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02

 

 僕はポケットに残っていたお小遣いで、女の子にレモン水を買ってあげた。

 大泣きして喉が渇いていたのだろう、女の子は一気に飲んで、「ありがとう」と笑った。


 顔は汚いのに光が弾けたようなその笑顔に、ハートの矢が心臓に、とぅん、とヒットした。


 帰り道も分からない女の子は、アンと名乗った。名前がぴったりだと思った。

 きっと探している伯爵家の人たちがアンを見つけやすいように、僕たちは町の中心にある時計塔の下に腰かけて、他愛のない話をした。


 好きな食べ物。

 好きな音。

 好きな季節。

 好きな空の色。


 アンの好きなものは、すぐに僕の好きなものにもなった。


 僕はアンのおかあさんの家の特徴を聞いておくことにした。今度、北の町まで足を伸ばして、こんなに素敵な女の子の母親に会ってみたかったのだ。


 すると、アンは「お家はもうないの。おかあさんが死んで、全部片付けたから」と言った。


 しまった、と思った。また泣かせてしまう。

 そう思ったのに。

 アンは笑った。

 とても寂しそうに、笑って続けた。


「お花を、お花の種をお庭のじぃからもらったから、お墓のまわりに植えたかったの。おかあさんは、私がお花を摘んでくると、とても喜んでくれたから……。もう、行けなくなっちゃったけど、おかあさんの側にお花が咲いてたらいいな、って思って……」


 笑いながら、一粒涙が零れた。我慢して我慢して、堪えきれずにもう一粒溢れた。二粒の涙を零して、アンは耐えた。「私の方がおねえさん、だもの」と言って。


 そのくしゃくしゃの顔に、とっくに心臓に突き刺さってるハートの矢を引っこ抜かれて滅多刺しにされた。


 アンは分かっているのだ。

 これから貴族令嬢として生きていかなければならない自分の道を。最後に母親のお墓に花の種を撒きたかったのだ。でも、それを家の者に言うと、どう思われるのかが怖かったに違いない。

 たしか、ナトゥリ伯爵には夫人と一人息子がいたはずだ。そこにやって来た婚外子のアン。どんなに人格者であっても、()さぬ仲のその関係は言わずもがなである。

 母親の墓参りをしたいと、そんな当たり前のことが言えないほどに、アンは小さくなって周囲に気を遣いながら生きているのだ。


 あっと言う間に、もう、ヤバいくらいアンのことしか考えられなくなっていた。

 どうすればアンとずっと一緒にいられるだろうか。

 しがない男爵家の僕が、養子とはいえ伯爵令嬢のアンと。


 ほどなくして汗まみれになった護衛騎士と侍女にアンは発見され、再会の約束どころか話をすることも出来ず、アンは捕獲されて帰っていった。

 目を潤ませた護衛騎士が「暴走中の旦那様も奥様も坊ちゃまもこれで落ち着く」と呟いたのを聞き逃さなかったぞ。ナトゥリ家って、穏健そうで、実は修羅のような家なの? そんな家でアンはこれから生きていかなきゃならないのかと思うと、僕は決心した。


 一日も早く迎えに行く、と。


 町からの帰り道、時計塔での様子を見ていた仲間から事情を聞かれ、ここはアドバイスをもらおうと洗いざらい話した。


 そこで、男爵家の僕は、伯爵家の令嬢とは結婚出来ないことを知った。

 なに、その決まり……。

 その日に燃え上がった僕の心は、身分という名の豪雨によって水浸しになり、仲間の言葉で粉々になった。


「で、お嬢様の方も同じ気持ちなんか?」


 アンの、気持ち?

 アンの、気持ちは、おかあさんのお墓に花の種をまいて、花を咲かせること。墓参りに行けななったから、代わりにいつも花が咲いていればいいと。


 黙った僕の頭を仲間たちが撫でくり回した。


「お前は、ちーとばかり早熟だからな。お嬢様は年上かもしれないけれどまだまだ子どもだろう。恋だの愛だの……(執着だの)、まだよく分からんだろうよ」


 途中の言葉はボソボソ言ったからよく聞こえなかったけど、仲間の言いたいことは分かった。

 僕のこの気持ちは、アンも同じとは限らなくて、アンにとっては迷子になって町の子が助けてくれて少し話をしただけの話かもしれない。それなのに、追いかけたとしたら、それはとても一方的な話で。


「僕は、迎えに行ったら、迷惑、なんだね……」


 鼻の奥がツンと熱くなる。


「お前はまだ六歳のガキんちょだろうが。今自分が出来ることを頑張っていくことだな。本当に縁があれば、また会えるだろうし、身分もその時のお前の状況で何とかなるかもしれないだろ」


「僕の状況?」


「そうだ。時代は変わるし、お前も変わる。その時はお前が手を伸ばせばなんとかなるかもしれねぇし、なんともならんかもしれんし」


「……今は、どう足掻いても、無理なんだね」


 一番身体の大きな仲間が僕をひょいっと抱き上げてから肩車をした。


「お前はまだこんなに小さいんだ。頭の中はもう大人かもしれねぇがな。今は少し心の奥にしまっておけ」


 僕は堪えきれずに、仲間の頭を抱えて嗚咽を漏らした。「俺だけ雨降ってきたー」なんて茶化すもんだから、頭のバンダナで鼻かんでやった。


 僕は、生まれた時からたぶん少し人と違うって自分でも分かってた。

 目で見たこと、耳で聞いたこと、本で読んだことは、一度で頭に入ってくる。そこから色んな情報をつなぎ合わせて予想する、そんなことが息をするように出来た。逆に、他の人にはそれがひどく難しいことで、ましてや三、四歳の子が出来ることではないと知ったのは、町の仲間とつるむようになってからだ。

 同じ年頃の子どもとは気が合うけれど話は合わない。話が合うのは二十歳も三十歳も年上の人たちだった。

 町の人は寛容で、おおよそ子どもらしくない言動の僕を「ぼっちゃんは天才だな~。成長の早さが人十倍くらい早いんだな。まあ、大人になったら皆同じになるだろうよ」と言って受け入れてくれていた。

 三歳が道路工事の測量の間違いを指摘するなんて、我ながらちょっと気持ち悪いと思う。その時は、単純に間違いを見つけたから、間違い探しみたいな感覚だったけど、一瞬、化け物を見るような目で僕を見た業者の人たちの顔を、僕は一生忘れないだろう。


 僕は人と違うところはあるけれど、情緒は年相応で。

 結構な泣き虫で寂しがり屋なんだ。


 色々均衡が取れていない僕を、両親と弟は良い意味で放置した。特別扱いを一切せず、また、利用もしなかった。

 僕は町で同い年の子と遊びながら、年上の仲間たちの弟分として行動し、感情の制御や人間関係を学んでいった。


 そして初恋と、少しばかり秀でたところがあろうが、叶わないことがあることを思い知ったのだった。

 恋に破れ、人生を投げ捨てるような自暴自棄に走る人の気持ちを、(よわい)一桁にして体験し理解した。


 何をするにも無気力になったけれど、それからは黙々と、目の前のやるべきことを(こな)す日々を送った。

 僕が腐らなかったのは、いつ帰っても、家族が普通に家で迎えてくれたから。仲間たちがずっと僕の手を離さなかったから。町の皆は「祝! 初恋!! 悲報! 失恋!!」って垂れ幕を作って、デリカシーの欠片もなくて、仲間たちが大爆笑しながら片付けてくれたけど。


 無数の温かい手が、僕の頭を撫でていったから、僕は、前を向けたんだ。


 本当は、手紙を書いたんだ。何通も何通も。

 でも、出せなかった。

 僕は、ナトゥリ家のことを調べるのもしなかった。できなかった、と言った方が合っているかもしれない。アンが虐げられていることがはっきりと分かったら、(さら)いに行ってしまいそうで。

 でもアンは、町で迷子になったことは覚えていても、僕のことは朧気(おぼろげ)かもしれないし。

 もしも、次会うことがあったら、僕は、まだ鮮やかなこの気持ちをアンに押しつけてしまうかもしれない。

 それが、とても怖い。


 そう思いながらも、アンの笑顔が僕の心にずっと棲んでいた。


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