*38* まさかのパターンに絶句
「わーお、絶景だねーえ!」
気がついたら、青空と、だだっ広い庭園の景色がひろがっていた。
「ってあらら? リオちゃん大丈夫? おーい」
草むらにへたり込んで呆然としていたら、長いおみ足を曲げてかがみ込んできたヴァンさんに、ツンツンとほほをつつかれる。
「ポカンとしちゃって……かーわいっ!」
「むぐっ……」
そうこうしていたら、ぎゅむっと抱きしめられた。
「はなっ、はなしてください……!」
「はー、小動物みたいでかわいいなー、エルにはもったいないや。私がお嫁さんにもらいたいくらい」
「だから、意味がわかりませっ……!」
ジタバタと抵抗していたときだ。
熱烈ハグをしてきたヴァンさんの胸を押し返そうとして、『あること』に気づく。
「…………えっ?」
まぬけな声がもれた。
しかたないでしょ。だって……
そのときだった。石のように固まったわたしの背後で、ヒュオオ……と風が渦巻く。
直後、まばゆい閃光がはしり、突風が吹きおろす。
「──気はすみましたか?」
いまとなっては、聞き慣れた声がした。
おだやかなトーンに、どこか底冷えのするオーラをまとわせていたけれど。
ついさっきわたしたちがテレポートしてきた場所に、ミルキーホワイトの髪をなびかせた美青年がたたずんでいる。
「あらまぁ……お早いお越しで。てゆーか早すぎでしょ? さては商団ギルドの臨時ポータル使ったな」
「リオの位置情報は把握しています。ためらう理由がありませんね」
「はっ、まさかハンカチに細工してたな!? やだー、ストーカーだー! リオちゃーん! いますぐそのハンカチ捨てたほうがいいよー!」
「誘拐犯にストーカー呼ばわりはされたくないですね」
この際だからいうけど、わたしは戦慄していた。
なぜなら、エルが真顔だったから。
いつもにこにこと笑顔だった、あのエルが、だ。
「あなたの自由奔放なふるまいには寛容でいたつもりですが、さすがに度をこえています」
サク、サクと草むらを踏みしめながら歩み寄ってきたエルが、わたしを抱いたヴァンさんを見おろして、にっこり。
ただし、蜂蜜色の瞳はみじんも笑っていない。
「愛人いじめがお好きとは、ほんとうに意地が悪いですねぇ……奥さま?」
そのひと言が、すべてを物語っていた。
「あはっ」
茶目っけたっぷりにおどけてみせたヴァンさんが、右手の中指にはめた指輪をはずす。
「そう怒らなくてもいいじゃない」
次に聞こえてきたのは、ハスキーだけど、女性みたいに高い声だった。
いや、『みたい』じゃない。
突風で脱げたフード。なびく藍色のポニーテール。
細い輪郭線に、ぷっくりとしたくちびる。
瞳は鮮やかなマゼンタで、うすくチークを散らした左の目もとに、泣きぼくろ。
「笑顔で人が殺せるわよ、私の愛しのエル?」
間違いない。
ヴァンさんは、女性だったんだ。
だって、さっき押し返そうとしてふれた胸が、やわらかかったんだもん。
「貴婦人ともあろう方が、変声の魔法具を使って男装してまで各地を放浪しているだなんて、だれが予想できますかね」
「あら、そんな私の愛人に立候補したのは、きみでしょう?」
「ビジネスパートナー、です。お間違いなきように」
「つれないわねぇ」
「……えぇっと」
ヴァンさんは女性で、エルが愛人で。
ということは、つまり……
「んふふ、びっくりさせちゃったわね。あらためて、私はヴァネッサ・カーリッド。お会いしたかったわ、リオちゃん?」
そういうことに、なっちゃうよね……!
──ヴァネッサ・カーリッド。
彼女こそ、エルをひろったという、カーリッド家の奥さまなのです。