*34* 別れはおとずれるもの……ちょっと待って泣く
旅の途中、大怪我をしたワイバーンを治療したら、懐かれた。
ざっと現状を説明すると、こんなもんだ。
「うぅむ、困ったぞ!」
「クゥン……」
ワイバーンの長い首にガッシリホールドされていて、身動きが取れない状態。
かれこれ十分くらいはほおずりをされている。飽きないね、きみ。
まるで犬みたいに甘えてきますね。見た目めっちゃ爬虫類だけど。
「ちょっとそこの赤トカゲ、いつまでもリオにベタベタしてると、水責めにするよ……?」
「ノア!? おねがいだからやめてね!?」
あわてて叫んだら、ノアの手のひら上に浮かび上がっていた青い光の魔法陣がふっと消滅して、ため息が聞こえた。
「ともかく……いっしょに連れていくわけにもいかないでしょ。どうするの?」
「うぅ……」
ノアの言わんとしていることは、わかる。
(好意を示してくれている子を引き剥がすみたいで、いやだけど……)
この山の中で、ずっとじゃれているわけにはいかない。
だからこそ、ワイバーンの首に手を添えて、対話という方法をえらぶ。
「ねぇ、この先にある、ブルームって街を知ってる? わたしたちね、そこに行こうとしていたところなの」
直感だけど、このワイバーン、わたしが思うよりずっと賢い。
わたしが話しかけるとほおずりをやめて、耳をかたむけるように、じっと視線を合わせてきたからだ。
知性を感じさせるエメラルドのような瞳。鮮やかなクリムゾンレッドのからだに映える、澄んだ深緑の瞳だった。
「ブルームでは最近凶暴なモンスターが出没するようになって、怪我人がいっぱい出てるの。だからわたしたちも、きみのこと誤解して、ひどいこと言ったり、攻撃しちゃった。ごめんなさい」
はたから見たら、たかがモンスターになに言ってんだって感じだろう。
でも『たかがモンスター』じゃない。この子は、わたしの言葉をちゃんと聴いて、理解してくれる。
不思議とそんな確信があった。だからわたしも、素直な気持ちで事情を話すことにしたんだ。
「わたしを信じてくれて、ありがとう。なんか物好きな人間がいたなぁって、きみの記憶にちょっとでも残ったら、うれしいな」
ほほに手を添えるみたいに、両手を伸ばして、ワイバーンの顔の両側にふれる。
「わたしの治療を必要としてるひとがいるの。もう行かなきゃ」
ね、と笑って、おでこをくっつける。わたしの身長だと、ワイバーンの眉間に顔を寄せているような体勢になった。
「きみはもう大丈夫。どこでも飛んでいけるよ」
伝えたいことは、伝えられたと思う。
どれくらいそうしてたかな。ワイバーンにおでこをくっつけてたら、ぽたぽたとローブの袖を濡らすものを感じた。
「えっ、なにっ……ちょっ、きみ泣いてるの!?」
見間違いじゃない、ほんとうにワイバーンが泣いていたんだ。
エメラルドの瞳から、ぼろぼろと、大粒の涙がとめどなくあふれている。
変なこと言ったかな? あわあわしていたら、長い首を垂れたワイバーンが、ぐりぐりと脳天をわたしに押しつけてきた。
『離れたくない』ってすがられてるみたいで、わたしもつい、もらい泣きしそうになる。
「……じぶんの好きなように生きて。せっかく生まれたんだから、楽しく生きなきゃ損だよ」
ワイバーンの頭を胸に抱え込み、手のひらでなでる。
声がちょっとふるえちゃったのは、勘弁してね。
しばらく抱きしめたら、意を決して、腕をほどく。
ゆっくりと首を持ち上げたワイバーンは、いまだにエメラルドの瞳をゆらめかせていたけど、もうわたしのローブを引っ張るようなことはしない。
「ばいばい!」
最後は笑って、背を向ける。
ひゅうっ……
ふいに背後から吹き抜けたそよ風に、やさしくほほをくすぐられたような、そんな気がした。
* * *
「大丈夫ですか?」
馬に揺られるわたしの頭上から、問いかけがある。
見上げれば案の定、蜂蜜色の瞳が、わたしをいたわるようにのぞき込んでいた。
「なにがですか?」
「ワイバーンが、あなたが見えなくなるまで、ずっと見つめていたので」
「それは言わない約束ですよ、エル」
苦笑しながら、視線を正面に戻す。
黒馬のたてがみが風になびくさまを前にしながら、エメラルドのまなざしが、まぶたの裏に焼きついて離れない。
「あの子を助けたのは、わたしのわがままです。従えたかったわけじゃないんです」
傷ついて、苦しんでいるのを、放っておけなかった。
わたしは、わたし自身のこころの声に従っただけ。
「あなたはつくづく、僕の予想を超える行動をしますね。涙を流すワイバーンも、はじめて見ました」
「なに言ってるんですか」
わたしより年上で物知りなエルにも、知らないことがあったんだね。
「そりゃ泣きますよ。わたしたちとおんなじで、生きてるんですから」
一瞬の沈黙。それから、くすりと笑みが聞こえて。
「そうですね。ワイバーンも、あなたの底抜けなやさしさに救われたことでしょう。……僕がそうであったように」
「エル?」
「さぁ、そろそろですよ」
半音高くなったエルの声に、呼びかけようとしたタイミングを見失ってしまった。
景色は砂利だらけの山道から、緑豊かな丘の上へ。
「わぁ……!」
眼下には、石造りの壁に囲われた広大なパノラマが。
「ブルームに到着です」
馬上の旅が、終わりを告げようとしていた。