*64* 鐘の音が鳴る
「事情はわかったけど。それで、なんでおまえは、あんなに傷だらけになってたの?」
そうノアが問いかけたとき、はしゃいでいたユウヒが、ふっと笑顔をひそめた。
ブルームへやってくる前に、目にした惨状。わたしだって忘れたわけじゃない。でも。
「言いたくなかったら、言わなくてもいいんだからね? ユウヒ」
あれほどの致命傷を負わせられたんだ。ユウヒにとって、嫌な記憶であることは間違いないから。
「……ううん、へいきです。ユウヒ言えます」
いつの間にか、ここにいる全員の足が止まっていた。
静まり返った庭園で、しばらく。意を決したようにユウヒが口をひらく。
「ユウヒはもっと山の奥の、おっきな沼のそばで暮らしてました。そしたら、いきなりモンスターにおそわれたんです」
「ドラゴンを襲うとなると、かなり高ランクのモンスターじゃない?」
「そんなのじゃないです。よく見るモンスターです」
「どういうこと?」
「ユウヒもよく、わからないです……いつもなら、ちょっとおどかしたら逃げてくんですけど、ユウヒが追いはらっても、追いはらっても、噛みつかれて、引っかかれて」
「結局、そのモンスターたちは?」
「……しかたなく、燃やしました」
ノアの質問に、落ち込んだ様子で、ユウヒがつぶやく。
ユウヒは、とても心優しい性格なんだと思う。
お花やちょうちょが好きで、はじめて会ったときも、攻撃的な商団ギルドのメンバーに反撃をためらっていたことからもわかる。
正当防衛だとしても、モンスターたちを倒してしまったことを悔やんでる。優しすぎるんだ。
「くわしいことは、よくわからないですけど……なんか、やな感じがしました。ずっと前から山にすんでたモンスターが、いきなり凶暴になった、みたいな」
「……ほう」
ユウヒの言葉に反応したのは、エルだ。
すっと蜂蜜色の瞳を細め、なにやら考え込んでいる。思い当たることがあるひとの反応だった。
エルほどじゃないけど、ユウヒの話を聞いて、わたしも気になることが。
「突然凶暴化した──似てますよね。ブルームの街を襲うモンスターと」
「えぇ。僕が先日討伐に参加した範囲内でわかることでも、ユウヒさんのお話と一致する点が数多くあります」
「たとえば?」
「まず、街を襲ったのは低級モンスターだということ。種族は一定でなく、さまざまなモンスターがいましたが、いずれにも共通することがひとつ。我を忘れて、狂ったように暴れていたということです。僕が足を切り落とそうが、全身を切り刻もうが、おかまいなしに襲ってきました」
「そんな……」
エルが血まみれで帰ってきたのは、いくら攻撃しても、モンスターたちが反撃してきたから。
「痛みを感じていないようでした。そもそも、痛みに怯むほど自我があったかすら、さだかではありませんが」
最近になって、急に低級モンスターたちが凶暴化した。本来ではあり得ないくらい、獰猛に。
ブルームの現状に、ユウヒの話。とてもじゃないけど、偶然の一致とは思えない。
「このあたりは、やな感じがします。それでユウヒ、あるじさまも怖い目にあったらって思ったら、がまんできなくて、追いかけてきたんです」
わたしのローブの裾をきゅっとにぎって、いまにも泣きそうなユウヒを前にしたら、もらい泣きしそうになる。
「わたしを心配してくれたんだね。ありがとう、ユウヒ」
「あるじさまぁ……!」
とうとう感極まって、ユウヒを抱き寄せる。
ぎゅうっと抱きしめ返してきたユウヒの体温は、ふつうの人間より高くて。熱いくらいのそれが、じんと胸にまでしみわたる。
「どうやらこの件は、僕たちの予想以上に、根深い問題があるようですね。各ギルド関係者をあつめて、対策会議を──」
ゴーン、ゴーン、ゴーン。
前触れもなく、鐘の音がひびきわたった。次の瞬間、エルがはじかれたようにふり返る。
「南の城門の方角……これは、モンスターの襲撃をしらせる警鐘です!」
「うそでしょ!? まだお昼にもなってないですよ!」
モンスターは夜にしか襲ってこないんじゃなかったの?
わたしが焦りを隠せないなか、城内のほうからも、だれかが指示を飛ばす声や、走り回る足音が聞こえはじめる。
「ただちに、街のひとびとの避難誘導が必要です。リオ、僕は出撃可能な冒険者のみなさんと街へ向かいますので、あなたは城内で待機を」
「……はい」
「ノアくん、きみは」
「俺はリオの助手だからね。そばを離れないよ。それに、もしあんたがヘマしても俺がリオを守るから、安心して」
「僕がいないあいだ、よろしくお願いします」
「ユウヒも! ユウヒだって、あるじさまの盾くらいにはなれますぅ~!」
「心強いドラゴンさんです」
この緊急事態でも、エルは冷静だ。
どうなってしまうのか、不安がないわけじゃない。けど、だめだ。
「お気をつけて」
エルは強い。負けない。わたしが信じなくてどうするの。
ふいにエルの右手が伸びてきて、わたしのほほにふれる。
直後にこつんと、おでこがくっつけられた。
「断言します。いまこの瞬間、僕の勝利が確定しました」
最後にそう言って、エルはほほ笑む。
ふわりと、花がほころぶような笑みだった。