表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/27

*7* 悪夢から醒めるとき ノアside

 はじめから孤独だったら。


 血も涙もないどん底にいたなら。


 そうすれば、こんなにも苦しむことはなかっただろう。



「こんなところにいたのかい。見つけたよ」



 どんなに辛くて、苦しくても、俺の記憶の奥底には、晴れた空みたいなまぶしい日々があった。



「おなかが空いただろう? ごはんにしよう。おいで、ノア」

「うん、おとうさんっ!」



 木にのぼったやんちゃ坊主を叱ることもなく、飛びおりたら抱きとめてくれる。


 やさしくて力強い父さんのすがたは、いつだって思い出せる。



「おっと! またおっきくなったんじゃないか? ノアは、お父さんに似て背の高いイケメンになるぞ~」

「きゃははっ!」



 春の陽だまりみたいに笑う父さんのことが、俺は、大好きだった。


 大好きで、大好きで……愛されていたからこそ、うしなったときの哀しみが、絶望が、いまも俺を苛んでいる。



  *  *  *



「おや、もうひとりで絵本が読めるようになったのかい」

「えへへ。おとうさんが、ねるまえによんでくれるから!」



 俺は物心ついたときから、父さんとふたり暮らしだった。


 父さんはのんびりとした性格だったけど、頭がよくて、俺にいろんなことを教えてくれた。


 おかげで5歳になるころには、ひととおり読み書きができるようになっていたくらいだ。



「ねぇ、おとうさん……」

「うん? どうしたんだい。元気がないけど」

「ひろばにきてたかみしばいやさんが、『てんしとあくま』のおはなしをしてたの……『てんし』は、かみさまにかわいがられてて、『あくま』は、わるいやつなんだって……」

「それが悲しかったの?」

「だって、だって……『あくま』には、ぼくとおんなじ『はね』があったよ。ぼくも、わるいこなの……? だから、ぼくがうまれたかわりに、おかあさんが、よぞらのおほしさまになっちゃったの……?」



 同年代のこどもと比べて、感受性が強かっただろう。


 無意識に、何度父さんを困らせたか知れない。


 だけど父さんは、俺の前で困った顔ひとつしなかった。



「『悪魔』が悪いやつなんて、そんなのはおとぎ話の中だけだよ。ノアは、いい子だ」

「ほんとに?」

「うん。だから、悲しまなくていい。ゆっくりおやすみ」



 父さんはにっこり笑うと、おでこにキスして、俺を抱きしめて眠ってくれた。


 ……あのころは、しあわせだった。



  *  *  *



「神殿の連中が、聖女をかどわかした悪魔を血まなこになってさがしておるようだ」

「……そうですか」



 ある夜、なんだか目が冴えて、ベッドから起き出した。


 いつも添い寝してくれているはずの父さんが、いなかったんだ。


 そうっと寝室から抜け出したら……見つけた。


 父さんは蝋燭の明かりがゆらめくテーブルで、女のひとと向かい合っていた。たまに来る『えらいひと』だ。


 彼女のうしろには、付き人の女性が立っていた。



「クロウよ。一族のためを思うならば、そなたのすべきことは心得ておるな」

「なにをおっしゃっているのか、わかりませんね」

「息子を差し出すのだ。半分は聖女の血を引いている。連中も殺しまではせんだろう」

「ノアに、次世代の聖女を産ませるための種馬になれと? ──冗談もほどほどにしていただきたい」



 思わず悲鳴をあげそうになって、なんとかこらえた。


 こんなにもぞっとする……怒った父さんの声を、聞いたことがなかったからだ。



「ノアは僕の息子です。こどもを産ませる道具ではありません」

「言ってくれるじゃないの……7歳にもなって性徴のない落ちこぼれの使い道なんて、それくらいしかないのに!」



 付き人の女性が、夜を引き裂くような金切り声を上げる。



「アドリーシャ、聞こえなかったか。ノアは道具じゃない。『使い道』だなんて言葉は適切じゃない。それがわからないようなら、僕と君は一生わかり合えない」

「あり得ない……あなたこそ異常よ、クロウ……たかだか人間の女を、それもたったひとりを愛するなんて、はしたないわ!」

「僕のことならなんとでも。でも、彼女とノアのことを悪く言うようなら、ただじゃおかないよ」

「っ……堕ちるところまで、堕ちたわね……好きにすればいいわ!」



 いくら非難されても、父さんは動じない。


 俺とおなじサファイアの瞳で、向き合ったふたりを、じっと見据えるだけだ。



「聖女を手篭めにしたのは評価するが……能天気に子育てをしている場合ではないぞ。われら一族は男が産まれにくい。くわえて、女も子を孕みにくくなった。そなたが種をまかなければ、遅かれ早かれ、一族は滅ぶ」

「滅ぶか、滅ぼされるか、ですか。望むところですよ。結末ってやつを、見届けてやります」

「女とまぐわって英気をやしなえば、そなたひとりで、神殿の連中を皆殺しにできように」

「いまは亡き彼女への裏切り行為です。いかなる理由があろうとも、不義密通はいたしません」

「……酔狂なことよの」

「おかまいなく。ノアは、僕が守ります」



 父さんがなにを話しているのか、なにが起きようとしているのか。


 こどもの俺には、わからなかった。


 ……無知で無力な俺は、いそいでベッドに戻って、なにも見なかったフリをすることしか、できなかったんだ。



  *  *  *



「見つけたぞ! 聖女さまを慰みものにした悪魔め! 死をもって償うがいい!」



 それから数ヶ月後、平和だった日々が突然壊される。


 あたり一面は、赤、赤、赤。



「走れっ、ノア!」

「おとうさん! やだ……やだぁ!」



 どす黒い煙の立ちこめる夜を、血のように真っ赤な炎が煌々と照らしている。


 どんなに泣きじゃくって、すがりついても、父さんは声を張り上げて、俺を引き離そうとするんだ。



「行きなさい! 絶対に、立ち止まるな!」

「おとうさん、いやだ、おとうさぁあんっ!」



 突き飛ばされるようにして、訳もわからず泣き叫びながら、がむしゃらに走り出す。



「立ち止まるな……どんなに辛くて、苦しくても、諦めるな。『悪魔』じゃなくて、ノアのことを見てくれるひとが、きっといるから……」



 大好きな笑顔を、真っ赤な怪物が飲み込んでゆく。



「負けるな。幸せに、なるんだよ……ノア。愛してる」



 なにもかもを失ったあの夜のことを、何度も何度も、夢に見る。



 俺が産まれたときから独りだったなら、こんなに哀しいことはなかっただろう。


 物心ついたときから理不尽の中にいたなら、感情というものに乱されることはなかっただろう。


 ……愛されたから、独りでいるのが、死にたくなるくらいに寂しいんだ。



 この心のすきまを、一体だれが埋めてくれる……?


 いや、そんな存在なんか、現れるわけない……




「きみ、こんなとこで寝てたら風邪引くぞ? 起きろー、おーい」




 現れるわけ、なかったのに。


 きみは、落ちこぼれで独りぼっちの俺を、見つけてくれたよね。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ