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08

 

「お取り次ぎできません」


 門番に文字どおり門前払いされた僕は、ナトゥリ家の門前に這いつくばって、「アンに会わせてください」と願い続けるしかなかった。


 午前中一杯粘っていると、気品のある夫人が現れて「アンヘリカは死にました」とだけ言った。


 名乗られなくても分かる。伯爵夫人……アンの義母のその静かな怒りに触れて、アンがナトゥリ家で本当に大切にされていたことを思い知った。


「アンに会わせてください。伝えたいことがあるんです。側にいたいんです」


 僕はそう繰り返すしかできなかった。

 そんな僕を一瞥(いちべつ)して伯爵夫人が踵を返したと同時に、門が開いた。


「来なさい。外で騒がれては迷惑です」


 ついて行った先は先日と同じ応接室だった。

 既にナトゥリ伯爵とセルヴァ殿がいて、……なぜか(しお)れていた。


「エヴァ・ナトゥリと申します。アンヘリカの義母です」


 伯爵夫人はそう言うと突然頭を下げた。


「まずはお詫びを。一発くらいとは思っていましたが、十発はやり過ぎです。男二人で我を忘れて暴力に及ぶなど、到底許されることではありません。謝罪如きで受けた傷は癒えませんが、お詫び申し上げます」


 謝罪如きで受けた傷は癒えない。

 胸に突き刺さった。


「顔を上げてください。……僕も、アンを傷付けました。誤解があるとは思いますが、僕がアンを追い詰めたのだと自覚しています。アンを大切にされているナトゥリ家の皆様にお詫び申し上げます」


 頭を下げた僕に、伯爵夫人がハッと息を吐かれた。

 そしてまた僕に言った。


「アンヘリカ・ナトゥリは死にました」


 僕は姿勢を正して、繰り返した。


「アンに会わせてください」


 伯爵夫人と視線が交わる。その鋭さに身体が震えそうだった。今までのどんな交渉場よりも、自分が試されている気がした。絶対に逸らさない。逸らしたら、負ける。負けたくない。負けられない。負けちゃいけない……負けそう、怖い助けてアン。


「……おかけください。傷に障ります」


 先に視線を緩めたのは伯爵夫人だった。


「エヴァァ」


 伯爵が情けない声を出した。


「あなた方が抑えていれば突っぱねることも可能でしたでしょうに。まんまとハビエル先輩……侯爵閣下の思い通りになって」


 負けよ、という声が聞こえた気がした。


「だってぇ」


 伯爵が「だってぇ」とは。


「お黙りなさい。やり過ぎたこちらが譲歩する隙を作りました。自業自得です。『二、三発でも殴ってくれたらつけこむ隙ができてラッキ~と思っていたのに十発!』……と笑う先輩が目に浮かぶようです」


 二人が益々萎れていった。

 どこの家も奥方や母親が最強説。

 義父のものまねの精度が高いのはなんで。

 伯爵夫人までも義父と関わりがありそうだ。

 疑問が顔に出ていたのか、伯爵夫人が柔らかい笑顔で答えてくれた。


「主人とは同じ歳で、同時期に学園におりました。当時の侯爵閣下は、まあ暴れ馬のような方で、生徒会長としてやりたい放題、思いつきで引っかき回すことを喜びとしていたような方でしたわね」


 学園で過去(いち)ヤンチャな生徒会があった時代を教師たちが今も『群れ暴走馬時代』と言っていたけど。暴走馬は義父のこととして、群れってことは。


「閣下筆頭に、今では宰相、外務大臣、財務大臣、辺境伯に騎士団長。まあ、ご立派になられて。ねえ、あなた?」


「私はいつも振り回されて尻拭いばかりしていたよ」


 伯爵が嫌そうに呟いたけれど、懐かしさが滲み出ていた。

 すごい面子だな。生まれた時代が違えば、きっと僕も尻拭い役だな。


「いつまでも()ねていないで建設的な話をしましょう、ね? 私たちは誰一人アンの不幸を望んでいないわ」


 伯爵夫人の言葉に、伯爵が深い深い深ーい溜め息をついて僕を見た。


「やり過ぎたことは謝る。すまなかった」


 伯爵が僕に謝罪し、セルヴァ殿もそれに続いた。

 僕は二人の謝罪を受け取り、改めてアン本人に会わせて欲しいと願った。


 三人はお互い顔を見合わせて、微妙な顔をした。


「アンヘリカは、死んだわ」


 伯爵夫人が力なく呟いて、続けた。


「宰相閣下からの縁談は断れないと分かって、アンとこの家にとって、それが最善だと自分で選択したの。もう、決めてしまったのよ」


「アンはここにはいない。もう王都に来ることはないだろう」


 伯爵も伯爵夫人も頭を振った。


「アンが僕を諦めても、僕は諦めません。アンはナトゥリ領ですか? 会いに行きます」


 僕が言い募っても、三人は渋い顔のまま頷いてくれなかった。

 セルヴァ殿が疑いの目で僕を見て言う。


「アンは最後まで子の父親のことを何も言わなかった。ただ、その人は『手も握れないほど本当に好きな人に婚約を申し込むから、自分とは結婚できない。元々、自分から付き合って欲しいとお願いしただけ』と、それだけは言った。君がアンと付き合っているのが本当なら、君はアンじゃない人に求婚するつもりだったんじゃないのか?」


 何を言われたのか理解できなかった。ずっと混乱しているからか、アンが絡むと理解力が皆無になってしまったようだ。


 僕が、アンじゃない人が好きで、その人に求婚、する?


「はああああああぁぁぁぁっ!?」


 叫んだ僕は悪くない!!


「なんでアンはそんなこと……、あ?!」


 無駄に良い記憶の中から、セルヴァ殿が言った言葉が浮き上がる。

 アンが約束したのに来なかったあの日。待ち合わせの教室に向かう途中、宰相子息との短い会話の中で、僕が確かに言った。


 アンがそれを聞いていた? しかもその一部分だけ?

 だから、それ以来会えなくなった?


「なんでそんなピンポイントだけ聞いて勘違いを……」


 身体の力が抜けた。

 何でそんなことが起こってしまったんだ。


「アンの勘違いだというのか?」


 ここで恥ずかしがっている場合じゃない。僕はまた殴られるのを覚悟して、その時の会話を全て伝えた。流れで、アンとの出会いまでも話すことになり、ある意味罰を受けているようだった。


「……あの()はっ」


 ナトゥリ伯爵夫人がこめかみを解しながら眉間に皺を寄せた。

 貴婦人っていつも涼やかな顔をしているのに、そんな顔初めて見た。

 伯爵もセルヴァ殿も両手で顔を覆って項垂れていた。


「……アンが人の話を聞かなくて、自分の存在を蔑ろにされても戦わずに引いてしまうのは、私たちのせいなの……」


 ナトゥリ家とアンの母親の話を聞いた。

 それから、家族との話し合いの中で、アンがお腹の子を一人で産むと言ったことも。


 僕に何も言わなかったのはきっと、僕が自分ではない人に求婚すると言ったのを聞いたから。


 ほら、誰も自分を見ない、見ていない。やっぱりそっか、と、アンが静かに笑っている姿が想像出来て、僕は胸が締め付けられた。


 全部違うのに、アンはそう受け取って、お腹の子だけ守れたら良いと、いなくなってしまった。


 今この状態で、僕が「誤解だ」と言ってアンは「そうだったの?」と言ってくれるだろうか?

 ……とてもそうは思えない。

 先ほど、伯爵夫人はアンは「もう、決めてしまったのよ」と言っていた。アンは自分の中で結論を出し、受け入れたのだ。そして行動に移した。

 そこに僕が何を言ったところで、何一つ聞いてくれる気がしない。


 そう僕が言うと、三人も同意した。


 僕よりもずっと長くアンに愛を伝えながら、きっと伝わっていなかった三人の不憫さを思うと居たたまれない。


 じゃあ、どうするか。

 はいそうですかと諦める気は更々ない。


 僕たちは膝をつき合わせて、今後のアン対策を練った。

 国の施策よりも真剣だったのは言うまでもない。


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