*33* 長いモノにジャストフィット
「わわっ……たっか……」
うずくまったワイバーンの背にのぼっただけでも、三メートルはありそう。落ちたらやばいな、こりゃ。
ただ、もし足をすべらせても、ノアくんあたりが風魔法で助けてくれそう。すごいもん、視線の圧が。
「さぁて、やりますか」
気合いを入れて向かうのは、いちばん損傷の酷い箇所──左の翼だ。
やっぱり、付け根の出血が深刻だ。ドプドプと、リットル単位で垂れ流しになっている。このままじゃ失血死しちゃう。
「癒やしの灯火よ──『フレイム・エイド』」
創部に右手をかざし、詠唱する。
これは、わたしが考案した治療用の火魔法。
血が止まらないなら、焼く。タンパク凝固作用で、止血するんだ。
ジュッ……
「グゥッ……!」
「きゃっ……」
びくんと、ワイバーンのからだが跳ねる。
わたしはとっさに首にしがみついて、なんとか落下せずにすんだ。
(鎮静剤を使っていても痛むか……)
そうだよね。こんなに深い傷を負ってるんだもん。
「大丈夫だからね、もうちょっとだよ」
「ウゥ……ァア」
ワイバーンのからだをなでさすり、声をかけながら、治療を再開する。
さいわい、出血は止まっていた。あとは、いまにもちぎれそうな翼を元に戻せれば。
マジックバッグから、褐色瓶を取り出す。
中には上級ポーション。これなら、折れた骨がくっつき、切断された手足も元に戻る。
手持ちは二本。だけど、栓を抜く手に迷いはなかった。
「治れ、治れ……治れ!」
目の前のいのちを助けなければ。
ただ、その一心だった。
* * *
「信じられない……」
だれかがそう言った。
同感だよ。わたしも、信じられないくらいぐったりしてる。
治療を終えて地面に足をつけるころには、ヘロヘロだった。
「やば……つい上級治癒魔法まで使っちゃった……」
それもこれも、なかなかくっつかなかった翼のせい。いや、意地になったわたしの自業自得ですけども、はい。
「うぇっ……」
今朝は決してすくなくない量のポーションを作ってたし、ひさびさのオーバーワークだ。あかん、リバースしてまう……だれか、モザイクもってきて……
「リオ!」
ところが、ふらっとよろけたわたしが地面と熱烈なキスを交わす前に、抱きとめられた。
「もう、無茶して……これくらいは多目に見てよ?」
「……んっ」
わたしを抱きとめてくれたノアのお顔がやけに近いなぁと思ったら、唇がくっついて、ふっ……と呼気を吹き込まれる。
一瞬のことだった。吐き気の波が引いて、頭がすっきりする。
魔力を注がれたんだって気づいて、目が覚めた。
「へっ……ちょ」
「リオ、無事ですか!」
「ふぁイっ!」
だめだ、変な声が出た。
「怪我はないみたいですね。よかった……」
「ご、ご心配をおかけしまして……?」
駆け寄ってきたエルは安堵の表情を浮かべるばかりで、そばにいるノアについては言及しない。
たぶん、運良く死角になってて、さっきの場面は見られてないんだと思う。そうだよね。そうだと思わせてくれ。
「あなたが治療をしているあいだ、気が気じゃありませんでした……」
整った眉じりを下げたエルが、おもむろに片ひざをつき、わたしの足にふれる。あっ、そういえば裸足のままだった。
エルがふところから高そうなハンカチを取り出すものだから、あたふた。
「エル!? わたし、じぶんでブーツはけ……」
「おとなしくしてください」
「へい……」
みなまで言わせてもらえなかった。
しょぼんと縮こまったわたしは、エルにされるがまま、極上シルクのハンカチに両足の土をぬぐわれ、手ずからブーツをはかされるという、公開処刑を執行されたのであった。
「リオさんがんばったのに、扱いがひどい……」
シクシクと人知れず涙を流していると、背中にものすごい視線を感じる。
ふり返れば、鎮静から覚醒したんだろうか、ワイバーンが首をかたむけ、わたしをじっと見つめていた。
「あっ、気がついた? 治療は終わったからね。傷はリオさんがキレイさっぱり治しました。もうのーぷろぶれむです!」
ぱたぱた、と翼を動かしたワイバーンが、なにやら考え込んでいる。
元通りになった翼を見て、まだ半信半疑みたいだ。
「あはは! 今日は安静にしてるんだよー」
じゃっ! と右手をあげて、背を向ける。そこまではよかった。
「……んっ?」
すぐに、異変に気づく。なんだろう、これ。
「あれれ、おかしいな? 前に進まないぞー?」
「リオ、後ろ! 後ろ見て!」
歩いてるはずなのに前に進まないなと思ってたら、ノアにそんなことを言われて指さされたので、ふり返る。
そしたら、ローブの裾を引っ張られていました。
ワイバーンに噛みつかれるというかたちで。
「へぁっ? ちょっ、何事…………あらぁ~っ!?」
うろたえているうちに、リオさん、なにやら長いモノに巻かれて、ずるずると引きずられます。
なんだ、なにが起きた。
わけがわからずポカンとしていると、ほほにツルツルしたものがこすりつけられる。
「……クゥ」
顔だ。わたしはなぜだかワイバーンの長い首に巻かれて、人間でいうほほに当たる顔の部分をこすりつけられていたんだ。
抜け出そうにも、ガッシリホールドされていて、それどころじゃない。
「えっ、えっ……?」
「クゥン……」
犬が飼い主に甘えるときみたいな鳴き声をもらしたワイバーンに、ほおずりをされているこの体勢。
激しく意味がわからないのに、恐ろしく居心地がいい。長い首にジャストフィットしてる。
ワイバーンの顔まわりの鱗って、案外やわらかいんだな……ゼリークッションみたい……
「あっ、いけませんお客さま、お客さまーっ」
「クゥゥ……」
魅惑のプニプニ感を前に、わたしという人間は無力なのであった──
「……『調教師』でもないのに、ワイバーンを手懐けるひとなんて、はじめて見ましたよ」
眉間をおさえたエルが、たっぷりの沈黙のあとに、そう言って苦笑していたような気がした。