*87* 悪魔さがし
翌朝。わたしは旧ブルーム最上階にある、とある部屋の前にやってきた。
「だめ! って俺が止めても、リオは行くんだよね」
「うん。お父さんと話をさせてほしいの」
行き先を告げたら、ノアが反対することはわかりきっていた。
だけど、わたしも引き下がるわけにはいかない。
──ふたりで話す機会をくれないかい?
お父さんがなにを語ろうとしているのか、わたしはたしかめなくちゃいけない。
「だから、おねがい」
「……わかった。その代わり、俺は部屋の前にいるから。なにか変なことされそうになったら、叫ぶんだよ」
「ユウヒも! あるじさまのごようじが終わるまで、おるすばんできます!」
「ノア、ユウヒ……ありがとう」
わたしは独りぼっちじゃない。
心強いふたりの存在に背中を押され、正面へ向き直る。そして。
「リオです。失礼します」
ドアをノックすること3回。ひと声かけたわたしは、前もってヴァンさんから預かっていた鍵を鍵穴に差し込む。
この部屋は、外からしか解錠できない造りになっているためだ。
……カチャリ。
鍵があいた。意を決し、ドアノブを回す。
キィ……と軋む音とともにわたしを迎え入れたのは、部屋の奥、窓辺にたたずむ男性だ。
「おはよう。もうそろそろ、来るだろうと思っていたよ」
純白の神官服を身にまとった彼は、ほほ笑みながらわたしに手まねきをした。
「おいで、リオ。お茶を淹れてあげよう」
* * *
ずいぶん昔に使われなくなった書斎部屋。その空きスペースに簡易ベッドを運び込んだこの場所こそ、ヴァンさん命名『スウィートルーム』──お父さんの利用している客室だ。
「とても快適に過ごさせてもらっているよ。ヴァネッサのおかげでね」
テーブルを挟んで向かいのソファに腰を下ろしたお父さんが、ティーカップに口をつける。
お父さんがブルームへやってきた日、「あのクソ野郎は、地下の倉庫にでもぶち込んどけばいいのよ!」と興奮したヴァンさんを、エルがなだめたらしい。
仮にも神殿の高い位につく大神官さまを、粗末にはあつかえないでしょう──と。
とはいえ、モンスターの襲撃のために出入りが制限されているなか、単身でこの街にやってきたんだ。
「『病室』以外で、ほかに空き部屋がございませんので、ご了承ください」
エルの説明に、お父さんも特に反論はしなかったらしい。
コカトリスに旧ブルーム城が襲撃された日、ヴァンさんの処置につきっきりなわたしにかわってほかの傷病者の治療に当たってくれた以降、お父さんはこの部屋から一歩も出ていない。
事件後、ようやくひと息つけたいまなら、お父さんに対するたくさんの『なぜ』を問いかけることができる。
「ルウェリンのダメージコントロールをしていただき、ありがとうございました。毒のめぐりを止めていなければ、わたしでも……」
「リオ、他人行儀はやめてくれないか。私たちは家族なのだから」
そりゃあ、まぁね。
お父さんのワインレッドの瞳と、わたしのストロベリーピンクの瞳。色の深みこそちがうけど、赤い色素の瞳はおなじカーリッド侯爵家の血を引くあかしだった。
……血のつながりだけで言えば、たしかにわたしたちは家族だ。
「正直のところ……家族だと言われても、戸惑いしかない」
わたしの記憶には、クマのぬいぐるみをプレゼントしてくれたやさしいお父さんとの思い出は、ほんのすこし。あとの大半は、孤独で埋め尽くされている。
「ねぇ……どうして、わたしを捨てたの? 『悪魔』に取り憑かれてるなんて思ってたなら、どうしていまごろ……っ!」
声がふるえる。泣きそうになるのを必死にこらえていると、手のひらに爪が食い込んで痛んだ。
しばらくわたしを見つめていたお父さんが、ワインレッドの瞳を伏せ、静かにつぶやく。
「捨てたんじゃない。手放したんだ。おまえを守るためには、あのまま私のそばに置いておくわけにはいかなかった」
「どういう、こと……?」
「リオ、おまえは誤解をしている。恨まれるような真似をしたのは、私に違いないのだけれど……どうか私の話を聞いてほしい」
沈黙が流れる。ティーカップのなかの紅茶が、音もなくゆらめいていた。
「おまえが生まれて間もなかったころだ、神殿による『悪魔狩り』がはじまった」
「『悪魔狩り』……?」
「古くから、神殿は魔族と敵対していたからな。しかし実際は、魔族だろうが、エルフだろうが、赤ん坊だろうが、なにかしら高い魔力を示した者は、みな神の名のもとに火刑に処された」
「そんな……!」
「いまでこそ、ばかげた話だ。しかし当時は神殿の影響力が大きく、王家でさえ歯止めをかけることは容易ではなかった。神殿を取りしきる当時の大神官たちのほとんどが、魔族に強い偏見をいだいていたんだ」
それは権力の暴走だったと、お父さんは語る。
「神官たちの乱心ぶりは、私も目を背けたくなるものだった。だが当時の私は末端の神徒でしかなく、争いの飛び火に巻き込まれぬよう、おまえをつれて各地を転々とするほかなかった」
──馬に乗って狩りもできないような男だからね。
──争いが嫌いなのよ、あいつ、テオは。
ふと、ヴァンさんが話していたことを思い出した。
たしかに、わたしの記憶のなかでも、お父さんが声を荒らげたことなんてない。
「だが……おまえがみっつのとき、状況が変わった」
「それって、わたしがボロクソにわめいた……」
「あぁ。私の不注意で、お前の両肩に怪我をさせてしまったときのことだ」
「うん……?」
「幼かったおまえは覚えていないかもしれないが、あのときおまえは、一瞬でじぶんの肩を治療したんだ」
「え……あっ」
そういえば。脱臼の激痛と、突然前世のことを思い出したショックで、そのあとの記憶が曖昧だ。
でもよくよく思い返してみれば、あのあとお医者さんに行った覚えもないし、脱臼癖がついてしまったりとかもなかった。
「おまえが治癒魔法を使ったのだと、すぐにわかった。まだ物心もつかないおまえが、だ。この子は天才だと、私は確信した」
魔法書を読めば初級の魔法なら使えてしまう火や水、風などの通常魔法とは違い、治癒魔法は高度なコントロール技術が必要だ。
それを三歳のこどもが突然使ったなら、おどろくのも無理はない。
「だが折悪しく、『悪魔』をさがして街を巡回していた神官に、おまえの高い魔力反応を嗅ぎつけられてしまったんだ」
「……それで?」
「気づけば『悪魔憑き』を見つけたと、そう叫んでいた。私は結婚したことも子が生まれたことも届け出ていなかったから、私たちが父娘だということまでは、神官も思いいたらなかっただろう」
「それじゃあお父さんは、神官からわたしをかばって……?」
「……そうだ。その場はなんとか取りつくろい、私は神徒としておのれの判断で『悪魔』を処罰したのだと、のちに報告した」
そこまで話し、言葉を切ったお父さんの表情には、暗い影が落ちている。
「私には力がなかった。おまえを手放すしかなかった。年のわりにしっかりとした物言いをする賢い子だから、きっと大丈夫だと、じぶんに言い聞かせるしか、なかった……」
そうしてわたしを、ひとけのない森の奥深くにつれて行ったのだと、お父さんは声を絞り出した。