*42* オンかオフならもちろんオフで
「リオ」
「……っ」
名前を呼ばれたのは、完全に不意討ちだった。
ばっと顔をあげれば、夕暮れのバルコニーに、ミルキーホワイトの髪をなびかせたエルのすがたが。
「あ、エル! みなさんはどうでした?」
「傷がきれいさっぱり治ったので、おどろかれていましたよ。やっぱり、リオはすごいですね」
「ほめてもなんにも出ないですよ~」
「ほんとうのことですよ。お部屋にご案内し終えましたので、みなさんも、これでごゆっくりお休みになられるかと」
そこで、ふわりとほほ笑むエル。
「今日はおつかれさまでした。これからいっしょに、夕食でもいかがでしょう」
わざわざ呼びに来てくれたらしい。手を差しのべる仕草が、どう見ても王子さまなんだよなぁ……と苦笑する。
わたし、お姫さまなんかじゃないのに。
「ありがとう。せっかくなんですけど、お気持ちだけ。今日は、部屋でゆっくりしたくて……」
一日のうちに、いろんなことがあったしね。
ひと仕事終えてほっとしたら、疲れが出てきたみたい。
「ノアくんですか?」
「……え?」
「とても仲睦まじいですよね。ほんとうの姉弟のようです」
「そう見えます……?」
「えぇ。ノアくんのことを、弟のように可愛がっているじゃありませんか」
唐突にノアを話題に出され、まぬけな顔をしているだろうわたしを見つめて、エルは笑みを深める。
「すくなくとも、恋人に対する態度ではない。あなたは……ね」
「えっと……」
「いまあなたのそばにいるのは、彼。……僕と彼、いったいなにが違ったのだろう」
エルはいま、なにを言おうとしているのか……
「なぁんて、終わったことをふり返っても、しかたないですよね。僕は、いまの僕ができることをやろうと思うんです」
どう返事したものか迷っているうちに、おどけたエルが一歩、近づく。
「じっとして」
おもむろに、しなやかな腕が伸びてくる。
思わず身構えてしまったけど、早とちりだった。
すこしして、くすくすと、笑い声が頭上にこぼれる。
「大丈夫ですよ。ほら、目をあけて」
「え? ……あ」
エルに声をかけられ、まぶたをひらいたタイミングで、なにやら首もとに違和感があることに気づく。
まばゆい白銀のネックレスチェーンは、ゆったりとしたオペラ。みぞおちあたりにペンダントトップがくる長さだ。
ネックレスチェーンとおなじ白銀の雫型ペンダントが、わたしの胸もとで輝いている。
「僕からのプレゼントです。受け取ってください」
「プレゼントって……これ、プラチナじゃないですか!?」
「えぇ。ロケットペンダントです。ロケットのなかには、連絡用水晶が埋め込まれています。僕とおそろいですよ」
にっこりと笑みながら、シャツの襟もとから、まったくおなじデザインのペンダントを取り出してみせるエル。
ここでようやく、エルの意図を理解した。
「さびしいことに、リオのそばにいられないことが多々ありますから……でも、このペンダントに僕個人の魔法番号を組み込んでいます。一瞬で連絡がとれますよ」
スマホか。
「通話だけじゃなく、映像記録機能もあるんですよ」
スマホだな。
「ちなみにエル」
「はい?」
「このペンダント、位置情報を第三者に通知する機能とかもあったりします?」
「ありますね」
「やはりか」
「初期設定では位置情報通知がオンなので、あなたのお好きなようにオフにしていただいてもかまいませんからね」
「きいててよかった」
エルっておだやかで、おっとりしてるくらいなのに、けっこう抜け目ないよね。
さらっと笑顔で、とんでもないことやってのけるというか。
うん、あとで忘れずに位置情報の通知、オフにしとこ。プライバシー大事。それはそうと。
「ぜったい高価なものですよね……なんか申し訳ないです」
「そう気負わずに、お気軽にご連絡くださいね。リオからなら、どんなご用件でも大歓迎です」
「あはは。エルを呼びつけるとか、わたしどんだけえらい人なんですか」
エルの気遣いが、素直にうれしい。
くすぐったくすらあって、冗談まじりに返せば、エルがふわりと、笑みをほころばせて。
「おや、リオ、髪が」
とても自然な仕草で、わたしの顔にかかる髪を、さらりと背のほうへ流してくれた。
「あ! ありがとうございます!」
せっかくもらったネックレスチェーンに絡まらなくて、よかった……
とかなんとかホッとしていたわたしは、のんきなものだったと、すぐあとに知る。