*89* 甘い話には裏がある
「ととのいました」
ある日のこと。旧ブルーム城の食堂で朝食をすませたわたしは、テーブル上で地図をひろげていた。
向かいの席ではノアが、となりではちょこんと座ったユウヒが地図をのぞき込む。わたしの手もと、羽根ペンで丸印をつけた場所を。
「次の目的地、ここに決めたんだ?」
「うん。ブルームから南西に下った海辺の街、ルビア。夕陽がきれいだって有名なんだよ」
「ユウヒがきれい、ですか?」
「そうそう、ユウヒみたいに真っ赤できれいなおひさまがいるの!」
「ふわぁ! ユウヒとおそろいのおひさまですか〜!」
ユウヒはファイア・ドラゴン。人間のすがたをしているいまも、燃えるようなクリムゾンレッドの髪が特徴的だ。
ブルームじゃ見かけない色だもんね。うれしそうにはしゃいでて、かわいい。
「楽しそうですね」
「次に向かう場所の話をしててね。あっ、ルビアに行くのは観光じゃなくてちゃんと理由が……って、あれ?」
ほほ笑ましくユウヒをながめてたら、ごくごく自然に会話に加わる少年がおりまして。まばゆいハニーブロンドの男の子、ルウェリンだ。
コカトリスの毒の治療も終わって、前みたいな生活にもどったころ。アカデミーの授業にも問題なく参加できてるって聞いてる。
そんなルウェリンは、テーブル上でかさねられた食器をひょいっと下げるかわりに、なにやら甘い香りがするお皿をわたしの目の前に置いた。
「これって……」
「アップルパイです。リオさんが街でもらってきた『ブルーム・ゴールド』を使って焼きました。自信作です」
「自信作って……ルウェリンが焼いたの? きみは一流パティシエか!?」
「ふつうのアカデミー生です」
ルウェリンはすました顔してるけど、これはただのアップルパイじゃないだろう。
香ばしくて甘酸っぱい香り。バラの花びらみたいに飾られた薄切りのリンゴ。見ただけでわかるよ、これぜったいおいしいやつだ!
「食後のデザートにいかがですか? 遠慮せずに、どうぞどうぞ」
「いいの? ありがとー!」
いま思えば、わたしはちょろいやつだった。
ルウェリンがやけに笑顔でさし出してきたアップルパイに、なんの疑問ももたず手をのばすなんて。
「んーっ! サクッとしたパイ生地に、とろけるカスタードと甘酸っぱいリンゴのハーモニー! おいし〜いっ!」
「あるじさま! ユウヒも、ユウヒも!」
「もちろん! はいユウヒ!」
「はむっ! んん、おいひいれふ〜!」
「ノアも食べる?」
「いや、俺はおなかいっぱいだし」
「えぇっ、こんなにおいしいのに! ほら、あーん」
「食べる」
最初は遠慮してたノアも、わたしがあーんをしたらキリッとした顔になって、そのままぱくっ。
「おいしいでしょー?」
「うん。リオから食べさせてもらえるアップルパイなんて、おいしいに決まってる」
「朝っぱらからイチャイチャするのやめてもらえますか、そこのバカップル」
「へっ、ばっ、バカップル!?」
「なに慌ててるんですか。それで付き合ってないとかバカ言わないでくださいよ」
さすがルウェリン、容赦ない物言いだな。
(いや、そりゃまぁノアはわたしのこと好きだって言ってくれるし、わたしもノアのこと、好き、だから……恋人、なんだよね)
……だめだ。意識したらなんか恥ずかしくなってきた。
「わぁ、あるじさま、お顔がリンゴみたいです!」
「ほんとだ。真っ赤でかわいいね」
そこでこの追い討ちです。ユウヒは無自覚なんだろうけど、ノアは確信犯だと思う。いじわる……!
涙目になってノアに抗議のまなざしを向けていたときのこと。視界の端で、ルウェリンがニヤリと笑みを浮かべたのが見えた。
「まぁなんにせよ、これで僕の計画どおりです。……食べましたね?」
「へっ?」
「アップルパイ、食べましたね?」
「食べちゃまずかった……!?」
真っ青になるわたしをよそに、ルウェリンはにっこりと笑みを崩さない。あれ、そのスマイル、なんだか怖いな……
「そうですねぇ。それは最高級の『ブルーム・ゴールド』を丸々1個ふんだんに使い、僕が姉さんとすごす貴重な時間を削ってまで焼き上げた特別なアップルパイですから」
「そ、それでわたしは、なにをすればよろしいので……?」
「察しがよくて助かります」
もしかしたらわたし、脅されてんのかな。そうとわかっても、もうアップルパイは食べてしまった。どうすることもできない。
「簡単なことです。仲良くアップルパイを食べた『共犯』のみなさんには、僕から『おねがい』がありまして──姉さんのことで」
まぁ、そうだよね。ララのことしか頭にないような姉さんガチ勢のルウェリンが、ララ以外のことを話題にするわけもなく。
(わたし、どんな無理難題をふっかけられるのかしら……)
ガタガタとおびえながら次の言葉を待つ。やがてルウェリンがわたしたちに告げたのは、衝撃的なひと言だった。