07
アンが死んだ?
信じられない。
そんなこと、信じられるはずがない。
「ナトゥリ家へ行きます。そのままナトゥリ領へ」
フラフラと部屋を出ようとした僕を義父が止めた。
「まあ、そうだね。そうなんだけど、ちょっと待とうか」
「なぜですか!?」
義父が親書を僕に寄越した。
親書には続きがあって、アンの死亡にともない、宰相から話のあった縁談は不可能であること、突然の訃報に家族全員が心身耗弱しており、王宮の職を辞して領地にて暮らすこと、最後に、縁談が実らなかったことに対する陳謝と僕にケガをさせたことへの謝罪と慰謝料について綴られていた。
ナトゥリ伯爵もセルヴァ殿も宰相閣下の部下で、目立たずとも粛々と職務を遂行する非常に有能な人材だ。僕が携わった施策でも、直接関わらずとも書類上のやりとりを数回しただけでその有能さがすぐに分かるほどだった。
「エーランドは昔から領地に引っ込みたがってたからなぁ。娘を喪った悲しみじゃあ、宰相も引き留めるのが難しいな」
うまくやったな。義父のそんな声が聞こえてきそうだった。
アンを、大切な娘を突然喪って『うまくやった』?
「エーランドも宰相も、学園で一緒に生徒会をしていてね。まあ、為人はお互い熟知しているよ。……さあ、ヒントはあげたよ? 君は好きな人を喪って嘆き悲しむ人生を送るのかな?」
それとも?
そう義父は笑った。
僕は確信した。
アンは生きている。
生きているけれど、『アンヘリカ・ナトゥリ』を死んだことにしなくてはならない、何らかの事情がある。もう表に出られないような事情?
……醜聞?
貴族令嬢の醜聞は異性関係がほとんどだ。つまりは僕との関係。
だが、僕は正式に求婚……しようとしただけで、アンにはまだ何も言っていない。僕がアンとの未来を望んでいることも、アンに手を伸ばせる身分を手に入れたことも、アンは知らない。
知らないアンが、もう表に出てこられず、貴族令嬢として生きていけないような事情。
「……こ、ども?」
義父の「孫が増えるなぁ」に、何を暢気な!! と食ってかかった。
今すぐにでも会って、結婚しなければアンは未婚の母になってしまう。アンヘリカ・ナトゥリを死んだことにして、ただのアンとして未婚のまま産もうとするなんて無謀だ!!
「君の自業自得でしょ」
義父の鋭い声に息をのんだ。
「僕、の」
「だって、君がきちんとアンヘリカ嬢……もうただのアンか。アンにしっかりと気持ちと事情を告げていれば、求婚して婚約して、生まれる前に結婚して、こんなに拗れていないだろう? 違うかい?」
違わない。子どものことだって、きちんと結婚するならば、世間も「若いねぇ」と許容してくれる。
「それに、侯爵家の君と平民のアンは結婚出来ないよ? 男爵家だったら平民でも結婚出来たのにね」
「あ……」
伯爵家のアンに求婚するために子爵家に養子に入りたかった。
だから、がむしゃらに頑張ったのだ。頑張って功績を手に入れたのに。
「アンは、きっと君と付き合った時から誰かと結婚することは考えていなかったんじゃないのかな。だって君とは結婚出来ないんだから。でも、宰相からの縁談は一伯爵家じゃ断れないよねぇ。家に迷惑をかけずに断るには、逃げるしかない。半端な逃げ方じゃダメだと、思い切ったことをするよね。大事なものは守り、手に入らないものは諦めた。とても聡明だ」
アンは、僕を、諦めた?
アンが、そう望んだ?
アンにそう決意させてしまったのは、僕。アンはもう、僕がいない人生を選んだ。
たとえ……たとえそうだとしても。
僕は諦めることをとっくに諦めているから、力の限り足掻くしかない。
侯爵家の身分も、王宮の職も、築いた功績も、アンがいないのなら意味はない。
僕は義父を見た。
笑顔を張り付けた僕を試す顔。
「でも、僕は諦めません。僕は、アンも子どもも諦めません。養子は解消してください。もしくは僕も死んだことにしていただいても結構です。大変お世話になりました。短い間でしたが、フェンテ家ではとても濃く有意義に過ごすことが出来ました。未熟な僕を導いてくださり、感謝いたします」
礼をして部屋を出て行こうとしたら、義父が笑い出した。
「意外に直情的な面がある。顔がボコボコじゃなかったら格好がついたのな」
リアルにボコボコだから反論しづらい。
僕は苦笑いして部屋を出て……いけなかった。
扉前に塞がる二枚の壁、義兄たちである。
「父上、遊びすぎです。態度を改めてください。自暴自棄になったら面倒臭いでしょうが」
「おい、三男坊、走っている事業はどうするつもりだよ。お前がとんずらなんて無理無理!」
長兄は僕を擁護しているようで擁護していない。
次兄は明け透けに物を言う。
普段はとても頼りになりながら、僕で遊ぶ二人だ。
「まあ座れ。今ナトゥリ家に行ったところで泣き真似をする伯爵とセルヴァに追い返されて終わりだ。あの二人に口で勝てる者は宰相府にもいない」
苦い思い出でもあるのか、長兄が真顔で言った。
義父が義兄たちの登場に「甘やかすよね~」と話し始めた。
「アンヘリカ嬢の死亡届が正式にナトゥリ家から出される以上、そこはもうどうにもできん。国策からお前が引くのももう無理だ。養子縁組を解消したら、宰相に拉致されて一生裏で使われるだけだぞ。現状、どんな手を使ってもアンと結婚はできない」
義父の言葉に血が下がった。
自業自得。その言葉が頭にこだまする。
目立ち過ぎた僕は、一生国に飼い殺されて終わるのか。
「父上、今は、でしょう? もうこのネタで遊ぶのはやめてください」
「おら、親になるんだろうが。いちいちしょげんなよ」
義父が「え~ぶぅぶぅ」と抗議しているが、実子の二人は動じない。
「今はもう無理だ。だが、お前がもっと功績を積めば、お前自身がフェンテの分家として男爵位を譲られることに誰も異を唱えないだろう。そうすれば、フェンテに連なりながら男爵となり、養子を解消せずとも平民とも結婚できる」
「お前来てから事業も領地経営もめちゃくちゃスムーズなんだわ。これからも頼むよ、三男坊」
義兄たちの言葉に涙が出そうになった。
僕はまだ挽回の機会をもらえるのだ。
「なら、尚更アンにきちんと伝えておきたい。出産も立ち会いたい」
アンに会いたい。
そう言った僕の頭を義父と義兄たちが撫でくり回し、「仕方ない三男坊だ」と笑って僕を送り出してくれた。
当たって砕けて散ってこいと。
縁起でもない。