*48* ふれあいの意味
「いたっ……んぅうっ!?」
ぐるりと視界がまわったかと思えば、背中に衝撃。立て続けに、うめき声をあげた唇をふさがれてしまう。
無理やり振り向かせてきたノアに、石造りの壁に押しつけられ、噛みつくようなキスをされていた。
いや、実際噛みつかれていたんだろう。インキュバス特有の鋭い牙が角度を変え、深さを変えて、ピリッとした痛みをともなって、何度も何度もわたしの唇を甘噛む。
「ふぁっ……ノア……んんっ!」
「っは……ん……んっ……」
ぬるりと口内へ侵入した肉厚の舌が、あっという間にわたしの舌を絡めとり、ざらざらとした表面をこすりつけてくる。
わたしを責め立てるような呼吸のうばい方だった。口のなかを這いずりまわる熱いものに唾液をかき混ぜられ、もうなにがなんだか。
「……はぁっ! ……っは、は……ふぅう……」
ようやく唇を解放されたときには、息も絶え絶え。
ぐったりと壁によりかかっていたら、たぶん唾液が垂れているだろう口の端を、ちゅうっと吸われた。
「はぁ、はぁ……ノア、なんで……?」
「わかんない……そんなの、俺がききたいよ」
ノアはこれまで、わたしの嫌がることは絶対にしてこなかった。
だからこそ、強引にキスされた事実を、いまだに脳が処理できていなかった。
困惑するわたしを腕に閉じ込めたまま、わたしの肩にもたれかかってきたノアが、しぼり出すような声音でつぶやく。
「ぎゅってくっついて、リオとキスしたら、しあわせな気分になる……なのに、なんで? 胸がモヤモヤして、たまらないんだ。ひとを好きだって気持ちは、しあわせなことなんじゃないの? なんで……こんなに、いやな気持ちになるの? ねぇ教えてよ、リオ……」
お人形みたいにととのったノアの顔が、悲痛にゆがむ。
こぼれ落ちそうなサファイアの瞳には、ゆらゆらと水の膜が張っていた。
(わたしがエルといたから、機嫌が悪くなって……これって、もしかして……やきもち?)
ノアがエルに嫉妬してるってこと。
つまり、ノアがわたしに、独占欲を感じてる……
それほど、わたしを好きでいてくれてるってこと。
(……あぁもう……わたしのばか、ばかばかばか)
近所のお姉さんに憧れてる感じとか、恋に恋するお年頃だとか、なにを根拠にばかげたことを。
「ごめん、ノア。……ほんとうに、ごめんなさい」
そりゃあ年下の男の子だよ。精神年齢なんかひと回り以上も離れてる。
けど、だからって、これは軽くあしらっていい問題じゃない。
「ノアがこんなに好きだってつたえてくれてたのに、わたし、気持ちを全然受けとめてあげられてなかったね。ごめんね……」
見て見ぬふりはだめだ。
言葉をつまらせながら、わたしもつたえる。
ずっとむかし、こころの奥底に押し込んでしまった、『リオ』の記憶を。
「……わたし、だれかに愛されたことがなかったの。三歳のころに……お父さんに、気味が悪いって、捨てられたから」
頭上で、はっと息をのむ気配がある。
そうだよね。お父さんに愛されてのびのびと育ったノアには、ショックな告白かも。
「家族にすら愛してもらえなかったわたしが、ほかのだれかに愛されるなんて、考えもしなくて、自信もなかった。だから、ノアの気持ち、ちゃんと理解しようとしてなかった。ごめん……」
いたたまれなくてうつむいちゃったから、ノアがどんな表情をしているかはわからない。
ただ、ローブのすそをにぎりしめた手に、そっとふれる手がある。
わたしの手をすっぽりつつみ込んでしまう、大きな手のひら。男の子の手のひらだ。
「もういいよ。……俺のほうこそ、じぶんの感情ばっかぶつけちゃって、ごめんね。リオがどんな思いをして生きてきたか、よく知りもせずに……わがままばっかり」
ちゅ、とくすぐるように目じりにキスを落とされてはじめて、涙がにじんでいたことに気づいた。
「ねぇ、リオ……だれかを好きな感情って、しあわせな気持ちだけじゃないんだね。さびしくて、苦しかったり、切なかったりする……それでも、そばにいたいって想いは変わらない。不思議だよね」
だからね、と、おでこをふれあわせたノアは、これまで見たことがないやさしい表情だった。
「俺、世間知らずだし、頼りないところもあるかもしれない。でも、リオを想う気持ちはだれにも負けない自信があるよ」
「ノア……」
「そばにいるよ。なにがあっても、俺はリオを、愛してる」
……あぁ、もう限界だ。
そう感じたときには、手遅れで。
「これが恋の病ってやつなら、もう手遅れだよ。たとえ神さまの怒りを買ったってリオのとなりに居座るつもりだから、覚悟して」
「……あははっ、すっごい強気な意気込みだ」
わたしもノアも、どっちも手遅れなら、がまんすることなんてないよね。
「反則だよぉっ……!」
こらえていたものが、目頭から一気にあふれ出す。
泣き崩れそうになるわたしを、ノアがぎゅうっと、力強く抱きとめてくれる。
「俺の気持ち、信じて。俺を信じて、リオ」
そうだよ。ノアはずっと、気持ちをつたえてくれてたじゃない。
あぁ……わたしも、愛されてたんだね。
「ありがとう……ノア……っ」
きみが好きだというわたしを、わたしもすこし、好きになってみたくなったよ。
ノアがにっとはにかんで、かたちのいい唇を寄せてくる。
しっとりと吸いつくようなキスを、わたしもノアの背に腕をまわし、自然と受け入れていた。
ふれたのは、まばたきをするほんの一瞬。
わたしのなかにあるものを根こそぎうばいとったり、責め立てるような口づけじゃない。
魔力供給をともなわないキス。
それは、たがいのぬくもりをたしかめ合う、愛しさに満ちあふれたふれあいだった。
「リオ。──愛してる」
あぁもう。
とどめのひと言なんか、くれなくたっていいのに。
認めるよ。
わたしはとっくに、きみに絆されてる。