*37* わたし、誘拐される
「すみません、ありがとうございます!」
気恥ずかしさからせわしなくペコペコと頭を下げながら、お礼を言う。
だけど、差し出した手に、一向にハンカチがもどってこない。
「へぇ……これはこれは」
つまんだハンカチをまじまじとながめていた男性が、わたしに向き直る。
フードの影に隠れていない口もとに、ニヤリといたずらっぽい笑みを浮かべて。
「返してほしいかい、お嬢さん?」
……面倒なことになりそうな気配を察知。
「それは、もちろん……?」
強ばった様子でうかがえば、「ふはっ!」と可笑しげに吹き出された。
「じゃあ、クイズを出そうか。光魔法で連絡先を刻んだ純白のシルクのハンカチを、異性に贈る理由。お嬢さんは知っているかな?」
「聞いたことないですけど……」
「はは、素直でよろしい。じゃあ、質問を変えよう。このハンカチを贈ってきた『彼』について──そうだな、きみが『好きだ』と思う点を、みっつ挙げて。そうしたら、これを返してあげるよ」
「えぇっ!?」
なに、なんなのこの状況。
見ず知らずのひとに、エルの好きなところを挙げろって半ば強制されている状況、激しく意味がわからないんですけど。
「あんた、さっきからなんなの、リオに近づかないで!」
「私? 怪しい者じゃないよ」
「見るからに怪しいだろ!」
わたしを背にかばったノアが、男性に向かって威嚇する。一歩間違えれば、魔法をぶっ放しそうな勢いだ。
「ふむ、答えてくれないならしかたないねぇ……」
男性がほっそりとしたあごをなでさすった、次の瞬間。
「いっしょに来てもらおうか、お嬢さん?」
「へっ……」
足音が、なかった。ほんとうに一瞬のことだった。
まばたきのうちに回り込んできた男性に、腕をつかまれていたんだ。
「ちょっ……あのっ!?」
「大丈夫大丈夫、面白いもの見せてあげるだけだからー」
「なっ……待て! リオを離せっ!」
ハッと我に返ったノアが、ものすごい形相で追いかけてくる。
でも男性は一切慌てた様子もなく、からからと笑いながら、わたしを受付横のスペースまで連れてくる。
連絡用の水晶が置かれた、セパレートタイプのカウンターだ。
「あ、これはもう返しておくね」
このタイミングで、シルクのハンカチをにぎらされる。
「あの……」
「ちょっと待っててね」
男性はそう言うと、わたしをうしろから抱き込むかたちで、ペン立ての羽ペンを手にとった。
そのまま水晶の手前に置かれたダイアリーサイズの番号帳をひらくことなく、さらさらと、空中にペン先をすべらせる。
ぽうっと浮かび上がった十一桁の魔法番号が、発光しながら、くるくると水晶へ吸い込まれていく。
──パァアッ。
まばゆい光のあとに、水晶が、ミルキーホワイトの髪の青年の映像を映し出した。
『はい、エリオルです──』
「や、元気にしてる?」
右手を挙げた男性が親しげに笑いかけたすぐあと、エルがにっこりと笑みを凍らせる。
『……どうしてあなたが、リオといっしょにいるんです、ヴァン』
「どうしてだと思う?」
『またよからぬことを考えているんでしょう』
「はは、それじゃあ、私が言いたいことはわかるね?」
『そうですね、不本意なことに』
ふたりは知り合いなの……?
そのわりには、エルの目が笑ってないけど。
どこか冷めた態度でエルが男性に接する理由を、その直後、知ることとなる。
「というわけで! きみの愛しのハニーは、私がいただいた!」
「……うん?」
「さぁ、そのおすましイケメンフェイスを焦りに焦らせて、助けにきてごらん! この私が、カワイコちゃんになにをするかわからないよ!」
「えっ、ちょっ」
『覚えておきなさい、ヴァン』
「楽しみにしてる、アデュー!」
プツン。
男性のひと声で、水晶の通信は一方的に切られた。
「どういうことですか!?」
「ふっふっふ……エルのやつに一泡吹かせるのに協力してもらうよ、可愛らしいお嬢さん。私のことは気軽にヴァンと呼んでちょーだい!」
「意味がわからないんですけど!? はっ、はなしてくださいー!」
「はーい暴れない暴れなーい!」
きゃあきゃあと悲鳴を上げるわたしもなんのその。
男性──ヴァンさんは、わたしをひょいっと抱き上げてしまう。
まって、これって俗にいう、お姫さまだっこでは!?
「おいっ、リオを離せ──」
「臨時ポータルって地下一階にあるんだっけ? よぅし、行っくぞーう!」
「おいっ!!」
駆けつけたノアのこともひらりとかわして、ギルド内を疾走するヴァンさん。
「ひぇぇ……!」
速い速い速い、めっっっちゃ足速い!
階段も手すりから手すりへ飛び移って、パルクール選手か!
めまぐるしくひっくり返る天地に、目をぎゅっとつむるしかないわたし。
──とん。
そのうちに、内臓が浮いたような浮遊感がなくなって、重力がもどってくる。
(止まった……?)
恐る恐る目をあけると、薄暗い部屋に青白く浮かび上がった魔法陣と、あんぐり口をあけたローブすがたの魔術師さんが、目の前に。
「お姫さまのお通りでーす。失礼っ!」
言うだけ言ったヴァンさんが、わたしを抱えたまま、魔法陣へ飛び込む。
目がくらむほどの光につつまれて、それからのことは、覚えていない。