*70* 魔物は嗤う
「……やった、か……?」
「コカトリスを、倒した……すごい、すごいよノアっ!」
「そう、か…………よかったぁあ!」
張り詰めた緊張の糸が途切れたんだろう。ノアががくりとひざからくずれ落ちた。
「ノア、大丈夫!?」
膨大な魔力量を誇るノアも、魔力を使い果たしたみたいだ。
「はは……ちから、はいらないや……そういえば、朝ごはん、たべてなかったかも」
「ノアっ!」
へにゃっと破顔したノアを見たら、安堵から無性に泣けてきちゃって、わっと抱きついてしまう。
「リオ……俺の力で、みんなを守れた、よね」
「うん、ありがとう……ノアがいてくれて、よかった……!」
正直もうだめかも、死ぬかもって思った。
でも生きてるんだ。ぎゅうっとノアの首にしがみついて、苦しいくらい抱きしめ返されたら、夢じゃないんだって実感できる。
「感動の抱擁をしているところ、水を差すようで申し訳ないが」
「……お父さん?」
やっと終わった。そう思っていたのに、わたしたちに声をかけてきたお父さんは、腕を組み、神妙な面持ちで。
ピシピシ…………パリィイン!
ガラスが割れるような音を立てて、お父さんのバリアが消え去ったとき、わたしは衝撃的な光景を目の当たりにする。
「ギギ……ヒギ…………ケケケケケッ!」
コカトリスたちが、激しく痙攣し、奇声をあげながら起き上がる光景だ。
「……そん、な……うそ、でしょ……」
確実に致命傷は負わせた。なのに、なんで……
「化物かよ……くそ……」
ぐっと唇を噛みしめたノアが、かばうようにわたしを抱きしめる。
だけど、ノアの腕には、さっきまでの力強さがない。激しく体力と魔力を消耗したせいで、手足に力が入らないんだ。
「ケケッ……ケタケタケタ……」
あり得ない方向に翼が曲がり、ぎょろりと目玉の飛び出したコカトリスたちが、どす黒い血を流しながら、千鳥足で近づいてくる。
この世のものとは思えない不気味な嗤い声が、一瞬にしてわたしを恐怖のどん底へ突き落とす。
……だめだ。
(怖がってる場合じゃない、なんとか、しないといけないのに……!)
わたしの意思とは裏腹に、わたしの手足は思うように動いてはくれない。
「まったく、手をわずらわせてくれる……愚かな」
深くため息をついたお父さんが、おもむろに十字架を取り出す。
そして、ふたたび天に向かって祈りが捧げられるよりも先に、スパァンと、コカトリスの首が飛んだ。
「…………え?」
わたしは呆然として、ふき上がる血しぶきをながめる。
「おや……これは」
十字架をかかげる手を止めたお父さんは、声にわずかなおどろきをにじませる。
「少々、遅刻してしまいました」
やわらかな声が聞こえた。
でも、どうしてだろう。聞き慣れたはずのその声を耳にして、身ぶるいしてしまったのは。
「……エル……?」
問いかける声がか細く消え入りそうになったのは、突然あらわれた彼が、わたしの知る彼とまったく違う雰囲気をまとっていたからだ。
手にした白銀の剣を振り、ピ、とコカトリスの血を飛ばした彼が、わたしをふり返り、蜂蜜色の瞳を険しく細める。
「ほほに怪我をしていますね、リオ」
「……あ」
言われてみれば、右のほほがピリピリ痛いような。
コカトリスの風攻撃を受けて、切れたのかな。かすり傷程度だけど……
「リオを泣かせたのも……あなたがたですか?」
コカトリスに問いかける声は、凍りついたような寒々しさだ。
間違いない。彼が……エルが激怒している。
「ふふっ……では、お望みどおり切り刻んでさしあげましょう。塵も残らないほどに」
いっしょに過ごすうちに、エルを知ったような気持ちになっていたけど、そんなのわたしの思い違いだった。
だって、知らなかったの。
いつもほほ笑んでいるエルは、激怒したときも、わらうんだってこと。
「乱れ舞いなさい──『聖花剣』」
エルがうっそりと笑みを浮かべた刹那、ぶわりと、強烈な甘いにおいに襲われる。
「さぁ──『花葬』を、はじめましょうか」