*85* 特別授業
「女の子のからだのことって……っひ!」
ノアがなにかを言う前に、ゆっくりと腰を下ろす。
声がひっくり返っちゃったノアだけど、わたしはなんとか悲鳴を噛み殺すことができた。
でもまぁ、その……うん。現状としては、心もとない下着一枚をへだてて、わたしのだいじなところに、熱くて硬いモノがふれてる状況なんですけど。
「こう、やってね、おたがいのきもちいところをこすりつけるのを、性交っていうんだよ、んっ」
「性交……リオも、きもちいの? っふ……俺のからだで、きもちよく、なってくれてるの?」
純粋な問いを投げかけてくるノアに、笑みを返す。答えなかったんじゃなくて、答えられなかったんだ。
下半身にじんと熱を灯す刺激に、気を抜いたら意識を持っていかれそうだったから。
「ノア……インキュバスっていうのはね、女のひとと、いっぱいこういうことをして、力をつける種族なの……だから、ね、わたしの精気、いっぱい食べていいからね……はぁっ、ん」
「リオ、だめ、それ以上動いたら……んぁっ」
少し腰を浮かせて、主張してきた熱の塊にぴったりとくっつくよう、位置を調整する。
大丈夫……ノアのためだ。わたしは、できる。
ここまで来て、いまさらもどれない。
「じっとしてて、ノア…………んんっ!」
「うぁあっ」
下腹部に力を込め、ぐぐっと腰を落とす。
こすろうとしたけど、想像以上の刺激に見まわれた。
だめだ、ちょっと腰を動かそうとしただけで、変なところに当たって、視界がチカチカする。
「くぅ……やぁっ、んっ……!」
なんだこれ。ゾクゾクとなにかが背すじを這い上がって、変な声がもれる。
わたしの知らないわたしに塗り替えられていくような、得体の知れない恐怖をおぼえる。
臆病者のわたしは、このだいじな場面で、ひるんでしまった。
「つらそうだよ、リオ……もう」
「いいからっ!」
意地になって叫び、ハッとする。
ばかだ、わたし……ノアが心配してくれてるのに、情けない。
「わたしはどうなってもいいの。ノアが元気になってくれなきゃ、意味ない……」
真っ白い顔でベッドに横たわるノアを、はじめて見たときのわたしの気持ちがわかる?
呼吸を確認してホッとして、目を覚まさないノアに、また不安になって。
──わたしの夢はね、わたしの薬で、病や怪我に苦しむたくさんのひとを助けることなの。
そんな大層な言葉を並べ立てておいて、いざというとき、大切なひとひとり治せやしないの?
──俺はずっと、リオのそばにいるよ。
ノアがそう言ってくれて、わたしがどれだけうれしかったか、知らないでしょ?
「ノアはいつだって、わたしのそばにいてくれた……なのに、ノアがつらいときになにもしてあげられないなんて……そんなの、絶対にいや!」
あぁもう……だめだ、情けなくて涙が出てくる。
嗚咽をもらすわたしのほほに、そっと指先がふれた。
「リオ」
わたしを呼ぶやさしい声音につられて、目線を向けた先。
そこで、ノアがはにかんでいた。するりと指先でわたしのほほをなでて、こつんとひたいをくっつけてくる。
「リオの気持ち、うれしいよ……ちゃんと伝わってる」
「ノア、わたしっ……」
「うん、わかってる。でもね、無茶はしちゃだめ。リオがつらそうなところ、俺だって見たくないんだ」
「でも、でもっ……」
「いいんだ。焦らないで。大丈夫、大丈夫だから……」
「っ、ふぅうっ、うぁあっ……!」
とんとん、とやさしく背中をさすられて、余計に泣けてくる。
……ホッとする。ノアの腕のなかにいるのが、ひどく心地いい。ずっとこうしていたいって思うくらい。
「落ち着いた? ふふ、ちょっと汗かいちゃったね。シャワー浴びておいで」
だから、わたしのブラウスのボタンを留めようと手を伸ばしてきたノアの行動に、納得がいかなかったんだ。
「リオ……?」
「やめないで」
相変わらず、恥ずかしさで顔が熱い。
でもそれ以上に、おなかの奥がずんと重いの。
疼いて疼いて、たまらないの。
ノアでいっぱいにしてほしくて。
「女の子の……わたしのからだのこと、教えるから。だから……もっと、さわって?」
甘い熱に浮かされたわたしは、ノアの袖を引く。
あぁもう止められないなって、頭の片隅で、他人事のように思いながら。
* * *
……きしり。
ベッドのスプリングが鳴いて、天井を見上げたわたしへ、ノアが覆いかぶさってくる。
「リオ……きれいだ」
ほぅ……と、感嘆の吐息がほほにふれる。
陽が落ちた薄暗い部屋。わたしはよく見えないけど、夜目がきくノアは、一糸まとわぬすがたになったわたしがよく見えていることだろう。
男性経験なんてない。医療従事者だった前世の経験から知識だけは無駄にある、耳年増だ。
ほんとは恥ずかしくて、どうにかなりそう。でも、それじゃ意味がないから。
「……やさしく、してね?」
シーツをにぎりしめて見上げたら、ふふっと、笑い声がきこえた。
「うん、だいじにする」
寝間着をベッドの外に脱ぎ捨てたノアが、そっと唇をかさねてきたのが、合図だった。
こうして特別授業、『やさしい性教育~女の子のからだ編~』がはじまったわけなんだけど。
実技開始から数分、わたしは早くもベッド上で翻弄されていた。
「リオって、着痩せするんだね……やわらかい、俺の手からこぼれちゃう」
「言わな、あっ」
「あぁもう、恥ずかしがってるリオ、可愛すぎる……っ」
「んんっ……!」
性の知識に疎くて、基本的にわたし以外のひとを寄せつけないノアだ、だれかに吹き込まれたわけじゃない。わたしの反応を見て、無意識にやってのけているんだ。
女の子のからだの仕組みとか、『気持ちいいところ』を口頭で説明はしたけど……これがインキュバスの本能だとするなら、なんて末恐ろしい。
「んっ……リオ、きもちい?」
「はぁっ、おんなじとこばっか、やだぁ……!」
「そっか、ごめんね。ほかのところもさわってあげるね」
くすぐったさと恥ずかしさと。真っ赤になって身をよじるわたしの頭をなでたノアが、ふいに顔を近づけてくる。
ちゅ、ちゅ、とおでこやほほ、唇にキスを落としたら、今度は鎖骨や胸もと、おへそと、だんだん下半身へ移動していく。
「リオの、甘い香りがする……もっと見たい、さわりたい」
はぁっ、とため息をついたノアの瞳が、じりじりと燻る炎を灯したように、熱っぽい。
わたしに欲情しているまなざしだった。
劣情を宿したサファイアの視線をまともに見てしまったわたしは、ずくりと、下腹部が疼く感覚に見舞われる。
「リオのぜんぶ、もっとよく見せて?」
「あっ……!」
呆けているあいだに、ひざを左右に割りひらかれてしまった。
あられもない場所をさらけ出している状態。それだけでも顔が燃えるくらい恥ずかしいのに、容赦ない追い討ちがかけられる。
「リオの言ったとおりだ、俺とからだのつくりが全然ちがう……」
「ひゃんっ!?」
良くも悪くも、ノアは好奇心旺盛で、勤勉すぎた。
「ここが、赤ちゃんが生まれてくるときに通る場所。この上のあたりも、さわったら気持ちいいところのひとつなんだよね」
「ふ……ふぇぇ!」
「あれっ、違った?」
「違わないけど! 実況するなぁ!」
教えられたことを吸収しようとするノアの姿勢は素晴らしいけど、わたしにとっちゃ羞恥プレイです。
「つい夢中になっちゃった。おしゃべりしすぎたかも。ちゃんとリオによろこんでもらえるようにがんばるから、許して?」
焦らされたから、わたしが怒ったとでも思ったんだろうか。そうじゃない、そうじゃないのよ、ノアくん。
だけど悲しいかな。わたしが口をひらくより先に、特別授業が再開されてしまう。
「ここが、女の子のきもちいいところ……」
「待って、ノア、まっ…………ンッ……!」
なんとか、声は押し殺せたけど……
「はは、きもちよかった? あ、足閉じちゃだぁめ」
敏感に反応してしまったところを、目ざといノアは見逃してくれなかった。
「もぉやだぁ……ノアのいじわる……!」
恥ずかしいところをさわられて、恥ずかしくないわけがない。いっそ、さっさとトドメを刺してほしい。
なんてぐすぐす泣きべそをかいていたら、荒い呼吸がきこえた気がした。
つい頭上を見上げた瞬間、ひゅっと涙が引っ込む。
「リオ、かわいい……はぁっ……」
ノアが眉をひそめ、ひどく苦しげだった。
それもそのはず。とてつもない熱を、持て余していたんだから。
「ごめん、いまはリオをきもちよくしてるときなのに……」
ノアがそう言って、じぶんでなんとかしようとするものだから、思わず押しとどめた。
「待って!」
「……リオ?」
ノアは、わたしが制止した理由がわからないみたいだった。
あぁ、もしかして。男の子と女の子のからだについて別々に講義したからか、ノアは仕組みを理解したけど、まだそれぞれがうまく結びついていないのかもしれない。
つまり……男女で性交をするという概念と、その意味が。
「……インキュバスは、なにをして力をつけるんだって、わたし言った?」
「女のひとと、気持ちいいところをこすり合って……えっと、性交……?」
「そう。性交をするのには、だいじな意味があるの」
この際だ、羞恥心なんてくそくらえ。
きょとんとしたノアに近寄り、その耳もとで、内緒話をするみたいにささやいた。
「────っていうふうに、男のひとと女のひとで性交をしたら、赤ちゃんができるの」
「……赤ちゃん」
サファイアの瞳が見ひらかれたと思った瞬間、ぐるんと視界が回った。
一瞬でベッドへ沈められたわたしの上に、ノアがのしかかってくる。
「あぁ、そうか……だから、リオにふれたくてたまらなくなるんだ。わかったよ、ぜんぶ」
低くうなるノアの視線は、ギラついている。
獲物を捕捉した、捕食者の目。やだ……そんな目で見られたら、わたし。
「ごめん、ちょっと乱暴にするかもしれないけど」
ノアがわたしに体重をかけながら、言葉少なに断って。
「俺のぜんぶ、受け止めて」
稲妻のような衝撃が、わたしをつらぬいた。