娘がいるなら、無条件で歓迎するわ」と、僕が三週間かけて買いに行った茶を飲みながら言っていた。


 監視? 言い方が悪いよ。見守っているだけだ。


 次兄が、「もう本人の前に行けよ。犯罪スレスレ、いやアウトだぞ」なんて言っていたけど、僕は知っている。次兄は義姉が婚約者時代に大好き過ぎて付きまとい、うっとおし……怖がられて三回逃げられていることを。義姉が逃げられないと諦めたことで結婚してもらったことを。

 僕はまだ一回だよ。しかも誤解だし。僕が会いに行けば、アンはきっと混乱する。今は出産に集中して欲しい。


 そして月が満ちて、アンは男の子を産んだ。


 僕と同じ目の色の、珠のような愛しい子を産んでくれた。

 アンの隣のエンマさん()に待機していた僕は、産声を聞いて涙が止まらなかった。

 しばらくして伯爵夫人が赤子を抱いて僕の元に来てくれた。


「アンが、私たちに名付けて欲しいと言ってくれたの。あなたなら、どんな名を贈りますか?」


 それは、僕に名付けを委ねてくれるということで。

 僕は泣きながら、本当はずっとずっと考えていた名前を告げた。


 男の子はレナト。女の子はレナータ。再生や生きることを意味する。


 家族になる前に僕のせいで壊れてしまった関係を再生したい。困難を乗り越えることも大切だけど、立ち止まって、たとえ潰れてしまっても、生き延びて欲しい。

 そう願いを込めた名前だ。


 伯爵も伯爵夫人もセルヴァ殿も「良い名」だと言ってくれた。

 僕は怖々(こわごわ)と生まれたばかりで口をあむあむしている我が子を抱いた。


 涙が止まらない。

 命懸けでこの子を産んだアンを抱き締めたい。


「レナト」


 僕の全身全霊で守るよ。


 それから。

 すぐにでもアンに会いたい気持ちを抑えながら、アンとレナトを見守る日々が続いた。


 レナトが生まれてから、アンの中で、ナトゥリ家に対する気持ちが変化しているように見えた。

 ナトゥリ家の面々が可愛いレナトに会いに来るのはもちろんだけど、アンは自分に会いに来てくれていると、素直に受け止めるようになっていったのだ。

 自分が親になって、子どもを育てる大変さと可愛らしさ、そしてその存在自体が愛おしいことを実感したのかもしれない。

 自分ひとりでレナトを守り生きていかなければならない、と肩肘を張っていた力が少しずつ抜け、徐々に周囲に甘えるようになっていった。


 レナトが笑うようになり。

 レナトが這うようになり。

 レナトが歩き、走り出し、何かの言葉を話すようになり。

 レナトが「いやぁ!」しか言わない時期を越え、ぷくぷくの頬で「おかーしゃん」とアンに頬ずりするようになった頃、僕はアンに会いに行く決心をした。


 伯爵も伯爵夫人もセルヴァ殿もアンの変化を見て、僕の背中を押してくれた。

 アンが受け入れてくれたら、ようやくこの人たちを父と母と兄と呼べる。


 長兄が「……一生そのポジションのつもりかと思った」と言っていたが、そんなワケあるかよ。

 義父が「勝機が見えたか? 骨は拾って撒いてやろう!」と、それは既にもう応援ではなく呪いだから!


 心臓が飛び出そうなくらい速い。

 泣きそう。

 嘘、もうちょっと泣けてる。

 震える手でアンの家の扉を叩く。

 エンマさんに頼んで二人の好物のミートパイを渡してもらっているから、きっと今はホクホク食べてご機嫌なはずだ。

 姑息って言うな。使えるものは何でも使うよ。

 会えなくなってから三年半と少し。僕は二十歳に、アンは二十二歳になっていた。

 長いようで短い、短いようで遠回りしてしまった時間。

 僕はアンに償えるだろうか。

 アンは僕を……。


 そこで扉が開いた。


 扉を開けた格好のまま固まったアンと目が合う。

 驚きに目を見開くアンを見て、僕の身体を喜びが(ほとばし)った。

 アンの瞳に僕が映っている。

 それだけで理性がヤバい。


「あー! くりしゅだー!」


 見つめ合って固まるアンの脇を抜けて、レナトが飛び付いてきた。


 それを見てアンが更に驚く。「え? え? え!?」って、混乱した顔が可愛いな!!

 セルヴァ殿の侍従のフリして(いや、僕リアルで彼の小間使いだわ)、遊びに来るレナトと頻繁(ひんぱん)に会っていた僕は、全力で遊んでくれる「くりしゅ」として非常に懐かれている。アンがいない時は髪も染めていないし顔も隠していないから、レナトは素の僕しか知らない。


 レナトを抱き上げて、改めてアンに向き合う。

 怖い。

 どんなに外堀を埋めて囲い込んでも、籍の上ではとっくに夫婦でも、アンが僕を受け入れてくれるかは、アン次第だ。

 でも、僕はアンを諦めるなんて選択肢はないから、もう僕に気持ちがないとしても……いや、それは嫌だ……僕を見て欲しい……何でもするから、フェンテの義姉のようにどうか諦めてほしい。


 僕の側にいて。

 どうか君の側にいさせて。


 君の手を取る僕の手を、(ほど)かないで……アン。


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