7話_初めての殺人
長い1週間が終わり、金曜日。
祝日明けの水曜日は寝不足な中で、モンスターエナジーと缶コーヒーを2本ずつ飲み、何とか1日を乗り越える事が出来た。
月曜日に必死こいて作った資料の発表中、返せない突っ込みは出てこなかった。
PLの山田さんには感謝しかない。
小杉先輩も少し驚いていたようだ。
まぁ今週中に何が起きようと、やることは変わらない。
俺は今日、今までで一番重たい罪を犯す。
早めに上がることができたので家に19:30に到着する事ができた。
そして今、自分の盗難品を置いてある雑木林に来ている。
実は自転車を盗む1か月前から諸々殺人の準備は整えていた。
1つめはナンバープレートだ。
2週間前全く別の建物から盗んでおいたバイクのナンバープレートを取り出して、今回盗んできたバイクのナンバープレートと取り換えた。
2つめはヘルメット。
そして同じく転車を盗む1か月前から、スクラップ場から回収しておいたヘルメット。
これもやはり目立たないように黒スプレーで塗装してある。
3つめは、バイクの後ろに取り付ける集配用大型キャリーボックス。
最大で148ℓもの容量を入れることができる。
個人情報と結びつけないように購入するのは大変手間だったが、何とか身元がバレないように入手できた。
もちろん黒くスプレーで塗り、盗難してきたバイクに取り付けて、準備は完了してある。
これを取り付けるのに1時間もかかった。やっぱり自分が無能であると嫌でもわかる。
準備万端の状態でバイクを押し雑木林を抜け出て、バイクを走らせる。
小杉先輩の住所は事前に特定済、と言ってもストーキングして突き止めただけだけど。
道のりは全て頭に叩き込んである。
スマホも財布も持たずにバイクを走らせるとか今までやった事がなくて既に緊張している。
警察に呼び止められたら一発で終わる。
なぜこんなに大きなキャリーボックスをバイクに装着して走らせているか?
結論、死体を運ぶため。
死体はあまりに多くの情報を残し過ぎる。
例えばハンマーで頭をかち割って殺した後に、屋上から突き落として自殺に見せかけたとする。
だが、司法解剖すれば死因は何者かに鈍器で頭を打たれた事だと突き止められてしまう。
他の手段でも同様だろう。
自分のような素人には、死体が現場に残っている状態での死因の偽装はまず不可能であり、警察が殺人事件として捜査を開始してしまう。
警察が本気を出して捜査を開始するのは殺人事件の時である。
今までの窃盗事件なんかは全く本腰を入れていない。
バイクや自転車1台ごときで、何百人も動員して捜査を行ったりしないのだ。
では、行方不明だったら?
そもそも、日本の年間行方不明者は統計を取っている年にもよるが約8万人。
一方殺人事件はというと、年間約1千件ほど。
殺人事件1件につき1人が死んでいる想定だとして単純計算で行方不明者の数は、殺人事件で殺された人の80倍だ。
母数が違い過ぎるから、力を割けられる人員も限られてくる。
それでも人が急に居なくなるのだから、結構な事件だと思われるかもしれないが少し違う。
行方不明者とは何も事件に巻き込まれた人ばかりではないのだ。
家族仲が悪くて家出した人や、認知症でいなくなった人も含まれる。
警察が捜索願を受理した後に行方不明者は2種類に分類される。
一般家出人と特異行方不明者だ。
一般家出人は置手紙を残して家出したり、借金から逃げて居なくなる等の事件性がないものと判断されるタイプであり、民事扱いになって警察はほとんど捜査をしない。
特異行方不明者は殺人や誘拐の可能性があり、事件性が高いものとして警察が判断されるタイプ。
本人の意思に関係なく危険が生じている可能性があると判断され警察が速やかに捜索を行う。
小杉を殺して死体を隠した後、いかに一般家出人として警察に誤認させるかが鍵になる。
つまり、いかに警察に本気を出させないかが肝心なのだ。
さて、そんなことを考えてバイクを走らせている内に小杉先輩の住む4階建てのマンションである、グレースハイムに到着した。
時刻は深夜2:00
部屋は404号室で、横に8部屋まである建物のフロア中央に位置する。
当然出入り口に、監視カメラも存在する。
カメラが付いていないのはベランダ側だけ。
ベランダも前回のサンライズマンションのように、手すりが高くなく上層階へ上るまでの足場としては少し足りない。
そして、コンクリの壁に金属製の手すりがついている。これは上り下りする時にかなり響く。
ベランダはフロア全体で繋がっていて、板一枚で部屋と部屋が仕切られているタイプだ。
全体的に安っぽい作りで、音がとにかく響きそうだ。
道路を挟んで反対側の路地裏にバイクを駐車して、不審者装備に着替えた。
グレースハイムへ歩みを進めると、グレースハイムとベランダ側と道路の間は、2mほどのマキの生垣でできていた。
事前に確認した通りだ。
人が一人通れるかどうかの隙間をみつけて、匍匐前進で敷地に侵入した。
見渡したところ2Fの201号室の部屋だけ電気が点いていた。
さて、問題はここから404号室に誰にもバレずに侵入する事。
リュックから鉤縄を取り出して4Fまで届きそうか距離を測定する。
多分届きはするが、ベランダのどこに投げてもかなりデカい音が鳴り響く。
まだ角部屋だったら、手すりが高くてこのやり方でも通用したかもしれない。
だが、毎回運良くターゲットの住んでいる場所が角部屋ばかりでなないのだ。
・・・そんなことはわかっていた。
だから俺は屋上から404号室のベランダに直接潜入することに決めていた。
マンションの横側に回った。
リュックからドローンを取り出して、事前にドローンの真下に取り付けていたS字フックの金物に鉤縄を引っかける。
リモコンを取り出してドローンを飛行させ、スマホでカメラを確認して屋上に無事着地させる。
ドローンの着地と同時にS字のフックから鉤縄が外れた。
クレーンゲームのような感じで。
鉤縄を引っ張り屋上のコンクリの出っ張りに引っかけて、体重をかけても外れない事を確認した。
そのままドローンを手元まで飛ばして回収し、リュックに入れた。
「(さて問題はここからだな)」
垂直壁登りなどやった事などない状態で、しかも命綱無し。
そんな状態で4階建てマンションに不法侵入しようとしているのだから、もう馬鹿としか言いようがない。
そんな馬鹿でも自分にできる事とできない事の分別はついているつもりだ。
流石に消防士の人でもない限り、ロープ1本で垂直の壁を15mも登る事は不可能だ。
ましてや、ホワイトカラーで普段体を動かしていない俺には到底無理。
リュックからフルハーネス、2本のロープを取り出した。
フルハーネスはそのまま体に装着。
2本のロープは輪っかになっており、輪っかの状態で1mほどの長さ。
屋上から垂れ下がっている鉤縄ロープに2本の輪っか状のロープを、胸と腰の位置にそれぞれ結びつける。
所謂プルージックと呼ばれる結び方で結ぶ。
3回輪をくぐらせて紐を引っ張る、とてもシンプルな巻き付け方だ。
フルハーネスの胸の部分にあるフックに胸部のロープを引っかけて固定し、ぶら下がって体重を任せられそうな事を確認した。(以下胸部ロープ)
まずは腰の位置にあるロープに足を引っかけて体重をかけた。(以下足場ロープ)
足場ロープと鉤縄ロープが摩擦で固定されて足場になる。
次に、鉤縄ロープと、胸部ロープの結び目を持って頭上の位置までずらす。
体重は足場ロープにかかっているので、胸部ロープは緩んでいる状態のため簡単に結び目をずらす事ができるのだ。
そして足場のロープから、足を離してぶら下がる。
すると胸部ロープと鉤縄ロープの結び目が摩擦で固定されてフルハーネスに体重がかかる。
鉤縄ロープを引き寄せて、鉤縄ロープと足場ロープの結び目を腰の位置までずらして移動させる。
そして足場ロープに足をかけて、体重を乗せる。
これの繰り返しで、垂直の壁を登る事ができる。
「(これならいける。)」
5分ほどかかり、屋上に到達した時には全身が汗だくになっていた。
一瞬下を見た時はあまりの高さだったので全身から血の気が引いてしまい、とにかく下を見ないように登り切った。
鉤縄ロープを回収しフルハーネスを脱いで、一旦ポカリを飲んで休憩する。
「ああ、生きてるって感じがするな。」
4階建てマンションの屋上に身1つで乗り込む事に成功した事、これから殺人を犯す事に対する緊張と興奮でおかしいテンションになっていた。
404号室の真上の位置で耳を地面に当てて、生活音は何も聞こえてこなかった。
鉤縄をロープを屋上の手すりのような場所に引っかけて、404号室のベランダに垂らす。
これは屋上に死体を上げるためのロープである。
屋上から、404号室のベランダのエアコン室外機の上に降りる。
この程度の高さであれば、屋上の壁を掴んだまま室外機の上に足をつけることができるため、ロープは不要だ。
ベランダから404号室の中を覗いてみる。
部屋の間取りは広めの1Kで、小杉先輩はソファの上でいびきをかいていた。
テーブルの上には缶ビールが何本も転がっており、泥酔して寝ているようだ。
リュックからL字金物を取り出して、窓ガラスの鍵だけを開ける。
リュックの中から手錠を2個とロープを取り出し、サバイバルナイフを腰ベルトに装着して、靴を脱いで窓を開けて侵入した。
こんなに近くにきても気付いていない。
寝息を立てている小杉先輩を見下ろす。
これから人を殺すという事を目の当たりにして、猛烈な吐き気が上がってきた。
これをやってしまったらもう取り返しがつかない。
今までの犯罪はお金で解決できる問題だ。
だけど今回ばかりがどうにもならない。
小杉先輩の家族、恋人、友達。
小杉先輩には小杉先輩の生活、人生があった。
それを俺は奪う。
思えば入社当時は少しだけ、好意的に接してくれていた。
イケメンで人当たりがよく、他の社員からも信頼を置かれていた。
でも俺があまりに仕事を覚えるのが遅い無能だったから段々冷たくなっていったんだ。
・・・俺のせいだ。
そう、全部俺が悪い。
小杉先輩を殺すのは俺の単なる私怨だ。小杉先輩に一切の責任はない。
俺には何の価値もない。
何も持たざる者、努力のできない根性無し、理解の遅い無能、不愛想で好かれない見た目だから。
思えばずっと昔からそうだった。世間一般でいう幸せとは無縁の人間。
周りは幸せそうに笑えているのに、俺だけ笑えない。
友達とバーベキューをしに行ったり、家族と旅行しに行ったり、恋人とディズニーランドへ行ったり。
現実を充実して生きる、あの人達の持つ輝きが俺にはない、虚無なのだ。
生きてても死んでても変わらない人生なのだ。
それならさ、その輝いている人達を殺せば、満たされるんじゃないか?
その人達を殺す事でこの先その人達が享受するであろう幸せを奪えるって考えたら、自分にその人達の価値が少しだけ加わるような気がするんだ。
悪事を働く自覚はある、だが反省はしない。
人の輝きや価値を奪う事で、自分の虚無な人生を埋める事ができるのではないか?
その真偽は殺人を犯すまでわからない。
「やらない後悔より、やる後悔か。」
そう呟いて小杉先輩の足首に手錠をかける。
まだ起きない。
両手にも手錠をかける。
まだ起きない。
相当深い眠りのようだ。
足場に使っていた輪っかのロープを取り出して、2重にした状態で首にかける。
そのまま、全力で絞めた。
「う、ぐうぇ!?」
小杉先輩が起きた。
だが手足は手錠で身動きが取れない。
「だ、れだ・・・・」
暗闇で何も見えないが小杉先輩の顔が真っ赤になっているのはなんとなくわかった。
俺の頭は真っ白になり、もう何も考えられない。
「がっ、う、グエ・・・・・」
人間の発する音とは思えない音を出して暴れようとするも、小杉先輩は胴体を捩る事しかできない。
ソファから床に小杉先輩を落としてうつ伏せにし、その上から跨る。
頭を膝で押さえつけて、ロープを足と腕の力で全力で引っ張る。
更に3cmほどロープが締まり、気道が完全に潰れた。
「がっがぁ・・・・」
泡を吹いているのを目の当たりにして一瞬力が緩んだ。
やはり、まだ人を殺すという恐怖が残っているようだ。
「(今ここで殺さないと、俺が終わる)」
唇を噛んで口の中が血の味でいっぱいになった。
痛みで頭のリミッターを外し、ロープを全力で引っ張る。
抵抗しようとしていた手足も、ぐったりしている。
その後も力の限り首を絞め続けた。
もう何分こうしているのだろうか。
恐らく10分間は同じ体制のまま引っ張り続けた。
首を絞めるのをやめ、仰向けにする。
胸に耳を当てると心臓は停止し、舌は完全に伸びきっていた。
「やっちゃった・・・・。」
フルマラソンでもしてきたかのような疲弊だ。
全身汗だく。手足は痺れて力が入らない。
そのまま10分間経過を見ていたが、体は冷たくなっていくばかりで完全に死んでいた。
「あは、くくくく、あはははははあはは」
俺は、小杉先輩の人生を奪った。
この人には彼女がいた。もうすぐ同棲の予定だったと聞く。
仕事も優秀で、自分なんかよりよっぽど価値ある人間だった。
仕事はできても殺されてしまったら、その価値を二度と発揮できない。
そんな未来と希望に満ちた価値ある命を、価値のない俺なんかが奪った。
人は舐めてる人間に対してなら、残酷な事ができる。こいつはやり返さないというのがわかっているからだ。
だけど小杉先輩、そんな舐めてる奴に命を奪われるってのはどんな気持ちなんだ?
もう二度と、この人が俺に勝つ未来は来ない。
俺は、この人の人生を完全に奪ったんだ。
多幸感で頭がどうにかなりそうだ。
それと同時に、頭の何かが外れた感じがした。