彼女の過ごした四年間
幽閉されて二年経つ。
塔の部屋にある唯一の窓から、見慣れた景色を眺めた。
「さぁさぁ、姫様!今日は暖かいので、風を窓から呼び込みますね。」
ベラが優しい顔で窓を開けてくれる。
この二年の不便な生活で、彼女は一気にやつれてしまった様に見える。一度だけ、ベラが風邪で寝込んでしまった時は、私が塔の外へ走り監視している者たちに頭を下げて医者を呼んでもらった。
その時、見返りにと乱暴をされそうになったところを、たまたま城を警護しているものに助けてもらえたが、その時の醜聞により『王子に相手にされないからと、男と見れば見境なく誘うふしだらな娘』と悪評を流された。
ベラが怒り狂って抗議しようとしたのを止めたら、とても悲しそうに泣いて、私を抱きしめてくれた。
あの時から、彼女は私を塔の天辺から出すのを厭う様になった。
ついぞ声を出すことができないままの私は、さらさらと紙に文字を書いてベラに向けて鈴を鳴らした。
『散歩くらいしたっていいじゃない?』
「だめです!可愛い姫様が、またあのような目にあったらと思うと私は…」
『ベラが哀しむ方がイヤだから、我慢するわ。』
「ありがとうございます、姫様」
そうして部屋の掃除を始めたベラに苦笑して、窓の外に視線を移した。窓から吹き込む風が春を呼び込むのを、私は静かに楽しんだ。
窓が開けられるようになっているのは、空気を入れ替える為もあるだろうが、きっと…別の意図の方に意味を持たせているのだろう。
最近、声を出せなくなってからの筆談が板について、字が前よりも美しく書けるようになったことを、ベラによく自慢している。彼女は、どんな些細な事でも私を褒めてくれるから、ここへ幽閉された頃より幾分心は軽かった。
「オーロラ様、今日もお美しいですよ。」
決まってそう言いながら、私の髪をとくのが好きな様だった。
『母様と兄様も褒めてくれるかしら?』
「えぇ、きっと褒めてくださいます。」
でもね、分かっているの。
毎日のこのやりとりに、意味なんてないことを。
幽閉されたその日に、窓から捨てたものは、鏡だけだった。
しかし過ごしていくうえで、この理不尽な状況は、私を暴食に導くほどのストレスにはなりえなかった。
持ってきた服は、全部体に合わなくなってしまったから、ベラが全て詰めて直してくれた。
豚は豚でも、子豚くらいにはなれたのかしら。
パンッパンッ
どこからか祝砲を打つ音が空に響き渡った。
一応、この塔も王城の一角に建てられているので、何か大きな催し物があると大なり小なり音が響いてくるのだ。
そういえば、一昨日、空から聖女様が降りてきたらしい。外の衛兵たちが大きな声で話していたのを聞いた。
世界中から名だたる戦士を集めて、聖女様と一緒に、悪い龍を捕まえに行くらしい。
その中には、私の弟達と夫もいるのだと。
来月の出立式には、出席しないようにと夫自ら書面で伝えてきたあたり、よほどのメンツがかかっているのだろう。
『ねぇ、ベラ』
「はい。」
『私、綺麗?』
「はい、もちろんでございます。姫様は、昔からずっと、いつだって、美しいですよ。」
出立式の日。
白い結婚が満二年を迎える。
契約により、私たちの婚姻は、自動的に解消される。
結局…私は、一度も夫と顔を合わせることは無かった。
しかし、出立式の前日に侍従のベンジャミンを連れて弟達が私を訪ねてきてくれた。どうやら私は、明日にはこの塔から出れる様になるらしく、ベンジャミンが迎えにきてくれるのだとか。二人が優しく私を抱きしめてくれたのが、とても嬉しかった。
けれど、その約束が果たされることはなかった。
今度は、意味もなく罪人として扱われ二年間閉じ込められることになったから。
※※
「初めに言ったとおりだ。俺たちの姉様を、返してくれ。二年前、婚姻無効と聖女降臨の恩赦で幽閉が解かれる手筈になっていたのに、お前達は約束を反故にした!!」
「龍は捕まえた。もう姉様の疑いは晴れたはずだ。いますぐ、姉の名誉を回復してもらおうか。そうすれば二年前の事は、目を瞑ってやろう。」
龍を捕まえた英雄達が凱旋し、皆がそれぞれ希望の褒賞を受け取る中、双子の弓遣い達は悲壮な顔で声を振るわせた。
オーロラの弟たちだった。
美しい双子の変わらない願いに、オーロラの元夫であり、このたびの褒賞により国王に成り代わったユーハイムは眉根を寄せた。その隣で、彼の幼馴染達と聖女と呼ばれる少女も戸惑っていた。
「まだあんな姉を庇うなんて、お前ら恥ずかしくないのか?己の怠慢で醜く肥え太り、我儘を言って陛下へ輿入れした挙句に、男を垂らしこんで病を持ち込もうとして幽閉されたんだろ?」
槍使いの名手として参戦していた大国の騎士が、嗤いながらそう言った。その時、双子の兄が懐から一冊の書を取り出し、目にも止まらぬ速さで騎士の顔面に投げつけた。その側で、この四年間の報告書を弟の方が奏上する。それは、ベラが秘密裏につけ続けた日報を元にしていた。
「ユーハイム陛下、あなた方が笑いものにした者の全てがそこにある。その日記は、読まなくてもかまいませんよ。しかしながら、このような国に…祖国にも言える事ですが、姉を悪女にした者たちを私たちは許せない…」
投げつけられたそれは、十八歳までオーロラがつけていた日記の写しであった。
彼女が、なぜ豚と笑われる様になったのかが、痛いほど分かるものだった。
「助けたくても助けてあげられなかった…、でも、今は違う。今すぐ!姉をあの忌まわしい塔から、解放しろ!!白い結婚が二年続けば、婚姻は無効だと、そちらが決めたことだ。」
「二年前に、シャレンド家から姉を帰国させるように使者も送ったんだぞ?直接、私たちからも話をさせていただいた。その時返してくれていれば…!!そこの女の下らない妄想話のせいで!姉様は龍を捕まえるまで幽閉されたんじゃないか。」
「し、知らなかったの!だって、オーロラは、ただただ最低な悪役令嬢だったんだもん。あの時、外に出していたら、私たちに復讐するために、いろんな事をしでかすって本ではそう書いていたから!!だから、私は、そのフラグを折っただけなんだよ!」
「だから、その本持ってこいって言ってんだろ…。聖女かなんか知らないが、お前の様に平気で心無い行いができるような者が姉様を呼び捨てにし、悪様に言うのが我慢ならん!!」
「リン、姉様を返してもらえるまで耐えろ。」
「俺たちに言うことを聞かせるための人質にしたくせに、何がお優しい聖女様だよっ…!」
双子の殺気に満ちた眼差しに、一気に祝賀会の雰囲気が不穏なものになった。
ちなみに難しい顔のまま黙り込んだユーハイムは、婚儀の日、オーロラがそんな理由で塔に幽閉された事を知らなかった。
『移る病に侵されて、二目と見れぬ容貌になった事を悔いて、自ら祈りの塔へ入った』と、そう臣下から聞かされ、移る病と出されては、その立場では見舞うこともできなくなった。
ただ…どんな姿になっていても、『美しい景色をすべて見せてあげる』つもりで、ずっとオーロラが塔から出てくるのを待っていた。
「…オーロラには、申し訳ないことをした。彼女の名誉は私が責任を持って回復させよう。」
「その謝罪を四年も待ってたよ、くそったれ。」
「リン、首飛ぶから。姉様に会う前に死ぬのは、まずい。」
殺伐とした中、騎士が投げつけられた日記を、何気なく読み始めた。しかし、ページを進める手が、途中で止まる。
何かを悔いる様に顔を顰めて口元を片手で塞いだ彼のただならぬ様子に、騎士から日記を取り上げた侍従が、それを検閲し始めた。
やはり、騎士と同じく日記を読み進める事ができなくなった。
そんな中、鈴の音を転がすような声が広間に響いた。
「国王陛下並びに、此度の英雄様方に、シャレンド侯爵令嬢に代わりましてご挨拶申し上げます。」
陛下付きの侍女に付き添われて現れたオーロラは、無言で完璧な礼を御前にて披露した。
「面を上げ、楽にしろ。」
音もなく居住まいを正した彼女に、表情は無かった。
ベラが半年前に亡くなってしまった時、彼女は声だけでなく表情すら無くしてしまっていた。
「「姉様!?」」
感極まった二人に抱きつかれて、彼女は戸惑いながら抱擁を返した。
そして、久しぶりの再会に、ぎこちなく顔を綻ばせた。今の彼女にできる、精一杯の笑顔だった。
『怪我は無い?ベラとね、ずーっと無事をお祈りしていたわ。』
すっと差し出された筆談用のメモには、あらかじめ書いておいた第一声。
案ずる言葉に、双子はくしゃりと顔を顰めた。
「姉様のおかげで、私たちは無事帰還いたしました。ベラのことは残念でした…葬儀に参加出来なかった事が悔やまれます。」
レンの言葉にうなずいて、メモをパラパラめくり、会話が不自然にならないように前もって書いておいた言葉を探す。そんな彼女の気遣いに、双子は胸が苦しくなった。
『いいのよ、ベラも分かっていたわ。それに一人になってしまう私のために、最期まで色々な事を教えてくれたわ。見て見て!ベラに教わって、服を一人で直せるようになったの!すごいでしょう?』
見せびらかすように、着古したドレスの裾をつまみながら、くるくる回って見せた姉を、レンが微笑ましく見つめて、リンがまた抱きしめた。
そして、怒りが爆発した。
「さすが姉様、完璧な繕いです。それに比べて、あのボンクラは服を買い与える気遣いすらもしなかったようですね。そこの女には、バカスカ買い与えてたくせに。姉様、はやく家に帰りましょう。」
「てめぇ、何してくれてんだ!?ベラの葬儀を、姉様だけで送り出したって聞いたが、どんだけ馬鹿にしたら気が済むんだよ!!姉様、可愛いよ。家は、姉様のために新しく建てたんだよ。」
二人の言葉は想定外だったのか、オーロラは慌てて、白紙のメモに走り書きしていく。
『帰れるの?二年前に二人に言われた通りにベラと塔を出て行こうとしたら、なぜか罪人扱いされて出してもらえなくて…ベンジャミンが折角きてくれていたのに、彼には悪い事をしたわ…。』
「姉様の心配事は全て解決しておきましたから、胸を張って帰りましょうね。父様も…待っていますよ。」
リンの言葉に、オーロラは一瞬息をつめた。
そして、少し悲しそうに笑って、弟達にいつもの問いかけをした。
それは、メモの一番最後のページにあらかじめ書かれていたものだった。
『ねぇ…私、綺麗?』
「「姉様は、いつだって綺麗だよ。」」
『姫さまは、世界で一番綺麗です。ベラは、姫さまの全部が大好きです。』
二人の優しさに、ベラの最期を思い出して、オーロラは一粒だけ涙をこぼした。
鏡を見る勇気は、まだ無い。
綺麗だね、って花嫁姿を誉めてほしかった人達には、もう二度と会うことは無いのだろう。
一度でいいから、誉めてほしかった。弱さを含めて、認めてほしかった。
その呪縛から、やっと解放される気がした。
また少し肩の力が抜けたオーロラの、その静謐な美しさに、双子以外が動けずにいた。
笑い物にした醜悪な花嫁は、もうどこにも存在しなかった。
了
『補足』
聖女取り巻き軍団は、オーロラが声を出せない事を知りませんでした。『聖女様を悪様に罵り、今にも殺しにいかんばかりであった。』と監視している衛兵からの報告を鵜呑みにし、聖女たちが帰ってくるまで罪人として幽閉する事に決めたという経緯があります。
聖女様は乙女ゲームの世界にやってきたと舞い上がり、最推しと結婚エンドを最短で迎えたいために、アクションを起こして戦いを複雑化させる悪役令嬢を閉じ込めたままにしました。
ファンブックの裏表紙に、オーロラがどのような扱いをされていたか書いてあったのに(乙女ゲームにはいなかったベラの献身により、オーロラが衛兵の慰み者になることもなければ、憎しみで道を踏み外す事もありませんでした。)